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近況 2008年7月


 

川を見る 1


神田川 2008.06.14 撮影:今駒清則

2008年7月1日
 川のスナップ。ちょっと環境も考えたいと思っています。

 東京の中野区を流れる神田川。垂直護岸に川辺は遊歩道になっています。その護岸は装飾タイルになっていてたしかに美観は良いのですが、そこまでしなくてもと、東京だからできることなのでしょう。

 


街中を流れる川 2008.6.15 撮影:今駒清則

 関東の地方都市を流れる川。以前見たときは水が黒く濁っていてゴミも沢山あり、こんな汚い川はめったにないなと思いましたが、その後掃除したとみえてゴミは無くなっていました。
 街以外は農村ですから田植の時節柄流れもあり泥水で濁ってはいますが黒い水はなくなっています。鋼矢板の垂直護岸なので殺風景で川面を見ようという人はほとんどいません。植物はそんなことにお構いなく繁茂しています。

 


コイがいました 2008.6.15 撮影:今駒清則

 同じ川です。それでも観察しているとコイが泳いできました。

 


草がイッパイです 2008.6.15 撮影:今駒清則

 同じ川で100m程離れた所です。少し前まで農村部だったのでしょうが、この付近にはマンションが建っています。コンクリート積み護岸ですから景観もよく植物にもやさしい状態になっています。この先突然に先の鋼矢板の護岸に変わるのでびっくりしました。

 


 


護岸工法の変わり目 2008.6.15 撮影:今駒清則

2008年7月2日
 その護岸が鋼矢板に変わる所です。左が市街地へ、右が農地が広がる農村部になります。経緯は調べていないのでどちら側が先に造られたのかは判りませんが、河川管理の不思議なところです。

 


 

何処でしょう? 6


大阪市内 1985年 ヘリから撮影  撮影:今駒清則

3日、地表に大きな円形が描かれ、その内側は整然と区画されています。1940(昭和15)年5月に田んぼの中にほぼ円形に整地され竣工したのが始めで、それはこの写真のほぼ上半分の位置に相当します。その後この円は拡大し現在では28万平米を超えて大阪市では最も大きいものになっています。周囲は郊外にどんどん広がってきた団地や住宅に取り囲まれていますが、1985年の撮影時はまだ南側(下部)に田畑があります。
 またもともとこの敷地には4つの池があり、写真の左端にはそのうちの最も大きい下之池が残っていますが、その北の西谷池は緑地と広場になり、その東にあった小さな東谷池は形を変えて庭園風のきれいな池になっています。また1944(昭和19)年からこの付近に鉄道敷設が始まり、それが外郭線になって特徴的な形になりました。

 


Google Earthの大阪市平野区瓜破東・瓜破霊園 

 この鉄道は近くにあった陸軍の大正飛行場(阪神飛行場、八尾飛行場とも、現在は八尾空港、八尾の大正にあった陸軍航空隊訓練所を陸軍の飛行場にした)と関西線との連絡線、および関西線と阪和線を結ぶために敷設され、飛行場への連絡線は終戦後撤去されましたが、この関西線・阪和線を連絡する単線の「阪和連絡線」(「阪和貨物線」)は整備されて1952(昭和27)年から関西線「八尾」から「竜華操車場」(「久宝寺」)で南下、ここ瓜破霊園で西へ大きくカーブして大和川右岸沿いを通って阪和線「杉本町」まで通じました。定期運行は無かったのですが貨物や団体列車などがまれに通り、近年は一日一往復の「レール磨き列車」だけが寂しそうに通っていましたが、2004(平成16)年に廃止され、現在レールはあるものの踏み切りの鉄路は舗装されています。
 また1944(昭和19)年に大正飛行場からこの瓜破霊園の北側へ瓜破霊園を囲むように連絡用滑走路を敷設して戦闘機や襲撃機製造の工場とつながっていましたが、これも終戦で消滅、その滑走路の一部は長居公園通りに、工場の跡地は瓜破中学校になっています。

 1957(昭和32)年に阿倍野、平野、住吉の斎場がここ瓜破霊園衛星写真地図へ移転、大阪市に5ヶ所ある霊園の中では最も大きく、中央にある斎場では年間1万人を超える火葬と葬儀を執り行っています。なおこの付近では後期旧石器時代から縄文時代中期、弥生時代後期未の瓜破北遺跡、弥生時代の瓜破遺跡の発掘調査が行われています。

 


 


街角の七夕飾り 2008.7.4 撮影:今駒清則

2008年7月4日
 真夏並の強い日差しの日が続いています。梅雨はどこへ行ったのでしょうか。街の歩道のあちこちに子どもたちが立てた七夕飾りがありました。短冊にはかわいい願いがいっぱい書いてあります。どうかみんなの願いが叶いますように。

 


 

堺の台場 11


堺旧港・北波止の工事 2008.7.5  撮影:今駒清則

2008年7月5日
 1月以来いろいろと特集をしているうちに置き去りにしてしまった「堺の台場」シリーズの続きです。

 堺市の堺旧港には現在も幕末の遺跡として南台場と、もう何の痕跡もありませんが北台場がありました。前回まで南台場を中心に展開していますが、まだまだ掲載することがあり、それはこれからも続けますが、今回は堺旧港の北側にある北波止で本格的な工事が始まりましたのでその進捗状況をお知らせしたいと思います。

 北波止(小波止)衛星写真地図は堺旧港の水路の北側にあり、堺旧港を掘った時の土を積み上げたところで、海に向かった先端に北台場が築かれました(現在の大浜北公園で阪神高速湾岸線の下になります。これについてはまた後ほど稿を改めて詳しく書く予定です)。工事はその堺旧港内の北西部を大阪府港湾局・堺泉北港湾事務所が「堺泉北港・堺旧港地区護岸改良工事(その17)」として長さ214.37mにわたって護岸工事をするもので、工事費は272,370,000円です。堺旧港の南側はすでに護岸工事は終わっていて、前にも書きましたが親水性護岸として、幕末から明治にかけて築かれていた石積の護岸をすっぽりと覆って雁木状のモダンな護岸になりました。今度はここをそのようにするようで、写真にあるような石積の護岸もそのうち姿を消してしまうのだろうと思います。南側の工事の時には有識者から歴史的な意味のある護岸を惜しむ声が上がりましたが、大阪府港湾局は耳を貸すことなく工事を進めました。堺にわずかに残った江戸時代からの名残がまた消えようとしています。(続く)

 


 


西の空に太陽柱 2008.7.6 19:30  撮影:今駒清則

2008年7月6日、日曜日
 日没直後の真赤な夕焼けの空に見事な「太陽柱」が現われました。あまり無いことです。

 風が南から吹けば暖かく、北から吹けば涼しいのですが、ここ数日南からの暖かい「そよかぜ」でムシ暑いこと甚だしいですね。エアコンに弱い私としてはエアコンなしで暑い夏を乗りきるためのナラシ運転と心得て過ごしています。なお暑さを乗りきるコツは経験上、頭をあまり動かさないこと、急な動きをしないことです。そうすると汗もあまりかきません。

 ウインブルドンテニス2008の女子は、パワーテニスを女子に持ち込んだウイリアムズ姉妹の決勝戦となって姉のビーナス・ウイリアムズが2連勝しました。男子はラファエル・ナダルと今までのチャンピオン、ロジャー・フェデラーの決勝戦、テレビ中継のスーパープレーを息を呑んで見ていました。途中サスペンデッドもあり、フェデラーの不調でミスが多く予想外の0-2の展開、それでも2-2まで巻き返し、またもサスペンデッド、もう空も白んできましたがここで寝るわけにはいきません。しかしゲームを再開したところでテレビ中継は打ち切り、ニュースになりました。残念。F-1 イギリスGPの方は雨が降って大波乱のようですが同時放映だったので後でHD録画で見ることにします。

 


 


ランが満開になりました 2008.7.6 撮影:今駒清則

2008年7月7日
 ウインブルドンテニス2008の男子チャンピオンはランク2位のスペインのラファエル・ナダルとwebで結果を知りました。新聞朝刊にはまだ載っていません。4時間48分間の最長ゲーム。最終セットを見たかったですね。テレビにはかっての名選手、やんちゃのジョン・マッケンローもおじさんになって映っていました。彼のスーパープレーは未だに眼底に残っています。そのジミー・コナーズとの4時間16分のゲームを上回る決勝でした。テニスはプレーヤーも観客もマナーが良く、見ていて純粋にプレーに集中できるすばらしいスポーツで大好きです。

 今夜は七夕、モヤっていて木星以外の星は見えません。天の川が真っ白に見えていたモンゴルの草原は星がたくさん見えすぎて、かえって星座がわからなかったことを思い出しました。

 明日から京都市美術館2008 JPS展が始まります。最終日の13日には写真家・齋藤康一氏による「昭和の肖像」の講演会もあります。どうぞお出かけ下さい。

 


 

大和の農村歩き 4


巨大な積乱雲 2008.7.8 撮影:今駒清則

2008年7月8日
 朝から雷鳴と雨、音はすれども姿は見えぬ雷光の撮影はあきらめて、ニュースを見ると奈良で大雨。大雨の農村歩きになにかあるかもと大きい傘、長靴を用意して奈良に出かけました。しかしすっかり晴れ渡ってしまってムシ暑いことこの上もありません。カメラのレンズ鏡銅のゴムが汗で白くなるほどです。空にはあちこち積乱雲が発達していてそのうちにこの辺りも降るかな、と期待するのですがなかなかやってきません。

 


動けない小ブナ 2008.7.8 撮影:今駒清則

 農業用水路の堰の下にある鉄骨フレームに15cmほどのフナが落ち込んで身動きできなくなっているのを見つけました。まあそのうちにハネて飛びだすだろうと思って村の周囲を一周して再び見ると、そのままになっていてどうも飛び出せないようです。今日は水量が多いのでこぼれた落水がフナのところにありますが、水量が少なくなれば干上がってしまいます。用水路の深さは2mほどありとても手では届きません。周囲を探して長い木の枝でフナを追いだそうとするのですがどうしても出すことができません。仕方ないので裸足になって堰を伝って下に降り、フナを掴んで放してやりました。ズボンとシャツはビショビショです。でもこの暑い日差しですぐに乾いてしまいました。ささやかな救出劇です。

 天候が不安定なので夕焼けの可能性があり、ダイナミックな夕焼けの二上山を撮影したくて當麻付近で待機しましたが、折悪しく雷雲がやってきて日没まで大雨。むなしく帰りました。

 


 

アロエの花 4

アロエ(不夜城)  撮影:今駒清則

2008年7月9日
 不夜城というアロエの花茎が伸びて花が満開です。あまり見かけないと思いますので、枯れるまで順次掲載します。

アロエの花が咲きました。  撮影:今駒清則

 


 

JPS展 講演会


2008 JPS展受賞者の皆さん 2008.7.13 撮影:今駒清則

2008年7月13日、日曜日
 ちょっと集中してやっていたことがあって更新が遅くなりました。

 今日はJPS展・関西展の最終日で、受賞された方の表彰式と講演会が南禅寺近くの京都市国際交流センターでありました。田沼武能会長とJPS関西の田中祥介氏による受賞作品講評と、齊藤康一氏の「『昭和』を彩った100人」のポートレート作品の作品紹介とそれぞれの人物像を取材を通して感じた事などの講演があり、いろいろと勉強になりました。その後の懇親会は失礼して帰りましたが、久しぶりにお会いする方々とともに楽しい時間でした。

 


 

奈良新聞社 本社移転祝賀会


奈良新聞社 本社移転祝賀会 2008.7.14 撮影:今駒清則

2008年7月14日
 今日も似たような写真になってしまいましたが。奈良新聞社が本社を移転(地図)し、その祝賀会が奈良ロイヤルホテルで開かれました。さすがに奈良の名士の方々がかけつけ盛大な祝賀の会でした。新聞というメディアの位置が大きく変革している時、地域新聞のあり方も困難な時期にさしかかっていることと思われます。しかし奈良新聞は好調のようで、一層頑張って欲しいと願っています。

 その後入江先生のお墓参り、帰りがけに奈良を南下して葛城付近をロケハン。紀ノ川まで走って帰りました。もう大変に暑い日でしたが良い風景を幾つか見ましたので何れ出かけます。

 


 

時速5キロ、速度を落としたら


文字ばかりの店頭 2008.7.14 撮影:今駒清則

2008年7月15日
 ガソリン価格が高騰して10年前の2倍になっています。走る車の数が少なくなったのか渋滞が少なくなりました。ガソリン価格が話題になってから数ヶ月間にわたって高速道路を走る時の速度をいつもより5Kmスピードダウンして計測してみました、車はハイブリッドのプリウスGツーリングですので普通のガソリン車とでは平均数値が違いますが、ノンストップ走行を中心に計測していますのでハイブリッド特有のエンジンストップがあまり発生しない状態ですからガソリン車でも同じ傾向になると思います。

 結論から言いますとかなりの省エネです。この時速5Kmダウンは時速70km定速ノンストップ走行と65Km定速ノンストップ走行とで比較した場合、50Kmの走行距離で到着時間差は計算上ですが3分間程度の差でしかありません。それで1割以上も燃費が向上しました。

 具体的な例をあげると大阪市内を走る阪神高速道路の日中で走行量が少なく渋滞が無い時、オートクルーズ・コントロールを時速70Kmにセットして走行した燃費は平均28Km/L、時速65Kmにセットした平均燃費は32/Lでした。時速5Kmの差は4Km/L燃費が伸びたことになります。これは阪和道や西名阪、近畿道などで走行してもほぼ同様でした。大阪周辺はおよそ平坦ですから高速道路差は無いようです。なおオートクルーズでなくアシクルーズで定速走行するとさらに1Km/Lほど向上します。これはオートクルーズがかなり厳格に設定速度を守ろうとシビアな速度調節をするためで、足でコントロールするようにファジーな設計(設定)になっていたら燃費向上にもっと貢献したことでしょう。

 阪神高速道路は制限速度60Kmですが、走行車線がおよそ70Km、追い越し車線が80Km+で流れています。昼間の阪神高速道路は空いているので時速65Kmで走行していてもあまり迷惑をかけないのですが、混雑しているときは時速70Kmにせざるを得ません。その他の高速道路は80Kmが制限速度ですから65Kmで走行するにはかなり勇気!がいります。まあ追い越し車線が空いていれば問題なく追い越して行きますから良いのですが、追い越し車線が混んでいるときは走行車線の流れを妨げないように全体の流れに乗って走らないと危険でもあります。そのあたりは臨機応変にしています。

 


 

謎の塔心礎


塔跡から紀伊国分寺方面を望む 2008.7.14 撮影:今駒清則

2008年7月16日
 旅に出たとき、途中や近くに国分寺があれば立寄るようにしています。すべてを巡るつもりではないのでさほど多くを訪れてはいないのですが、その何れもが当時の国家事業として行ったのにしてはかなり辺鄙なところに造られていることをいつも不思議に思います。もちろん今の感覚で辺鄙と思うのであって、当時に国府や国分寺の位置を決めるにはそれなりに立地条件がいろいろとあったのでしょう。訪れた紀伊国分寺
衛星写真地図も紀ノ川沿いの鄙びた所にあります。その紀伊国分寺のさらに西の道端にポツンと礎石がありました。一目で塔の中心に置かれる礎石とわかる品の良い礎石で、史跡「西国分塔跡衛星写真地図)の塔心礎です。

 


西国分塔心礎 2008.7.14 撮影:今駒清則

 江戸後期の地誌「紀伊國名所圖會」には国分寺の左手の田の中に、心礎と他の礎石が数個あるのが描かれています。今は心礎以外の礎石は1個しかありませんので多分持ち去られたものでしょう。またその塔の跡地もかなり小さな面積になっています。それでも今、礎石のある所が何となく基壇風にも見えますが思い過ごしでしょうか。

 


西国分塔心礎 2008.7.14 撮影:今駒清則

この塔のあった寺は心礎の年代から国分寺建立以前からあった寺のようですが、その寺名も規模も内容も全くわかっていません。路傍にある謎の塔心礎です。

 


 

今日の雷


雷光 2008.7.17 21:31  撮影:今駒清則

2008年7月17日
 遠い台風の影響なのか空気が澄んで視界の良い日でしたが暑い日で、祇園祭の中継映像も熱気でゆらめいていました。今年も梅雨らしい日がないまま梅雨明けになったので水不足にならなければ良いのですが。

 それでも風があって日陰は涼しく、雲もいろいろ変化してかなり撮影しましたのでここに雲の写真を用意したのですが、夜になって生駒山の向こうに雷光がありましたのでこちらにしました。雷さんはかなり遠いようで雷鳴は聞こえません。webの雷情報で調べると滋賀県あたりへの落雷のようです。

 


 

セミが鳴き始めました


羽化 2008.7.18 撮影:今駒清則

2008年7月18日
 夜中に強い雨が降った朝、うるさいほどのセミの鳴き声が聞こえてきました。昨日までは気がつかなかったのですが。公園に行って様子を見てきました。イチョウやサクラの葉にこれから羽化するセミがいっぱいいます。

 


クマゼミ 2008.7.18 撮影:今駒清則

 よく見る茶色のアブラゼミでなく羽根の透明な黒いクマゼミばかりで、その鳴き声の大きなこと。撮影をしていると終業式を終えて早くに帰ってきた小学生が集まってきたので説明していると、男の子がセミに向かって「ウルサイ!」と怒鳴っていました。それでもお昼頃になるとクマゼミの鳴き声は止んでしまいます。

 


 

大和の「つくりもの」 1  田原本「祇園祭」


こどもみこし 2008.7.19  撮影:今駒清則

2008年7月19日
 中和
(奈良盆地中央部の呼び名)の町、田原本町の産土神、津島神社の「祇園祭」に出かけてみました。
 田原本はかって旗本・平野氏の陣屋があって寺内町、宿場町の佇まいが今も残る町です。この「祇園祭」は京都の「祇園祭」と同じで、疫病退散や厄除けを願って行われるものです。いま各地で行われている「夏越の祓え」も同様で、昔は体力の弱る夏場は食中毒や流行り病などが多く、無事に夏を越すことだけでも大変なことだったからです。

 この祭の時にここでは「立山」という、時事を皮肉ったり流行をいろいろな身の回りの日用品や農具、人形などを使って一幕のドラマに作って見せる「つくりもの」が町内の各所で展示されているはずだったのですが、10年ほど前に取り止めてしまったようで現在はしていませんでした。

 お目当てのものが無いので後はまつりの雰囲気を楽しんでスナップ。いまこのまつりは余興の演芸大会と夜店も大いに賑わっていますが、本殿への参拝も参道の鳥居から社前まで列をなしているほどで、中和最大の夏まつりと言われるだけのことはあります。なおこの「作り物」とか「造り物」といわれているディスプレイは各地で急速に消滅しています。現在も行われている所がありましたらお教えいただけますと嬉しく存じます。

 


 

入道雲の消長

1. 入道雲の頂上がさらに伸びて

2. 4つの頭が出てきたが

3. 3つになって

4. 独立できるか?

5. が、勢いが無くなって

6. 消えて行きました  撮影:今駒清則

2008年7月20日、日曜日
 東の空に入道雲が絶えず並んでいた猛暑日でした。雲の下方が赤いのは大阪上空の大気汚染によるよるもので、それでも最近は相当に改善されてきているのですが。

 


 

アロエの花 5

アロエ(不夜城)  撮影:今駒清則

2008年7月21日、祝日
 「海の日」なので海に出てみようと思うのですが、美しい砂浜の海辺が身近にある訳ではなく、この暑さに工場地帯の護岸を歩いても興がないのでデスクワークを続けています。アロエの花は下から徐々に枯れて落ち、傘のようになってきました。

 


 

夏の空は楽しいのです

  こどものライオン

  駆ける馬

  なにかが通って行く

  モアイ         撮影:今駒清則

2008年7月22日
 今日の空にはいろいろなドラマがありました。他にもお子様向けのページがあります。

  「なにに見える?」

  「なにに見える?2」

 


 

暑いですね


彩雲 2008.7.23 12:57  撮影:今駒清則

2008年7月23日
 例年にない暑さが続いています。日中の屋外は35度+、室内でも32度ほど。夜になっても30度を下ることはありません。日中の仕事ではパソコン3台が動いている部屋だけ<パソコンのために>エアコンをつけていますが、それ以外では扇風機だけで過ごしています。都市部では屋外機が排出する熱で外気はさらに暑くなり、一人エアコン無しで過ごそうにもなかなかそうもいかない悪循環を起こしているのです。昔の、エアコンも扇風機も冷蔵庫も無かった時を考えると妙な社会になってきました。

 


 

このご時世


川面 2008.7.14 撮影:今駒清則

2008年7月24日
 昨日の夜、テレビのドキュメンタリー「風の歌が聴きたい」をしっかり見ました。聴覚障害の夫婦とその子供の家族が逆境を力強く生きている素晴らしい番組でした。TBSが10数年前に同名で制作したものが感動を呼んで映画にもなりましたが、その後も取材が続き16年にわたるその家族の生き方をまとめたものです。民放で難しいかもしれませんが再放送を望みたいものです。

 土用・丑の日でちょっと豪華なうなぎの懐石をいただきました。静岡産のうなぎとのこと、産地まで気を使いながら買ったりいただいたりしなければならなくなりました。
 最近気になったのは少し前のことですが、福岡市で新聞社次長がバスの中で義足を調整していたところ、女子高生がわいせつ行為だとして通報。逮捕、起訴されたのですが地裁で無罪判決となった事件です。
 もう一つは国分寺市でマンション共有の集合ポストに議会報告ビラを入れようとした市会議員に、住民とマンション管理組合役員(市会議員)が住居侵入で告発、書類送検されたが不起訴となった事件です。
 それぞれに正当な意味や理由があるのに過剰に反応して簡単に告発し、それをまともに立件してしまう警察にも意図的なものを感じますが、それより被告となった方の事件解決までの心労を思いやるとやりきれない思いになります。

 ふりかえって我が住まいの大阪のマンションでも挨拶をする方は少ないし、街で子どもに声をかけることもできないご時世になって、スナップ写真も気が引けるようになりました。しかし大和の農村歩きでは初めての村の道ですれちがう村の人とは立ち話もしますし、子どもたちは「こんにちわ」と声をかけてくれます。そんなところも良くて農村歩きをするのですが、この頃無差別殺傷事件などが頻発する、尖ってしまった都会は昔にもう戻ることはないのでしょうか。

 


 

大和の「つくりもの」 2  東長柄「天神祭」の「立山」

 

2008年7月25日
 子どもの頃の夏の夕、町々に設えた「つくりもの」を廻って見るのが楽しみでした。近所では竹生
(たきょう)通の北の端にお店の間口をいっぱいに使った「つくりもの」があり、また駅近くの若宮社の境内にも設けられていました。
 旧町内では町ごとに趣向を凝らして競っていたのですから大掛かりでもあり、テレビもまだ十分に普及していない頃では子どもの眼にはそこに繰り広げられた世界がとても珍しいものだったのです。
 挙母
(ころも)市が豊田市に名称変更した頃に進学でこの故郷を出たのでその後の様子はわからないのですが、この頃からこの行事はどうも衰退していったようで、現在ではまったく行われていませんし思い出す人も少ないようです。これを「てんのうさん」(天王祭?)と呼んでいたいたように思いますが定かではありません。

 この「つくりもの」は「やま」を表すかたちのひとつで、「やま」は神を呼び神を迎えると考えられています。「やま」のかたちは沢山ありますが、祭の中では「鉾」「ダンジリ」「山車」「屋台」などが普通に見られます。祭で一町内に一つの「やま」が現われ、「やま」に神を迎えてその町内の安全を願い、祭が終わると「やま」は壊すか解体して隠してしまいます。祭の時だけ「やま」が現われることも大事なことなのです。
 
(最近に山車などを常設展示してある所がありますが、それでは本来の意味が失われていることになります。)

 


長柄街道の民家 御所市長柄 2008.7.25  撮影:今駒清則

 大和の農村歩きでこの「つくりもの」をしている村が数ヶ所だけあることがわかりました。17日の田原本町・祇園祭もそうだったのですが現在は行われていません。今日25日は御所市の東長柄にある天満宮の天神祭で「つくりもの」を見ることができました。大和ではこれを「立山」と呼んでいます。まさに「やま」を「立てる」ものでさすがに伝統のある大和です。

 


「アンパンマンとそのなかまたち」の立山をつくるお母さんたち 御所市東長柄 2008.7.25  撮影:今駒清則


「インディ・ジョーンズ」の立山をつくる 2008.7.25 御所市東長柄  撮影:今駒清則

 午前10時に天満宮で神事があり、それからそれまでに準備をしていた人形や細工物などで「立山」の組立や設置にかかります。
 「立山」は天満宮近くに3ヶ所作られます。金剛山地の東麓にある東長柄の戸数は46戸、人口137人
(2005年)ですからこれだけでもたいへんな作業です。しかし青年会、婦人会が中心となって途絶えることなく続けています。東長柄は林業と農業が中心でしたが、最近では他と同じように若者は都市に出て村は高齢者が多くなりました。そして小学生は6人です。
 以前戸数が倍近くあった時には「立山」は村内7ヶ所につくられていたそうです。今は天満宮横、天満宮前の東長柄公民館内、天満宮境内で、午後3時頃には飾り付けは終わります。

 


完成した立山の「インディ・ジョーンズ」 2008.7.25 御所市東長柄  撮影:今駒清則


「道頓堀名物」の立山 2008.7.25 御所市東長柄  撮影:今駒清則

 天満宮横の道端には婦人会が制作した子ども向けの「アンパンマンとそのなかまたち」です。発泡スチロールなどでこころを込めて丁寧につくられた人形たちに私もほのぼのとしてきて見とれました。

 「立山」を展示できるように設計されている公民館に創られたのは「道頓堀名物」です。道頓堀にある「くいだおれ太郎」「グリコのネオン」「かに道楽・東長柄支店」「づぼらやの大看板」、それに記者会見する「料亭のおかみ」。話題となった時事を切り取ってこの世相をリアルに見せました。

 狭い天満宮の境内には力作の「インディ・ジョーンズ」の場面。青年たちに長老たちが手伝ってつくりあげたものです。ここへは必ず「水」を使うそうで、例年は上から水を落とすそうですが、今年は下から吹き上げるように工夫をこらしてあります。

 この天満宮の社殿や拝殿は1858(安政5)年の創建で、拝殿には翌年に奉納された三十六歌仙の懸額などがありますし、境内石造物も同年です。ちょうど大河ドラマの「篤姫」と同時期になります。またここには当屋制度が続いていて、正月前後の行事と、この「立山」のまつりが主な行事で、まつりの時に拝殿近くに置いた「邑中安全」の看板の通り、村の安泰と村人の絆をつなぐ大切な行事となっています。

 


天満宮境内の立山を眺める 2008.7.25 御所市東長柄  撮影:今駒清則

 近隣の村にも響きわたるスピーカーの大音量の歌謡曲が合図となって夕方になると天満宮に人が集まります。車がやっと通れるほどの天満宮への細い道端には13の露店が軒を並べ、子どもたちは「立山」よりもそちらの方がお目当てです。

 ほんとうに久しぶりの「つくりもの」に会いました。趣向もよく本格的なもので、取材してみて地域の人々のつながりと昔からの人情が温かく伝わってきます。このご時世ですからこれからの継承も困難が予想されます。長く伝え続けられるような支援を各方面にお願いしたいと思います。

 


 

紀州東照宮の能面


県立博物館から見た和歌山城天守閣 2008.7.26 撮影:今駒清則

2008年7月26日
 所用で和歌山市に行き、途中和歌山県立博物館でただ今開催中の「奇跡の仮面 大集合!」の展覧会を観てきました。以前から気になっていたものが全て展示されるのでありがたいことです。展示内容は同館のホームページに詳しいのですが、春の紀州東照宮「和歌祭」の行列に「百面」「面掛」といわれる一団がいるのですが、これが能面をかけた扮装で練り歩きます。この能面がいわゆる古面で、中には「出目満庸(天下一友閑)」
(江戸時代初期の面打ち)が打った素晴らしい能面があるのですが、残念なことに昭和になってから目張りを入れた美女?やコテコテの顔にペイントされてしまっているのです。それと扱いが乱暴なために割れたり欠けたりと目も当てられない惨状で、能楽師が見たら卒倒しかねないありさまです。それを一同に並べて展示しているのですが、もともと素質の良い能面ですから修理をして大切に保存していただきたいものです。この中には様式化した能面以外の古面もあり、詳細に研究すれば遅れている能面研究に一石を投じる可能性もあります。なおこれには能面文化協会の方々が新しく能面を打たれて奉納し、代替えできるように活動されておられます。

 


 

飛行機雲


飛行機雲 2008.7.27 撮影:今駒清則

2008年7月27日、日曜日
 久しぶりにゆっくりした日曜日。デスクトップに二重、三重に積み重なったデータを整理して日が暮れました。暑いですが変化のある空なのでかなり撮影。

 飛行機雲といえばロンドンからミラノへ行く機上で、浮かんでいた飛行機雲を横切った時、その断面が中空になっているのを発見しました。すべてがそうなのではないのでしょうが、ちょうど綿でできたパイプのようで、すぐにカメラを向けたのですがすでに遅く窓から消えてしまいました。悔しいのでノートにスケッチしてあります。

 


 

今日のお天気


大阪市街を覆う黒雲 2008.7.28 14:25  撮影:今駒清則

2008年7月28日
 不安定な天候の一日で、お昼過ぎに真っ黒な雲が西から来て大阪市街をすっぽり包んだので高いところに上り撮影しました。この撮影の直後、雷鳴とともに雨で市街地が霞み、しばらくすると撮影地点も降雨。夕方まで激しい雨降りが続きました。この雨で神戸では川で遊んでいて急に増水した水に流される事件
スポニチ記事があったとのことです。

 


虹  2008.7.28 18:24  撮影:今駒清則

 日没間近、東の空に大きな虹がかかりました。15分ほどで消えましたが鮮やかな虹でした。

 


今日の雷光 2008.7.28 20:50  撮影:今駒清則

 夜、南の空に雷光が。webで確認すると淡路島南部から和歌山方面に雷雲です。いつものように撮影。雷光に照らされた雲を捉えることができました。

 


 

2008年7月30日
 このところ少し先にある仕事のための勉強や準備に没頭しデスクワークが続いていますが、31日、1日は大阪・住吉大社の夏越行事と夏祭の取材で歩き回ることになります。あまり暑くならなければ良いのですが。

 


 

祭の日、走る

住吉大社 夏越祓神事


住吉大社 夏越祓神事 2008.7.31  撮影:今駒清則

2008年7月31日
 今日は幸いにも雲が多く陽射しはやわらかです。大阪・住吉大社の神門に大きな茅輪
(ちのわ)がかけてあり、一礼してくぐります。午後5時から夏越大祓の神事があり神官、巫女、夏越女、住吉踊りの子どもなどに続いて参詣者も茅草をいただき茅輪をくぐってお祓いをします。

 

大魚夜市


タイを掲げて呼び込む大魚夜市の売り子 2008.7.31  撮影:今駒清則

 その足で堺市の大浜公園へ、ここに時々連載している「堺の台場(砲台)」の所です。夕方から「大魚夜市(おおうおよいち)」でいろいろな催しがあります。堺は自転車の街だけあって自転車で駆けつける人々で大浜周辺は混雑し、臨時の巨大な自転車駐輪場は満員、歩道にも駐輪して大混雑です。

 大浜公園にはステージも作られていていろいろなアトラクションをしています。そこに行くまでは軒を延々と並べる露店を通らねばなりません。この中心になるのは魚市、午後7時から多くの市民団体が出店して鮮魚のセリ売りや格安の魚を販売します。例えば40cmのマダイは1,500円、タコは2,000円、イカは200円、ケガニ、ズワイガニは1,500円、ホタテ、サザエは150円というところが最初の値付で30分もすると売り切れの店が出てしまうほどです。その頃になると店によっては半値近くになり、マダイにイカ、サザエなどをサービスして1,000円程で売り切ろうと乱売になるところもあり、市は呼び込みと値引きの交渉で熱気はさらに高まります。

 堺はもともと遠浅の浜が延々と続くところでした。中世の交易船は小舟に荷を積み替えて堺の浜から環濠へ入り荷揚げしました。漁師はこの浜のあちこちで魚市をたてていましたのでその名残が今に続いているわけです。会場にはビニール袋や小型のトロ箱に入れた収穫の魚を持った人々が雑踏の中でさまざまに楽しんでいます。でも安いのは良いのですが帰ってから魚を自身でさばかねばなりません。

 

大鳥大社 御神幸


宿院頓宮の大鳥大社お神輿 2008.7.31  撮影:今駒清則

 その後歩いて堺中心部の宿院頓宮へ、大鳥大社からお神輿が渡御して来られます。今ではトラックに乗っての渡御で、午後8時から御霊をお遷しして神事が執り行われ夜中に還御されます。境内は大浜公園の喧騒とはうって変わってお参りの方も少なく静かです。明日の夕方は大阪・住吉大社のお神輿が同じようにここへ渡御されるので大賑わいとなることでしょう。

 


6月 08年7月 8月