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近況 2008年8月


 

住吉大社 御輿渡御祭

2008年8月1日
 
住吉大社の夏の大祓祭、厳しい夏を無事に過ごし心身を浄めるお祓いをします。7月31日は茅の輪をくぐる夏越祓神事があり、1日は堺の宿院・頓宮まで神様がお出ましになります。堺までの紀州街道衛星写真地図には注連縄が張り渡され、人々が戸口に出てお渡りの行列を出迎えます。

 


1 神輿の鳳凰に御田の稲をつける 2008.8.1  撮影:今駒清則

 昨日から住吉大社の神庭には幾つかの御輿が並べてあります。最も大きいのは1926(大正15)年7月に造られた御輿ですが、今では舁くことができないのか、最近造られた次に大きい御輿がお出になります。午後1時30分の出発前には第一本宮に鳳輦と二基の御輿が並べられ、そのうちの大きい御輿の鳳凰に御田で育った稲がつけられます。

 


2 第一本宮に鳳輦と神輿が並ぶ 2008.8.1  撮影:今駒清則


3 太鼓橋を上る神輿 2008.8.1  撮影:今駒清則

 お祓いの後、船御輿から出立し、最後に大きい御輿が輿丁(よちょう)によって舁かれ、「ベーラ、ベーラ」の掛け声とともに勇ましく名所の太鼓橋を渡ります。大きく反った橋を越えるには相当な技術がいるようで、京都・祇園祭の輿丁の助力と指導によるものだそうです。

 


4 紀州街道・安立町を練る船御輿 2008.8.1  撮影:今駒清則


5 大和川で神輿を堺の輿丁に受渡す 2008.8.1  撮影:今駒清則

 以前にこの祭を取材した時は、御輿がトラックに乗せられて住吉大社から走り去り、これでは興がわかないのでそこで帰ったことがありましたが、2005(平成17)年から徒歩のお渡りとなり、また大和川の川渡りも復活しました。
 この祭で堺まで神幸されるのは、昔から海に依存して暮らしてきた堺の人々の、海の神である住吉大社への信仰が特に篤かったことや、また中世に経済的に栄えた堺の町衆への配慮があったのでしょう。なお大和川の川渡りでですが、ここの昨年10月19日の「途切れた道 2」の項で触れましたように、大和川は1704(宝永元)年に開削されて大坂と堺は川で分断されました。しかし川ができてもこのお渡りの通る紀州街道には公儀橋として大和橋だけは同時に唯一架橋されているのですから、なにも川へ御輿が入らなくても良かったはずです。川渡りをする経緯は知りませんが、河口にあたる川へ入ることによって潮で浄める意味があったのでしょうか。

 


6 大阪の輿丁が見守る中で堺側の輿丁が御輿を舁く 2008.8.1  撮影:今駒清則

 川渡りは、御輿の前を行く獅子舞や住吉踊りの子どもたち、猿田彦や騎馬武者、神馬、神職、鳳輦、子どもたちが曳く船御輿などの行列が大和橋上で待機するうちに御輿が川辺に到着すると、これも川辺で待機していた堺側の輿丁が気勢をあげます。大阪側の輿丁は川に入ると川の中を威勢よく御輿を舁き廻る魂振り(たまふり)などをした後、御輿は川の中央に設けられた受け渡し場へ一旦置かれます。両者の役員が立ち並ぶと大和橋の上からお祓いをし、堺側の輿丁が川に入って御輿を舁き同じように川の中を舁き廻ります。大阪側の輿丁は御輿が川から上がるのを見届けて帰途につきます。

 江戸時代にはこの辺りの大和川の右岸(大坂側)近くに手水川が流れていて、紀州街道には手水橋(今は手洗橋)があり、そこに祭礼場があって神事を行っていたのですが、今は無いので大和橋の上で行っているのでしょう。なお神輿が川渡りする辺りは岸辺の砂を採って川幅を広げ、それで水底の深い所を埋めて歩きやすいようにならしてあり、護岸と堤防も大きな雁木(階段)が作られていました。

 


7 紀州街道の堺・大道筋の鳳輦 2008.8.1  撮影:今駒清則


8 宿院頓宮に着き輿丁が跳ね回る 2008.8.1  撮影:今駒清則

 お渡りの行列は紀州街道をさらに南下、古い家屋がある並松町から、堺の北出入口になる北橋(環濠に架かっていた橋)の高札場跡衛星写真地図を渡り、チンチン電車(阪堺電車)の走る紀州街道の大道筋を粛々と通り、大小路で紀州街道を外れて開口神社前を通ってフェニックス通りにある宿院・頓宮衛星写真地図へ宮入りします。住吉大社からおよそ6kmほどの灼熱の道を舁き上げた輿丁は頓宮で御輿をさし上げ、跳ねて最後の魂振りをしその喜びを爆発させます。

 


9 宿院頓宮で荒和大祓神事 2008.8.1  撮影:今駒清則

 夕闇がせまる頓宮では神饌をささげ荒和大祓神事 (あらにごのおおはらいしんじ)が御輿の前で執り行われ、その後御輿はトラックに乗って還幸となり、住吉と堺を結んだ夏祭は終わりをつげます。

 


 


航跡 2008.8.3 19:38  撮影:今駒清則

2008年8月4日
 ここ数日は日本私大教連の第19回全国私立大学教育研究集会で大学問題の勉強です。大阪・阪南大学で3日間にわたって全国から大学の教職員が集まり、大学の価値と平和の復権にむけ地歩を固めよう、という大会です。大阪での開催は初めてで、主催の挨拶文に「・・・私大教連の運動のひとつの、しかし重要な側面として争議・紛争解決があり、大阪はその『本場』でもあります。やはり、大阪の経験を全国に発するいい機会にもなるだろうと思います。・・・」というのにはそれなりの実績?があり、大阪には相当悪質な私大経営者が一部ですがいることは事実で、それは以前にもここでも少し書いたことがあります。

 ちょっと話は違いますが、4日の読売新聞は「裁判員に選ばれる確率、最高は大阪の『2,894人に1人』」のタイトルで、裁判員制度により国民が裁判員・補充裁判員に選ばれる確率は全国平均が有権者4,911人に1人の計算だが、大阪は対象犯罪発生率が全国一なのでそれだけ選ばれる確立が高くなる、と報じているのと符合します。どうもそういう風土のようです。

 いま大学はとても多くの問題を抱えています。いわゆる「98答申」の高等教育の方向が突然小泉「構造改革」で破壊され、混乱と混迷の中に大学は立たされています。多くの問題点を解決し向上しようと研究する教職員の熱い討論が続いていました。

 


 

天も憂えたか 広島原爆忌


今日の雷光 2008.8.6 18:32  撮影:今駒清則

2008年8月6日
 63年目の「広島原爆忌」を迎えました。広島の平和記念式典とともに全国で慰霊と平和を願う祈りがささげられたことと思います。なかなか止まぬ核兵器の拡散を阻止し、核廃絶を大声で主張しなければならない唯一の被爆国である日本の首脳の声の小ささはどうしたことなのでしょうか。

 昨日に続き今日も亜熱帯地域のような気温とスコールのような集中豪雨がありました。明らかに例年と違う異常な気象現象のように思えます。これが一時的なものであれば良いのですが。

広島平和宣言

 


 

水門会写真展の予告

2008年8月7日
 
水門会が奈良であり、来年度の「水門会写真展」開催の打合せをしました。その写真展予告です。

「第17回 水門会写真展」 (併催・一門・秀作展)

〜やまとごころ〜

2009年5月1日(金)〜6日(水)

奈良市美術館

 テーマは昨年と同じ「やまとごころ」です。入江泰吉門下の写真家の作品と、またその門下生の秀作を同時に展示します。また会期が近づきましたらご案内いたしますが、5月の連休中ですので覚えやすいと思います。

 


入道雲の雷光 2008.8.7 19:05  撮影:今駒清則

 会議後に大和の農村歩きのための資料調べに奈良県立図書情報館へ行き、郷土資料や地図などで勉強。終わって外に出ると北の空で入道雲がピカピカと発光しています。雷光です。人家が多く見通しがきかないのとのと三脚が無いので撮影ができません。とりあえず図書情報館に戻り窓からビデオモードで撮影し、帰宅後ビデオ映像から発光しているコマを取り出して一枚の写真にまとめました。全部で7コマ画面の合成です。入道雲のあちこちで光っているのが良くわかります。なお右下の光は人家の灯です。

 


 

080808

2008年8月8日
 今日の6ケタ日付表示は「080808」です。「八」は中国では縁起の良い数字。北京オリンピックの開会式開始時刻も08:08pmだそうで八年八月八号八点八分開幕式です。中国式縁起担ぎもいまだに健在です。
 それでテレビ中継の開会式を見ました。チャン・イーモウの演出ということで情緒あふれる内容と思ったのですが、それは伝統的な部分に多少見られたのですが、共産圏特有のマスゲーム的なものが多く冗長でちょっとしらけました。全体的には伝統的な中国感覚を現代的にアレンジしたダイナミックな表現で躍進する中国のパワーを感じ良いショーだったと思います。
 国内的な問題を数多く抱えるものの、これを力で押さえ込み、オリンピック開催に国家的威信をかけて始まりましたが、ショーの内容にあった古代からの歴史は優れた文明を誇れるものですが、近代、現代を欠いていたのはまさに「鳥の巣」の外にいま展開されている、バブルの都市と農山村の格差、中央と地方官僚の国際感覚の差、辺境部の民族問題、人権抑圧、言論統制、情報制限、金権腐敗、公害問題、震災復興などなどを見て下さい、という意味でしょうか。オリンピック後の中国がハジケないか心配です。

 


 

長崎原爆忌


巨大な今日の入道雲 2008.8.9 19:01  撮影:今駒清則

2008年8月9日
 広島に続いた長崎への原爆投下から63年になりました。かって長崎に残る被爆遺構を探して取材したことがあります。平和公園はかって長崎刑務所でした。そのコンクリート基礎の一部は公園に残されています。爆心に近い丘陵にあった刑務所はひとたまりもなく破壊され、そこにいた134人が爆死、その中には投獄された中国人も33人いました。ここに今年7月、中国人犠牲者追悼碑が建てられました。中国と縁の深い長崎に63年も経ってやっとかたちとなった慰霊碑へも平和祈念式典の後に祈りを捧げる市民が多かったそうです。

長崎平和宣言

 


 


ベランダにきたハナムグリ 2008.8.10  撮影:今駒清則

2008年8月10日
 12ミリほどの甲虫がベランダにいました。緑色の背中に黄色の斑点があります。虫のことには弱いので名前がわかりませんが、webで調べるとコガネムシ科のハナムグリのようです。間違っているかもしれません。40mほどの高さにあるベランダにこんな小さな体で飛んできたのでしょうね。最近ではトンボも目の前を飛んでいる時がありますし、セミが留まっていることもあります。意外に飛び回るものですね。

 


 


今日の入道雲 2008.8.11 18:42  撮影:今駒清則

2008年8月11日
 集中してしている仕事がありテレビの高校野球もオリンピックもなかなかゆっくり見ることができません。一応点けているテレビやラジオの音声で大きな流れはわかりますが、詳細は夜のダイジェストで見るようにしています。選手が甲子園やオリンピックの大舞台に出るために並々ならぬ日々の努力をされていることを知るとそれに力をもらえます。どの国の選手であれ、それぞれ少しでも良い成果が得られるように願っています。

長崎平和宣言

 


 


夕まぐれ 2008.8.14  撮影:今駒清則

2008年8月14日
 お盆ですが相変わらず仕事+勉強
+(オリンピック+高校野球中継)に集中。お盆やお正月の間は空気が澄んで見通しが良く気持ちの良い日が続きます。いつの間にかこういったクリアな世界を忘れてしまったことに気づくこの数日です。

 この数日の夜半にペルセウス座流星群の撮影を試みましたが残念ながらお見せできるほどの写真はありませんでした。撮影方向とは違うところに明るく長い軌跡の流星が見え、それがいまだに眼底に鮮やかに残っています。

 


 


生駒山の夜明け 2008.8.15 4:55  撮影:今駒清則

2008年8月15日
 ペルセウス座流星群を撮影していたら夜明けになってしまいました。撮影結果は流星発見ゼロでアウト。写真は撮影してみないことには結果がありませんから結果が無くてもガッカリはしません。またの機会を待ちます。

 今日は63回目の終戦記念日。敗戦記念日とも言います。一応戦争をしない平和な日が続いていますが、したくてしょうがない政治家もいます。後方支援とかで実質戦争参加していても巧妙にごまかす人たちです。選挙の一票は平和への力になります。厳しく選びたいものです。

 


 

大和の農村歩き 5 稗田の「阿礼祭」


阿礼さま音頭 2008.8.16  撮影:今駒清則

2008年8月16日
 大和の農村歩きのひとつで、環濠集落で有名な大和郡山市稗田
衛星写真地図の賣太(めた)神社へ、「古事記」編纂で暗誦したとされる稗田阿礼にちなむ祭にでかけました。1930(昭和5)年に始まった祭ですがなかなかユニークな内容です。経緯と内容は奈良県「県政だより」の「阿礼祭」に詳しいのでそちらをお読みいただいて、ここでは今年の行事次第だけを記録しておきます。

 

第七十九回 阿礼祭 次第
午前十時  祭典執行「稗田の舞」奉納
   奉納 「阿礼さま音頭」 「阿礼様祭子供の歌」
   奉納 「やまと獅子太鼓」
   奉納  平成十九年皇居歌会初め入選者による入選歌奉納 奥村道子氏
   奉納  テノール歌手 鈴木哲也氏
        賣太神社賛歌 奥村道子氏作詞 鈴木哲也氏作曲
        「『古事記』の中から倭建命(ヤマトタケルノミコト) 大和し美はし」
午後一時  神前童話会
        エプロンシアター  曽我先生
        絵本        松岡先生
        パネルシアター   宮澤先生
        腹話術       植田先生
午後二時  こどもみこし渡御出発
午後二時半 古事記輪読会

 その後奈良市内へ、いつもの奈良詣で、お盆でもあり入江先生のお墓参り、水門町の先生宅を廻ってから入江泰吉記念奈良市写真美術館へ。入江先生宅は没後に奈良市に寄付されたので現在は市が管理しています。老朽化が目立ってきたので心配していたのですが、修理補修などの調査費が最近につきとりあえず一安心です。

 入江泰吉記念奈良市写真美術館では「入江泰吉 大和の道」と「奈良の鉄道 明治・大正・昭和への旅」です。「大和の道」では萬葉の道から村の道まで、カメラの眼を通してしか現せない先生の細やかなこころに感動します。「奈良の鉄道」では記録として今は無き駅や列車をかなり見せていただけます。沿線の風景では入江先生や東大寺の筒井寛秀長老の写真もあり、いずれも他とは違う雰囲気が漂っていて記録写真でも写真心の有無でこうも違うのかと思えます。ただ「大仏鉄道」では当時の写真が無く残念な思いをしました。もしも写真をお持ちの方はぜひお知らせ下さい。

 


アメリカザリガニ 2008.8.16  撮影:今駒清則

 日の暮れまでまだ時間があるので近隣の農村歩きをしました。水路にアメリカザリガニがいっぱいいて農薬などが控えられていることがわかります。子どもの頃は良い遊び友だちで、釣ったり捕まえたり飼ってみたりと身近なものでしたがザリガニにとってみれば迷惑千万なことです。
 一時期なかなか見かけない時がありましたので戻ってきたのは歓迎ですが、お百姓さんにとっては歓迎できない動物ですから、その辺の兼ね合いが難しいところです。ただ最近の子どもはザリガニの存在も知らないようですし、あまり興味も無いようにみえます。
 夕焼けになるまで待ってと思っていましたが黒雲と雷鳴が近づいてきましたのでそこで退散した一日でした。

 


 


満月 2008.8.17  撮影:今駒清則

2008年8月17日、日曜日
 お盆の間は湿度が低く暑さが少しマシでした。この様子なら今年も仕事場で時々エアコンを点ける以外は家では一切使わずに夏を過ごせそうです。体が暑いのに慣れていると新幹線、ショッピングセンター、また会議などエアコンの効いた所に出かける時は防寒用の上着やセーターを必ず持参しないといけません。外気温33度+位の時の自動車のエアコン設定温度は29〜30度にしています。
 一昨年までは駐車後で車内が暑くなっている時以外は窓をフルオープンにしエアコン無しで走っていましたが、それだと空気抵抗が強くなってエアコン使用よりも燃費が悪くなるそうなので、窓を閉めてエアコンを使うようにしました。なおこの夏の室内の最高気温は33度、最低気温は28度と我が最高最低温度計は示しています。

 


 

2008年8月19日
 またまた集中してしている勉強でこの更新もままなりません。というより勉強の方が面白いのです。デジタルワーク、それに歴史、共に奥が深いですね。

 


 


夕焼けひとり雲 2008.8.20 撮影:今駒清則

2008年8月21日
 相変わらずデスクワークで一歩も外に出ていません。累積している仕事も片付けたいのでしばらく動けそうもありませんが、地蔵盆には取材を予定しています。

 つけっぱなしにしているテレビから北京オリンピックの中継が届きます。すべてを見たいのですが仕事が止まるのでそうはいきません。でもソフトボール決勝戦は昨日の準決勝戦と共にまるまる見ました。2日間3試合を連投した上野投手の精神的な強さに特に感動したからです。前回オリンピックで文字通り優勝が手からこぼれ落ちた残念なシーンがまだ強く眼に残っていたせいもありますが、なんとか優勝の悲願をかなえられるように応援しました。結果は一度も勝てなかった相手に勝って優勝。上野投手だけでなくチーム全体の集中力も素晴らしい試合でした。

 日常を練習につぎ込んだ集積を一回の試合に集中し、力を出し尽くした結果は時の運でもあります。もちろん勝つに越したことはありませんが、それよりもそこに至るまでの過程が力の美になって表されるスポーツは素晴らしいものですね。

 冷たい大気が流れ込んできたのか天候が不安定で雲がさまざまに変化します。夕焼けも毎日見られるようになりました。秋めいてきて夏も終わりに近づいたようです。

 


 

アロエの花

 

アロエの花が終わりました  撮影:今駒清則

2008年8月22日
 不夜城というアロエの花が枯れて花茎の先はブラシのようになっています。花茎は3本に分れて全体の高さは1.5mほどあります。このアロエはもう5年以上になり沢山の子吹きをして子、孫が沢山います。最近痩せてきて色も悪くなりもうそろそろ引退の時期かな、と考えています。

 


 

大和の「つくりもの」 3  三吉の「立山祭」

 


大垣内の「立山祭」 手書きのポスター 2008.8.24    撮影:今駒清則

 

2008年8月24日
 「つくりもの」探訪が続きます。

 8月24日の地蔵盆に広陵町三吉(みつよし)大垣内地区では地蔵堂を中心に「立山」と呼ばれる「つくりもの」が出ます。

 


大垣内の「立山祭」 地蔵堂 2008.8.24  撮影:今駒清則

 この三吉付近は古墳が多くなだらかな丘陵に古墳が続きます。三吉は北から斉音寺、赤部、大垣内の集落があり、大垣内地区は272所帯、人口804人(2008年7月現在)で比較的大きな集落です。その中央に見立山専光寺と呼ばれている地蔵堂があり、地蔵堂へ向かう坂道には夜店の露店が並び、夕刻になると近在からも地蔵堂へお参りする人々で賑わいます。

 


大垣内の「立山祭」 地蔵堂へお参り 2008.8.24  撮影:今駒清則

 今年は4ヶ所に「立山」が造られました。地蔵堂にある旧公民館にも「立山」が造られています。地蔵盆の地蔵堂を準備することから「立山」の作製まで青年団の方々の奉仕によるものです。

 この行事は広陵町指定文化財に指定されていて、地蔵堂にあった説明板からその一部を転載いたします。

「・・・公民館、近年新築した家、嫁取り、婿取りをした家などを会場として披露を兼ねて、その年の話題を担ってきた事件や有名となった人物を取り上げ、おもしろおかしく飾り付け、人々に話題を提供しようとするものである。・・・この行事の由緒は江戸時代に疫病がはやり、身代りとして立てた。また、中世「見立山武士」と呼ばれた土豪細井戸氏が元禄年間に武士の名残を偲んで武者人形を立てたのが始まりなどと語り伝えられている。・・・」

 


大垣内の「立山祭」 Y氏宅玄関の立山 「星野仙一監督」 2008.8.24  撮影:今駒清則

 お祝い事のあったお宅では大きな玄関に幕を掛け、マネキンを利用して話題の人物を飾っています。
 Y氏宅は北京オリンピック出場の「星野仙一監督」で、ユニフォームのストライプや、似せた顔は手作りの労作です。

 


大垣内の「立山祭」 U氏宅玄関の立山 「北島康介選手」 2008.8.24  撮影:今駒清則

 またU氏宅は水泳金メダリストの「北島康介選手」で、水着姿に金メダルをかけています。玄関の戸は開けてありますのでどなたでも自由に見られますが、玄関にスックと一体の水着人形が立っているのは実に不思議な光景でもあります。

 


大垣内の「立山祭」 公民館の立山 「福田・木村総理大臣」 2008.8.24  撮影:今駒清則

 厳島神社北の新公民館入口には「福田康夫総理大臣」とSMAPの「木村拓哉総理大臣」が並び立っています。テレビドラマ「CHANGE」がテーマ。福田内閣の支持率が20%を切っている時にドラマの視聴率は23.8%だったとかの話題もあって風刺も込められているのでしょう。

 


大垣内の「立山祭」 地蔵堂の立山 「篤姫」 2008.8.24  撮影:今駒清則

 地蔵堂はNHK大河ドラマの主人公「篤姫」の出し物、隣にいるのは将軍家定ということでしょうか。豪華な衣装は婚礼の貸衣装屋さんの協力によるもの。家定の家紋が「葵」でなかったのがチョッピリ気になりましたが。
 三吉の「立山」は人物だけのもので、今年は誰が主役になるのかな、というのが見ての楽しみですが、このスタイルが昔からそうだったかどうかはわかりません。しかしそれが今では特色のある「つくりもの」になっています。

 


 

大和の「つくりもの」 4  八木「愛宕祭」の「造り山」


愛宕神社の屋形1 橿原市八木町 2008.8.23  撮影:今駒清則


愛宕神社の屋形2 橿原市八木町 2008.8.23  撮影:今駒清則

2008年8月24日
 「つくりもの」の探訪です。橿原市の八木町付近で8月23日から25日の「愛宕祭」に「造り山」が出ます。
 「愛宕祭」は町内の防火、火伏せを願って京都・愛宕神社の「愛宕大神」を祀った屋形や祭壇を、この3日間だけ町内の通りに面して造ります。
 屋形を組み立てて屋外に出すもの(屋形1)と、家屋入口に青竹で鳥居を造り商店などの屋内に祭壇を造るもの(屋形2)に大別されますが、いずれも「愛宕大神」の掛軸にそれぞれ工夫をこらしたお供え物を飾ります。
 私が数えたところでは今年は旧町内(北八木町1?3、八木町2?3、南八木町2?3)で22ヶ所ありましたが多少の見落としはあるかもしれません。なお愛宕神社へは代表が祭の前に参拝して「火迺要慎」
(ひのようじん)のお札をいただき、各戸に配られて火を使うところに貼られます。

 


古い町並みと屋形 橿原市北八木町 2008.8.23  撮影:今駒清則

 平城京の朱雀大路から一直線に南下する古道「下ツ道」(中街道)がこの八木の町の真ん中を通り、また町の中央を東西に通る「横大路」(「竹内街道」の東方)が「札ノ辻」で交差する街道の町で、近世には伊勢参りでも賑わい今でも古い家並が軒を連ねています。

 「愛宕祭」の中心はその「札ノ辻」を中心とした旧町内で行われ、普段は静かな「下ツ道」の通りがこの祭の夜だけは注連縄を張り祭提灯を掲げた家並に屋形や露店が並び、また数ヶ所に「造り山」もあって大変な人出となります。

 


「愛宕祭」の「造り山」 「ブレーメンの音楽隊」  橿原市北八木町 2008.8.24  撮影:今駒清則

 今年の「造り山」は4ヶ所に造られていました。旧町内の北の端にあるのは「ブレーメンの音楽隊」と西洋物です。

 


「愛宕祭」の「造り山」 「ゲゲゲの鬼太郎」  橿原市八木町 2008.8.24  撮影:今駒清則

 伊勢参りの人々に振舞いをした「接待場」近くには「ゲゲゲの鬼太郎」の出し物。手作りのキャラクター物ですが良くできていて子どもたちを惹きつけていました。

 


「愛宕祭」の「造り山」 「八岐大蛇」  橿原市南八木町 2008.8.24  撮影:今駒清則

 JR畝傍駅東踏み切りの南の南八木町では「八岐大蛇」(やまたのおろち)の出し物。「つくりもの」では伝統的なもので、素盞嗚(スサノオ)が十束剣(とつかのつるぎ)を振り降ろしたり、大蛇の頭が動くなどこれもとても良くできています。ただし若い人たちにはこれが何のことなのか分らないようですし、中には大蛇を怖がって近寄って見られない子どももいました。

 


「愛宕祭」の「造り山」 「ウルトラマン」  橿原市小房町 2008.8.24  撮影:今駒清則

 旧町内南端の晩成小学校の校庭には「ウルトラマン」。動きは無く手作り感たっぷりですが等身大の迫力です。以前は小学校で盆踊りをしていたようですが今年は無く、遊具や電動汽車の乗り物などに人気が集まっていました。

 


 

大和の「つくりもの」 5


手作り感タップリの「ウルトラマン」立山 橿原市小房町 2008.8.24  撮影:今駒清則

2008年8月25日
 「つくりもの」は全国に普通に見られたものだったのですが、次第にすたれていって少なくなりました。
 大和では「立山」と言っていますが、いまはここに掲載した御所市東長柄の「天神祭」、橿原市八木町の「祇園祭」、広陵町三吉大垣内の「地蔵盆」だけになってしまったようです。
 地域の人々が今年の出し物の趣向を相談し、数日前から材料などを用意して当日の朝から組み立て、夕刻からの祭に公開するというように手間のかかるものですから、地域が昔ながらの共同体を保っている場合は何とか続けていける素地はありますが、高齢化している地域では実作業ができなくて断念せざるを得ないようです。
 また昔からの集落の周りに新しい住宅地ができ、それらと一体化されたためにコミュニティの人間関係が希薄となってできなくなっている場合もあるようです。それに「つくりもの」の持つ見せ物の要素が、現代の刺激性を求めて多様化したさまざまな見せ物に対して余りにも素朴なので関心を持ってもらえないことも大きな要因です。
 しかし実際に廻って見たところでは、少なくとも子どもたちには興味を持ってもらえているようです。これは婦人会がこころを込めて造った手作りのアニメキャラクターだから成功しているのですが、伝統的な趣向(神話や伝説、忠臣蔵や源平合戦など)や、時事風刺の「つくりもの」もぜひ伝えていって欲しいと思います。
 そこでこの「つくりもの」を伝え、復活していくためのボランティア活動の支援グループがあれば良いのになあと思いました。単純にイベントを請け負うのでなく、一定の大道具、小道具を用意しておいて地域の方々と趣向や施行を相談して造り上げる、そんな活動があれば地域活動の見直しや活性化にも役立つように思えます。

 


 

大和の「つくりもの」と農村歩き


稲の花 2008.8.24  撮影:今駒清則

2008年8月26日
 先の23日の話です。橿原市八木町の「愛宕祭」の取材に朝から出かけましたが、すでに愛宕神社の屋形や祭壇は準備されてあり、「つくりもの」の「造り山」もシャッターや戸板で覆われて内容が見えませんでした。前日までに全てが準備されていたようで、祭は今日からなのに夕方からの賑わいの事とて、町は夜店の露天商が荷物を下ろしたりするばかりでいっこうに祭の雰囲気は無く静まり返っています。あいにくの雨模様でご神燈にはビニールの覆いがかかり撮影もままなりません。旧町内を一通り巡って愛宕さんの屋形の位置を調べ、また旧町内の古民家などの風景を撮影、夕方のご神燈の明りが入るころから人出も多くなり撮影をしていましたが遅くになって大雨。「造り山」を撮影しないままに帰りました。

 翌24日、今日は広陵町三吉の地蔵盆で「つくりもの」の「立山」が出ます。それに出かけたのですが、その前に昨日の「造り山」を確認に再び八木町へ立寄りました。相変わらずの雨模様でもあり「造り山」の位置は2ヶ所しか確認できませんでした。また夕方に訪れることにしてそこから三吉へ。ここも準備が良くほとんどできあがっていました。夕方からの人出を待って撮影することにして、それまでを近隣の農村歩きすることにしました。

 田には稲の花が運良く咲いていました。ごく短時間しか見られないので早速撮影。村を一周りして最初の所に戻ると農作業をされていた方が声をかけてくれました。私の姿をずっと見ておられたようです。「こんな所でなにか写真に撮るものなんかあるのかい?」「はい、いっぱいありますよ。この細い道、常夜燈、道しるべ、お宮さん、民家、畦道の草花、それにいまの稲の花」と私。「ふーん、こんなところの写真を撮りに来る人は無いけれど。そんなもんかい」と、そこに暮らす方には日常の風景ですから珍しくも何ともないのでしょうが、「そんな」ものでもこころ静かに眺めると写欲が湧いてくるのが大和の農村の素晴らしいところです。私と同年配の方でしたが子どもの頃のこの村の話、いまの農業政策などなどの立ち話で小一時間。

 夕方になったので三吉に向かい地蔵堂付近や民家の「立山」を取材。その後また八木町へ車を走らせて残っていた「造り山」を探して撮影。日曜日でもあり雨も上ったので旧町内の下ツ道は夜店もあり歩くのも難しいほどの人出。また幾つかの愛宕神社の屋形も撮影させていただく。屋形をお守りしている地元の方が「うちのお供えは(他と比べて)どうだい?イモなんかあげてるけど他でもあげてるかい?」とお尋ねがあり、ついでに祭についてあれこれ立ち話。撮影半分、立ち話半分ですが、これが心地良いのと良い取材ソースでもあるのです。

 


 

豪雨

2008.8.29 岡崎市のアメダス時別実況値 (岡崎市HP)

2008年8月29日
 早朝のニュースで愛知県へ集中豪雨で被害があるとの情報、80歳で一人暮らしをしている叔母の住む岡崎市にも被害が。早速アメダスを利用した岡崎市の記録を調べて見ると午前2時に1時間146ミリという驚愕の降雨量。安否確認に早速電話するも不在の様子。全戸に避難勧告が出ているので避難しているのかもしれません。さらに詳細に調べるとハザードマップの居住地付近は青色(浸水地域)ですが、今回は被害は無い模様。
 午後に電話すると病院へ通院のため出かけていたとのことでまずは安心しました。夜中に滝のように雨が降り雷が続いて生きた心地がせず、お念仏を唱えて夜を明かしたとか。古い家だけど幸い雨漏りも浸水もなく良かったけど伊賀(川)の方はひどかったようでかわいそうだね、という話。もう一人の伯母も岡崎市ですが丘陵地帯に住んでいるのでそちらは大丈夫の様子。
 故郷の豊田市は岡崎市から15Km程しか離れていないのですが、同時間帯に時間21ミリの降雨なので局地的豪雨ということがわかります。周辺にもかなりの被害があったようですから被害に遭われた皆さまにお見舞いを申しあげます。(追記:後に正式記録は146.5ミリとされました)

 

2008.8.29 01:00 の「ひまわり6号」の水蒸気画 JST

 上の観測画像はJST(科学技術振興機構)利用の「ひまわり6号」が記録した日本付近の水蒸気画で29日午前1時の状況です。画面右に二つの雲の塊が見えますが、左が岡崎市付近、右は東京付近で、これが豪雨をもたらしたもののようです。岡崎市は8月1日から22日までは降雨ゼロ。23日0.5ミリ(1時間最大降雨量、以下同)、24日12ミリ、25日4.5ミリ、26〜27日ゼロ、28日27ミリ、そして本日146ミリと雨の少ない夏でしたが23日から雨模様で今日の豪雨になりました。

 大雨は時間20ミリあたりで大雨警報が出ますし、気象庁の「雨の強さと降り方」によれば20ミリ〜30ミリでも「土砂降りで側溝や下水、小さな川があふれ、小規模の崖崩れが始まる」という状況で、80ミリ以上になると「息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感ずる猛烈な雨」としていますから、146ミリというのはもう降雨というより水中という感じではなかったでしょうか。まだしばらく天候不安定が続くようですから気をつけたいものです。

 


 


雨雲 2008.8.29 16:55  撮影:今駒清則

2008年8月30日
 相変わらず低気圧の影響で悪天候が続いています。低気圧とはいえ台風の子どもですから気象状況に注意をするに越したことはありません。このところの涼しさに慣れましたが、この後残暑で日中はまた暑くなるのでしょう。

 


 


久しぶりの入道雲 2008.8.31 11:58  撮影:今駒清則

2008年8月31日
 秋の始まりのような快晴ですが、日本列島の周りは低気圧が4つ程も取巻いています。ですが遠くまで見えるクリアなお天気で、気象図からだけではちょっと想像できない良いお天気になっています。
 今日は二百十日ですが今年は台風が一つも上陸していません。やはりちょっと変な地球になってきているように思えます。

 気象庁で確認しますと、「西日本を中心とした高温と少雨」について『2008年夏の異常気象分析検討会』を8月に開きその内容を発表しました。原因は「北西太平洋を中心とした北緯20 度帯およびインド洋 西部赤道域で活発だった対流活動が影響した可能性が大きい。また、これらの対流 活動には、太平洋西部やインド洋の海面水温分布が影響しているものと考えられる」としています。
 また「夏(6-8月)の天候」の概況では「天候の変動が大きい」「局地的な大雨が発生」「平均気温は高かった」「西日本太平洋側、北海道、沖縄・奄美が小雨であった」としています。

 


7月 08年8月 9月