このサイトにあるすべての写真と文には著作権や肖像権があります。無断転載をお断りします。 写真家 今駒清則のお知らせページ HOME
11月1日、日曜日。朝は雲ひとつ無い青空、お昼から天気予報通り雨。この頃の天気予報は実に正確です。夕方には強い雨になりましたが、それでも夜にはあがり低い雲が街の明かりに照らされて真っ白に見えていました。雨とともに急に寒くなってくるようです。雨というのは雨降りに撮影しても写真にはなかなか写らないのです。小さな写真ではなおさらです。雨が見えるでしょうか。
2日、来ました、冬のはしりです。北の方からは雪便り。立冬は7日ですが大阪でもかなり寒く感じます。まだ寒さに慣れていないからでしょう。でもこれから紅葉の見頃になるのですが。
日中は少し寒いものの快晴、見事にクリアな視界で遠方もクッキリ。夕方生駒山の南から黄金色の満月が昇りました。神々しいまでの月の出です、夜半、中天にかかるころは見続けるのも難しいほど眩しく輝き、街中とは思えない空でした。 3日、祝日。昨日の冷え込みで各地の初雪を予想。朝、ライブ映像を見るとやはりあちこちで初雪でした。以下はそのライブ映像をキャプチャした写真をお借りしました。写真はライブカメラにリンクしていますので現在の状況が見られます。
今朝の白川郷萩町(衛星写真地図)、城跡からの俯瞰。かやぶきの屋根が白くなっています。白川村提供のライブカメラからです。
こちらは昨日のライブ画像、もう晩秋の白川郷です。お昼頃になると道には観光客があちこちに写り、右端の駐車場もいっぱいになります。すばらしい風景ですね。 高山も今朝雪が少し舞ったようですが、これは昨日2日の飛騨・高山市内(衛星写真地図)のライブ映像からです。右端遠くは宮川に架かる赤い中橋、その手前の筏橋のたもとにある銀杏が見事です。左上の城山の中腹、高山城の二の丸あたりの雑木が紅葉してきれいですね。手前の橋は手長・足長像が中央に飾ってある鍛冶橋で、近くにある朝市へ向かう方たちが写っています。飛騨も秋たけなわのようです。
大阪と奈良の境にある金剛山(衛星写真地図)のライブカメラからです。金剛山葛木神社提供のホームページにある積雪情報では薄雪だったそうです。
4日、来年15年となる阪神大震災関連行事の打合せに神戸へ出かけました。いつものように早めに出て付近をカメラ散歩。兵庫区にある兵庫大佛です。能福寺(衛星写真地図)にあり、奈良、鎌倉と並ぶ大佛さまと言われているそうです。明治に建立、戦中の金属回収で供出されお姿を消しましたが1991(平成3)年に再建、露座で自由に参観できます。この付近は平清盛が計画し遷都した福原の近くで、古来から大輪田泊で栄えたところです。史跡は多いのですが近代港と工場が多く、昔日の面影はまったく感じられないのが残念です。ただ寺社は多く近場ですのでちょっと歴史散策するのも良いところでしょう。
その後震災の定点撮影をしながらハーバーランド(衛星写真地図)へ。あの時からすっかり復興し、新しいビルもかなり建ち港もきれいになって観光船の出入りも多くなりました。
メリケンパークの「神戸ビエンナーレ」会場、コンティナごとにさまざまな作品が展示されています。ビエンナーレの展示はここ以外にもあちこちで展覧会が開かれています。
6日、散華(さんげ)は法要の時の行道などで散らされ、僧の指先から放たれた散華がひらひらと参拝者のところまでも舞ってくることがあります。散華は蓮の花弁をかたどったもので、一般には蓮の条線(筋)だけが描かれたものが多いようですが、大和の寺では著名画家が描いた華やかな散華が法要で使われたり、記念に配られることがあり、それらが私の手元にも幾つかあるので小さな額に入れて飾っています。
先日岡村印刷の岡村元嗣社長と久しぶりにお会いした時、氏の趣味である散華蒐集が「美術散華保存会」として本格的に活動をされておられることを伺いました。散華の普及を目的にNPO法人を目指しておられるそうで、「散華美術館」ホームページも一新され楽しいサイトになっています。写真はその時頂戴した同社で企画作成された木版風高級印刷の美術散華セットです。持ち前の技術を生かしてお仕事へも展開されておられました。
7日、今日は立冬ですが先の寒さからすれば暖かい日です。紅葉も少しずつ見頃になって来たのか、京都へは人出が多く阪急電車は座れなくて大阪から立ったままでした。大江能楽堂で喜多流「涌泉能」の撮影、「千寿」は高林白牛口二と友枝雄人、囚われの身の平重衡と千寿の出合いと別れを描いた曲です。他流では「千手」となっています。もう一曲は「是界」、高林呻二と息・昌司、三代の舞台でした。
8日、日曜日。昨夜は疲れていたのか早寝、おかげで日の出前に起床したので見事な朝焼けが撮影できました。 9日、今年のコスモスを求めて出かけました。昨年は大阪・淀川河川敷の「十三摘み草苑」(昨年11月1日の「近況」に掲載)でしたが、今日は尼崎市の武庫川河川敷にある「髭の渡し」のコスモスです。
「髭の渡し」とは珍しい呼び名ですが、かって西国街道にあった渡し場のことです。京を発ち昆陽(こや)宿(伊丹市)を過ぎると武庫川を渡ります。ここには橋が無かったため徒行渡りか水量の多い時は渡し舟で渡りました。西国街道は昆陽付近では国道171号線にほぼ沿っています。ただ国道は武庫川付近に来ると髭の渡しの下流に架けられた甲武橋を渡るために西昆陽(尼崎市、衛星写真地図)で南へ大きく曲りますが、西国街道は直進し武庫川へ出て髭の渡し場(衛星写真地図)に至ります。堤防を下りるとすぐにある大きな樹の下には常夜燈や行者堂、祠、五輪塔などがあり、とても雰囲気があります。川を渡る前、渡った後にお参りし一服、というところだったでしょうか。常夜燈には「奉 天下泰平 西昆陽村/大乗妙典六十六部日本廻国供養/納 日月清明 行者□□□/文政元年」と刻まれ、各国の霊場に法華経を納めて巡り成就した西昆陽村の六部が奉納したことが刻まれています。そしてコスモスはこの左右の河川敷に植えられています。(文政元年は1818年)
明治の地形図に現在の道路や学校の位置を正確に重ねてみました。西国街道の道筋は江戸時代とほぼ同じと思われます。衛星写真地図と比較してご覧下さい。
川辺に出るとここにも行者さまをお祀りしています。渡し場はこの付近らしく、川向かいは報徳学園。そこから西国街道は住宅街の道になって西宮宿へ続いています。この河原ではかって武士たちも裾をからげ、蓮台などに乗った西国大名がここを渡り、旅人も着物を干し髭の茶屋で一服したことであろうと大きく開いた空のもとでのんびりと空想。
さて、コスモスはこの渡し場の河川敷いっぱいに広がっていて、多分このあたりでは最大の規模でしょう。川向こうには六甲の山並みが霞んでいました。
キバナコスモスはこれから、といったところですがこれはこれで美しく楽しめます。
いつもは部屋にいることが多いお年寄も介護を受けてお花見、明るい陽射しと青空のもとで気持ち良さそうです。
平日なのに多くの人たちが訪れています。ちょっと密生していてあのコスモスの葉のやさしい緑とのコントラストが楽しめないのと、可憐な花なのにこれだけ群になると圧倒されます。贅沢な思いでしょうか。
11日、明け方、雷と強い雨でしたが普通の雨の日になりました。雨で予定していた撮影ができないので、以前から調べていた二ヶ所の集落をロケハンに行きました。撮影はしないで地図とメモをもとに歴史的な名残を求めて歩き観察です。両方とも映像化は難しいようですが歴史的には興味深いところが幾つかありました。現地で分からなかったことや疑問に思ったことをもう少し調べた上で再度出かけてみるつもりです。
14日、舞台撮影で豊田市へ。いつものように早くに出かけます。名神高速道路は10Kmの事故渋滞なので名阪道路から伊勢湾岸自動車道に。名阪自動車道は天理からの大和高原が霧の中、亀山までゆっくり走ります。時間はたっぷりあります。
伊勢湾岸自動車道で飛島付近にさしかかるとバスケットに乗って高圧線の保守作業をしているのを発見。相当な高所作業です。一度あれに乗ってみたいものです。
豊田市に予定通り早くに到着したので、休憩後に家の墓地へ墓参り、入口には六地藏と子どもを抱いたお地蔵さまがおられます。子どもは蓮の実?を持ちます。子安地蔵さまでしょうか。なかなかの秀作です。 豊田市能楽堂の公演は金春流「道成寺」、シテ本田光洋。金春流の「道成寺」は他流と違って見せ場が多いもの。乱拍子のほか鐘入りでは落ちてくる釣鐘に外から飛び込む型があります。本日の鐘入りもそれで見事に決めました。他流では鐘の下に入っていて跳び上って鐘入りするというものです。100キロを超える釣鐘に入り損ねれば大変なことになるので鐘後見(鐘を落とす後見)も重要な役です。 日帰りの帰途、休憩にパーキングエリアのコンビニで缶コーヒーを持ってレジへ並びました。そこでこんなことが。 前に並んでいる人、タバコのショーケースの方を指さす。 レジの女の子: お名前を・・・ 前の人、私を振り向いて見る、訳が分らない様子。そうでしょう。タバコを買うのに名前を名乗らなくてはならないなんて。 私: あのー、銘柄のことでは・・・ で、私の支払いの時に 私: 「お」をつけて・・・、タバコに「お名前」って言わないのでは? それ以上はあきらめました。今日の実話です。
15日、日曜日。奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡(衛星写真地図)で3世紀前半の大型建物の跡が発掘され、卑弥呼の邪馬台国ではないか、と論議を起こしている遺跡の現地説明会に出かけました。纏向遺跡の詳細は桜井市ホームページの「文化財情報」や、いずれ掲載されるであろう「現説公開サイト」におまかせしますが、三輪山、巻向山を背景に、巻向山から西へ一直線に整然とプランされ、柵に囲まれた宮殿と考えられる大形建物と複数の建物跡です。近くには最古級の前方後円墳とされる纒向石塚古墳や、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳があり、以前から大規模集落遺跡として発掘調査されてきたところで今回は第166次になります。今回の発見で邪馬台国かどうかは別として、古代の文化が相当に遡れる可能性があり、歴史を大きく塗り替えることになる地域です。
遺構には土器類も散見できますがここについてはまだ未整理の状況とのことです。
発掘現場近くに受付があり、今回と以前に発掘された遺物が展示されています。写真は第162次調査の時の遺物ですが、右端に五徳(ごとく)の脚の部分も補修されて展示されていました。
この受付付近は以前に発掘した跡の空き地で、そこに多数の見学者の列ができています。昨日と今日で1万人もの見学者を予測しているとかで現地の関係者の対応は大変です。いつも発掘の見学会では年配者が圧倒的に多いのですが、今日は日曜日とあって家族づれや「歴女」と呼ばれるようになった女性の見学者も交じり、粛々と見学の時間待ちをしています。さすがにここまで来られる方々なのでマナーも良くじっと待っておられるのですが、寒風が吹く寒空の下で1時間半ほど並ばされているのはどうかと思います。整理券方式にすれば指定された見学時間まで数多くある近隣の古墳や遺跡などの探訪を自由にでき、また付近の商店(あまり無いのですが)や出店などで食事や休憩もできるので長時間の待ち時間を有意義の過せるのですが、並ばされていたのでは何もできません。またこの寒さでは体調へも良くないことでしょう。この歴史的大発見の現地には、まだこういった説明会などがあると思われますので今後の改善をお願いしたいと思いました。
この発掘現場はJR桜井線の「巻向」駅に隣接しています。普段は無人駅で乗降も少ないのですが、今日はプラットホームに入りきれないほどの見学者で溢れ、数人の駅員が整理や切符の販売をしています。多分駅始まって以来の人出ではないでしょうか。JRは臨時列車を数本増発したそうです。(桜井線はローカル線なので電車は古く最近では珍しいトイレのある車両です。主要駅以外は無人駅で、ワンマンカーのため最前列車両しか乗降できません。)
ここに報道ヘリが数機飛んできて撮影を始めました。発掘現場の写真はすでに既報ですから、ここでは未曾有とでもいう見学者の人出の列と発掘現場を同画面に入れて撮影したいからでしょう。そのうちの一機が低空飛行で10数回も見学者の列の上を旋回して撮影をしていました。同業ですからどうしても取材したい気持ちは分かりますが、農地が広がっているとはいえ人家も多い(衛星写真地図)ことであり、他社機は高度を保っているのですから、近隣への安全や騒音などに配慮してここは我慢すべきではなかったでしょうか。
16日、昨日の纏向遺跡見学の後に奈良へ。興福寺境内は阿修羅像の堂内公開で長蛇の列。紅葉狩の人たちであふれています。まずは入江先生のお墓へお参り。風が冷たくもう日も傾いてきましたがその足で私の好きな大佛殿裏(衛星写真地図)へ向かいます。銀杏の大木がちょうど見頃です。正倉院から大佛池にまわればだれでもきれいに撮れる撮影スポットがあります。そこでまず一枚。
この銀杏のまわりをいつもカメラマンが取巻いています。銀杏の絨毯の上に鹿を呼んで撮影するのが定番です。ここには人を惹きつける何かがあるようです。
春日山から幾筋にもなって流れてくる小川が大佛池へも注いでいました。静かな時間が流れている大佛殿裏です。
18日、15日の撮影に軽装で出かけたためちょっと風邪気味。本格的に風邪をひくと一月ぐらいグズグズする体質なので早いめに休息して慎重にしていましたが、少しましになってきたようなのでちょっとJPS技術研究会に出かけました。テーマは中型デジタル一眼レフカメラの
PHASE ONE と、デジタル現像ソフトの
Capture
One 5 のデモで、同時に関連業務用デジタル機器の情報蒐集です。
19日、今日も慎重を期して休み。寒気団の為か雲がいろいろ変化し、早朝の朝焼けをはじめ雲が終日きれいでした。
20日、もう20日になってしまった、と言うほど月日が速く過ぎます。幾つかの仕事の締切が近づくとこれが一層切実な思いになります。
21日、新しくきたカメラが超高感度で撮影できるので時々テストしています。大口径のレンズを使えば街路灯のある夜の歩道でも1/250秒のシャッターが悠々と切れます。まだ掲載できる写真は無いのでいずれです。上の写真はISO800でF2.8、1/30秒なので沈む月や排煙がブレていません。ISO800ですが画質は以前より良く、この感光度でも常用できそうです。
22日、日曜日。天気予報では午後から雨、ということですが朝はところどころに青空が見えます。しかし雲には光芒が、雨雲のようです。それで折畳傘を持って外出です。
毎月開催される京都の金剛定期能の日です。阪急の特急は混雑していて座れなかったのですが桂駅で半分ほどの方が下車し少しですが座れました。紅葉の名所・嵐山への行楽なのでしょう。京都には早くに着いたので京都御苑(御所)を散歩、ところどころに紅葉がありますが銀杏は青い葉から落葉しているものまでさまざまです。隣同士でも違うのですから種類が違うのか個体差なのか、どうなのでしょう。
23日、休日。朝は濃霧、大阪の市街地では珍しい現象です。しかしこれだけの霧になると写したいものまで見えません。それに街中ではあまり情緒のあるものは無いし。少し晴れて銀色の太陽が見えるようになったので輝く霧でも写してみました。それでも9時過ぎに霧はすっかり晴れて青空が広がりました。紅葉狩には絶好ですが締切近しのデスクワークの一日です。
24日、高いビルからゴンドラを降ろし外壁を清掃していました。ウエスで手拭きです。これで外壁全面が清掃できるのかちょっと心配な気もしますが「餅は餅屋」ですから余計な心配をすることはないでしょう。
25日、デジタル写真を処理しながらプロジェクトの構成を考え、まとめるのに試行錯誤している毎日です。本当は紅葉の撮影に出たいのですが「締切日!」というものがあります。なんとしてでも間に合わせなければなりません。
落葉が今日の暖かい陽射しの中で輝いていました。昨年の今頃、鮮やかな色をした桜の落葉を撮影するつもりで集めておきながらそのままになってしまい、今は褐色の枯れ葉になっています。今年も集めて必ず撮影しなければ。
26日、阪神高速道路で中之島付近のカーブにさしかかるとビル群にポッカリと空いたところがあり、西梅田付近のビルが通して見えます。肥後橋北詰(衛星写真地図)の朝日新聞大阪本社(写真左)の東向にあった新朝日ビルとフェスティバルホールが解体されて姿を消したからです。それで時々通る時に不思議な感覚になることがあります。
散歩に海近くに行ってみました。汽水域の川を小さなボラの子が無数に走り回っていました。何千万か億という数ではないでしょうか。いつまでもいつまでも列が途切れることなく続いています。水面でなく水面下1mほどを泳いでいてわかりにくいのでフラッシュを入れて魚体を光らせてみました。
27日、大阪狭山市(衛星写真地図)の狭山池博物館で開催している「狭山池復活」展が終わりに近くなったので久しぶりに出かけました。狭山池の傍にあるこの博物館の設計は安藤忠夫氏、施設全体は優れたもので好感が持てますが、博物館の内容とはミスマッチ。それと黒川紀章氏設計の入江泰吉記念奈良市写真美術館と同様に、美術館・博物館の建物の上に池や水槽を設けるのはいかがなものかと思います。
博物館入口には古墳の石棺を転用した狭山池の石樋が展示してあります。またこの地で生まれ育った偉大な考古学者の末永雅雄氏を顕彰した胸像が出迎えてくれます。
この狭山池は飛鳥時代に築造され1,400年もの歴史を持つ灌漑池で、南河内の水甕として大阪の歴史に重要な位置を持つものです。狭山池博物館はこの狭山池に特化した博物館で全国的にも貴重な存在です。ここの重要な展示品の一つに北堤をスライスして堤の断面がわかるようにした巨大な実物展示があります。
展示は狭山池関連に限定されていましたが、もっと地域を拡大して河内の農業関連をも網羅した博物館になればとても素晴らしい博物館になるのではないかと思います。文化・芸能に理解が薄い橋下大阪府知事の「平成の文化大革命」でこの博物館も「風前の灯火」だったのですが、地元とボランティアの力でなんとか存続しています。実に困った知事です。
昨日のボラの子が面白かったので夜に撮影に出かけました。日中は鳥の攻撃を避けるために深いところにいるのですが、夜間は水面に浮くことは分かっています。真暗な水面を適当にカメラを向けストロボを焚いて撮影。案の定きれいに写りました。凄い数です。カメラをどこに向けてもこの状況です。カメラのモニターを見るとボラの下にはセイゴ(関西ではスズキの若い時をセイゴ、ハネと呼びます)が沢山寄ってきています。ボラの子たちを狙っているのでしょうか、ボラの子が逃げています。夜遅くまでこれに熱中。ほかにもいろいろ面白い写真が撮れました。我ながらいろいろなものを写すものです。
28日、昨日出かけてしまったので締切近しの仕事に専念。間に合うかな。
30日、相変わらずのデスクワーク、集中してます。この数日は沈む太陽がとてもきれいです。 |
10月 | 09年11月 | 12月 |