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近況 2010年2月


珍しく濃霧

霧の街 2010.2.1 02:09 撮影:今駒清則

2月1日。夜中に外一面が真っ白。濃霧で近くの街路灯や建物の灯しか見えません。霞んでいるのは街の灯で霧が白くなったものでした。


A&Hホールシリーズ公演 「古典伝統芸能と出会うひととき」

大和座狂言

狂言「左近三郎」 井上放雲 安東伸元 A&Hホール 2010.2.1 撮影:今駒清則

 豊中市の千里中央にあるA&Hホールでのシリーズ公演「古典伝統芸能と出会うひととき」の大和座狂言へ。今回のテーマは「狂言の行く先は?」です。狂言は「左近三郎(さこのさむろう)」と「棒縛り」の上演、狂言研究家の重鎮・小林責氏「狂言の可能性」の講演でした。演者は大蔵流狂言師・安東伸元氏が指導する方々。「左近三郎」は猟師が出家に無理難題を言い脅しますが、問答するうちに打解けて仲良くなるという物語。小林責氏の講演は狂言の過去未来を幾つかの事例を基に鋭く分析した優れた内容。

大和座狂言 新春の祝歌 歌唱演習 A&Hホール 2010.2.1 撮影:今駒清則

 最後に「歌唱演習」として舞台上と観客が謡曲「羽衣」のキリ(最終部分)を合唱するという珍しい公演でした。安東氏の豊富な能楽教育経験から生まれた企画でしょう。かって大阪で「申楽大和座」という中堅の能楽師たちが、種々の公演を通して、当時としては画期的な能楽啓蒙活動を行っていました。解散後もその一員の安東氏がこの主旨を継続して活動されていることに敬服。実はその活動を私も多少お手伝いしたことがあり、長いお付合いでもあります。公演後遅くまで小林氏、安東氏を囲んで関西の能楽研究家と懇談。貴重な一日でした。


朝の月

朝の月 2010.2.3 07:30 撮影:今駒清則

3日。朝は快晴、西の空に更待月。このごろ日の出に赤く焼ける富士山を楽しみに毎朝山中湖村ライブカメラを見ているのですが、この月が富士山の右肩にかかっていました。時空間を超えて楽しめるライブカメラです。


ちょっぴり日暈

日暈 2010.2.4 10:23 撮影:今駒清則

4日。立春です。早春らしい写真を、と思ってましたが今日中に発送しないといけない原稿でカンズメ状態で散歩も撮影も出られませんでした。
 朝太陽の周りに日暈
(かさ)が薄く出ていました。見えるでしょうか。


大和街道(古堤街道) (その2) 京橋駅付近

寝屋川とOBP 2010.1.9 撮影:今駒清則

5日。大和街道(古堤街道)は古くから鯰江川(2)沿いに通じていたのですが、後に片町から野田橋を渡らずに東へ直進し、寝屋川(古大和川)沿いに通る道も盛んになり、これも大和街道と呼ばれるようになりました。写真は片町(左)から見た大阪ビジネスパーク(OBP)です。合流している川は、左側が寝屋川(古大和川)(1)、右側は第2寝屋川(平野川・猫間川)、右端は大坂城の石垣です。

1929(昭和4)年の地形図に赤色で現在の建物と鉄道を着色 作成:今駒清則

 1929(昭和4)年の地形図を再掲します。現在の衛星写真地図と比較してご覧下さい。

鯰江川の跡 ダイエー西側の道路(東から西を望む) 2010.1.9 撮影:今駒清則

鯰江川の跡 ダイエー西側の道路(川の位置を表示) 2010.1.9 撮影:今駒清則

 その鯰江川(2)は埋め立てられて道路になりました。写真の道路はその鯰江川の跡です。ダイエー(13)の西側、京阪京橋駅(12)との間で、地図の(2)の番号の位置になり、かって荷揚場、また船溜りがあったと思われる川幅が広くなっていた所です(川の位置表示は厳密な考証でなくイメージです)。京街道、大和街道(3)は右の高架下付近を通っています。

旧鯰江川に架かる橋梁(東から西を望む) 2010.1.9 撮影:今駒清則

旧鯰江川に架かる橋梁(川の位置を表示) 2010.1.9 撮影:今駒清則

 道路はかっての鯰江川(2)で、そこに架かっている鐵道の橋梁(10)です。鐵道は明治28年に開業した梅田鐡道で、現在はJR大阪環状線。この上部はJR京橋駅(9)です。レンガと石造の橋脚は今は白い塗料が塗られていてちょっと残念です。

鯰江川橋梁のプレート 2010.1.9  撮影:今駒清則

 この橋梁へ塗装を施したプレートには「鯰江川橋梁」とありました。川は無くなってもその名前は残っています。道路は間違いなく鯰江川が流れていた跡です。

大和街道 鯰江川橋梁を潜る(東から西を望む) 2010.1.9  撮影:今駒清則

 その北側の狭い道路、つまり鯰江川の土手道で大和街道(6)です。京街道から分岐した大和街道(古堤街道)が鐵道(JR京橋駅)の下を潜っています。こちらのプレートも「鯰江川橋梁」とありました。写真の奥が京阪京橋駅(12)方向です。(続く)


web 白川郷ライトアップ

白川郷ライトアップ 白川村 ライブカメラから 2010.2.6 17:48

6日。冷え込んで大阪にも時々雪雲らしい雲が来ますが雪は降りませんでした。各地のライブカメラを見ると日本列島の東や北の方では雪が沢山降っていて、中にはカメラが雪で隠れたのか見えないところが幾つかありました。飛騨高山も雪降り、今日の白川郷は夕刻からライトアップがあるので雪を心配していたのですが、日中は降っていたものの夕方には止み、新雪で合掌造りの屋根も白く絶好のコンディション。白川村ホームページのライブカメラはその様子を写し出していました。
 ライブカメラは萩町の城跡からの展望で、中央の和田家
(重文)前の道路は点灯の一時間程前からカメラマンで黒山の人だかり。道が黒い帯のようになっていました。ライトアップは2月20日までの土・日曜日、午後5時半〜7時半です。明日は日曜日ですからお暇な方はどうぞご覧下さい。


大和街道(古堤街道) (その3) 京橋駅付近 蒲生墓地

7日、日曜日。大阪は穏やかな日和です。

 京阪京橋駅(12)南の京街道の分岐点からJR大阪環状線・京橋駅(10)を越えて大和街道(古堤街道)(6)を東へ向かうと北側に蒲生(がもう)墓地(7)があります。江戸時代に観音さま巡りと同様に、大坂三郷の周りに造られた七つの墓地を7月16日前後に巡って供養する七墓参りという風習があり、その大坂七墓の一つの墓地です。大坂七墓とは梅田墓地、南浜墓地、葭原(吉原)墓地、蒲生墓地、小橋(おばせ)墓地、千日墓地、鳶田(飛田)墓地で、現存するのはこの蒲生墓地と南浜墓地だけで、他はすべて移転しているので歴史的に貴重な存在です。(大坂七墓の衛星写真地図

蒲生墓地と大和街道(古堤街道) 2010.1.9 撮影:今駒清則

 蒲生墓地は鯰江川(2)北岸の土手(堤)の上を通る大和街道(6)の北側にあります。墓地のさらに北側は明治時代頃まで水路があり、田畑が広がっていました(この項のその1にある1887(明治20)年旧版地図を参照)。その水路は現在生活道路になっています(地図に水色点線で表示)。大和街道のこの先は蒲生、今福と続き生駒山へ向かっています。

蒲生墓地と大和街道(古堤街道) 墓地から街道を見る 2010.1.9 撮影:今駒清則

 墓地へは土手を通る街道から下へ降りて入ります。墓地の様子は古地図と余り変わりがありません。墓地の南側を見ると大和街道が鯰江川の土手を通っているのが良く分ります。

蒲生墓地の六地蔵さま 2010.1.9 撮影:今駒清則

 墓地の入口付近にある六地蔵さまです。1813(文化13)年とあり、子どものような可愛らしいお姿です。

蒲生墓地のお迎え佛さま 2010.1.9 撮影:今駒清則

 墓地の東側、一番奥のお堂に安置されている阿弥陀如来さま。極楽からのお迎え佛です。灯明の油煙で煤けていて信仰が篤かったことがわかります。お顔や全体の造りから先の六地蔵さまと同時に造られたのではないかと思われます。

蒲生墓地の教訓墓石 2010.1.9 撮影:今駒清則

 ここの墓石の一つに判じ物を刻んだお墓がありました。「人ニハ|一」と刻んでいます。大阪ではたまに見られるものですが、「人には辛抱が第一」すなわち「金」になる、というもので大阪らしい人生訓です。お墓参りに来た子孫はその度にご先祖さまの教訓を承ることになる訳で、案外良い方法かも知れません。


廃 線

阪和貨物線跡 大阪市東住吉区内 2010.2.8 撮影:今駒清則

8日。自動車でJR阪和貨物線の踏切跡を通り過ぎる時に、レールや枕木、ほか鉄道施設が撤去されているのを見かけ、車を停めて付近を撮影。廃線になると聞いてからもレール磨き電車が時々走っていたのですがそれも止まり、そのうち踏切には軌道側にフェンスが張られて自動車は一旦停止をしなくても良くなり、今は踏切だけにレールが残された風景になりました。延々と延びる何も無くなった軌道跡は意外に広く見えます。撤去工事は昨年の秋から始まったようで、そのうちにこの踏切跡のレールも無くなることでしょう。なので廃線マニアには今が絶好のチャンスです。
 参考:国土交通省 近畿運輸局 西日本旅客鉄道株式会社 阪和貨物線(八尾〜杉本町間)の廃止について(PDF)
    撮影地の衛星写真地図


暖かい日

チューリップ 2010.2.10 撮影:今駒清則

10日。日中は暖房のいらない暖かい日が続きます。もう何年も球根を採っておいては植えているチューリップが伸びてきました。小さな球根でも一所懸命に芽を出すので捨てては可愛そうで植えてあげます。それらは花茎も出ない葉だけのチューリップになりますがそれも良し。いつかは花が咲いてくれると信じています。世の中と同じで彼らのさまざまな生き方を見守りたいと思ってます。

 この「近況」にいろいろ書いてきたのを、読みにくいので少しまとめたらどうか、とメールを頂きました。その通りで、何回かに別れているのは自分でも探すのが大変です。とりあえずまとめたものを仮開設しました。こことは別サイトにして、名付けて「なごりすとのページ」です。「なごりすと」とは歴史の残欠から何かを見て行こうという「名残スト」です。そのような名称は無いのですが私が名付けました。これから徐々に整えてまいります。


空模様

波状雲 2010.2.12 撮影:今駒清則

12日。めまぐるしく雲が変わる一日でした。写真の波状雲は大きくは広がらなかったのですがきれいな姿を見せてくれました。空の大気が微妙に動いて造り出すもので、水面にできる波と同じようなものです。


バンクーバー 冬季オリンピック

バンクーバー 1999.2.16 撮影:今駒清則

 13日。今日から冬季オリンピックがバンクーバーで始まりました。雪上、氷上のスポーツは大好きでこれから楽しみです。1988年のカルガリー冬季オリンピックの時に行ってから何回もカナダへはスキーに行っているのですが、バンクーバーは乗り継ぎをするだけで街へは数回しか行っていません。スキーはいつもカナディアンロッキーの東のバンフ付近に行くので、今年の会場となるウイスラーのスキーエリアへも行ったことはないのですが、バンクーバー空港でウイスラーへ行ったスキーヤーにお聞きすると意外に雪が湿っているそうです。そういえばバンクーバーは雨の多いところなので、山へも太平洋の湿った風が吹きつけて湿った雪になるのでしょう。バンフの方はカナディアンロッキーを越えてくる間に乾いてしまうので完全なパウダースノーです。
 写真はバンクーバー国際空港を飛び立ってすぐに見えるバンクーバー市街
衛星写真地図です。手前の緑地はランガラ・ゴルフコース。その向こうがダウンタウン。その向こうにウイスラーなどが見えるはずですが残念ながら雲に隠れています。

バンクーバー国際空港で航空機に凍結防止剤を散布 1996.12.24 撮影:今駒清則

バンクーバー国際空港で航空機に凍結防止剤を散布 1996.12.24 撮影:今駒清則

  1996年12月は猛烈な寒波と雪でカナダ西部は凍りました。バンクーバー国際空港でも雪。飛行機にピンク色の凍結防止剤を吹きつけるのにおおわらわでした。


- 40°C のスキー

カナダ・スキーエリアのテレビ情報。バンフの気温は 摂氏-33° 1996.12.20 撮影:今駒清則

15日。始まったバンクーバー・オリンピックにちなんでカナダスキーのエピソードを。
 バンフ
衛星写真地図でいつも泊まるホテルのテレビで、バンフの気温が摂氏マイナス33度と知らせていました。サンシャインヴィレッジスキーエリア衛星写真地図に出かける直前です。バンフの標高が1,400m、サンシャインヴィレッジのルックアウト・マウンテンは2,730m、これはマイナス40度でのスキーを覚悟しなければなりません。

スキーヤーのまばらなカナダ・サンシャインヴィレッジのルックアウト・マウンテン上部
1996.12.20 撮影:今駒清則

 いつも身につけている気温計が測れるのはマイナス15度までで役には立ちません。長い長いクアッドでルックアウト・マウンテンの山頂へ。このリフトは吹きさらしですから風に吹かれるととても寒いのですが今日は風がなく幸いです。しばらくすると手と足の先が猛烈に痛くなってきました。ルックアウト・マウンテンは写真のようにどこへ滑り降りてもよい広大な山腹の斜面にはスキーヤーはほとんどいません。皆さんロッジで暖をとっていて出てこないようです。

カナダ・ルックアウト・マウンテン山頂から見たカナディアンロッキーの山々 1993.12 撮影:今駒清則

 ルックアウト・マウンテンの山頂に立つと素晴らしいカナディアンロッキーの山並みが見えます。ひときわ高いマッターフォルンに似た山は標高3,620mのマウント・アッシニボインです。この時は遠方視界があまりきかなかったので写真は以前に撮影していた同所からの展望です。手前は圧雪していないスキーエリアです。森林限界の上ですから樹木はなく、スキーエリア内であれば自己責任でどこを滑走しても良いのがカナダのスキー場です。

カナダ・サンシャインヴィレッジのダイアモンドダスト 1996.12.20 撮影:今駒清則

 高度の低い太陽の方向を見るとキラキラとダイアモンドダストが輝いていました。大気中の水分が凍ってできる現象です。
 完璧なパウダースノーの斜面をノンストップで一気にロッジまで降りて暖をとります。あの手足のあまりの冷たさ・痛さに次になかなか出かける気になりません。そこでロッジのショップで防寒の靴下とインナーの手袋を急遽購入。最終バスまでなんとか滑り続けました。


カナダ サンシャインヴィレッジ スキーエリア

カナダ サンシャインヴィレッジ スキーエリアの全景(スタンディッシュ・マウンテン頂上から)
2006.12.17 撮影:今駒清則

19日。ついでにごくごく簡単にこのサンシャインヴィレッジのスキーエリアを紹介します。
 主なスキーエリアは写真左のゴーツアイ・マウンテン(標高2,806m)と、右のルックアウト・マウンテン(標高2,730m)、それに写真右外のスタンディッシュ・マウンテン(標高2,398m)の山頂から麓までの一帯です。
 ベース(標高1,660m)はスキーバスが着くゴンドラ乗り場。ここから谷間をゴンドラで中腹にあるデイロッジ(標高2,160m)まで延々と乗ります。デイロッジに到着すると目の前に二つの高い山が見えます。この二つの山と、向かいの山一帯はどこでも滑走できます。先日の写真は写真右のルックアウト・マウンテンの上部で、リフトが山頂まで一直線に伸びています。上部は風が強いので雪の着きが悪くあまり深雪はありません。中腹の樹木がある一帯からは雪が深く、初級者コースの一本道以外は圧雪していないので上手な人はどこでも楽しめます。中には日本のスキー場にはまったく無い、氷河が削った深い谷へ降りるエクストリームスポーツ向きのところもあります。これは相当なエキスパートでないと無理でしょう。エリアマップ(html)(PDF)には黒いダブルダイアモンドの印がついています。
 写真左のゴーツアイ・マウンテンもほぼ同じで、8合目位までクアッドで上ります。

カナダ ゴーツアイ・マウンテンで雲海へ滑り降りる 1995.12.25 撮影:今駒清則

 ゴーツアイ・マウンテンの上部も樹木は一本も無いのでどこに降りても良いのですが、途中から非常に厳しい斜面になります。ただ尾根筋だけは初級者(初心者ではなく)でも楽しめます。中腹からは深い森になるのでコースが設定されていて、腕前(足前?)に応じてコースを選びます。地元のスキーヤーやボーダーはコースでなく樹間を雪まみれでヨレヨレになりながらも降りてきてコース端にたどり着いて時々ノビています。
 帰りはゴンドラに乗らずに、あちこちで遊びながら長い長い谷道を滑り降りてベースに着きます。およそ4kmほどもあるでしょうか。エキスパート、上級者ほどいろいろ楽しめる範囲が広いスキーリゾートです。

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「富士山の日」

23日。今日は「富士山の日」。「2.2.3」の語呂合わせです。パソコン通信(懐かしい言葉ですね)のNiftyフォーラム「山の展望と地図」(FYAMAP)で1996年に制定、その後山梨県富士河口湖町が町条例を制定、静岡県も「富士山を後世に引き継ぐことを期する日」として条例化しました。静岡県はこの日を県独自の休日にしたいのだそうです。
 「富士山の日」といっても大阪から富士山が見える訳はないので、関西ではまったく関心は持たれないのですが、私は子どもの頃によく見ていたので富士山は特別な山なのです。そこで時々見ている各地のライブカメラで「富士山の日」の富士山を観測してみました。

富士山の朝焼け 2010.2.22 Fujigoko.com 山梨県四ツ峠のライブカメラから
(三角ボタンで開始します)

 日の出から日中は霞んでいて視界がなかったので、念のために前日22日にキャプチャしておいた山梨県四ツ峠からのライブカメラ写真を掲載します。Fujigoko.comが提供していて、富士山の周囲各所から高解像度で見ることができます。2月22日午前6時25分から8時30分までをQT Movieにしたものです。前日は日の出の朝焼けで富士山と雲海が赤く染まりました。

富士山の夕焼け 2010.2.23 山中湖村 ライブカメラ「絶景くん」から
(三角ボタンで開始します)

 「富士山の日」は夕方に晴れてきたので、山中湖畔から富士山に隠れた夕陽をキャプチャしてみました。午後4時59分から6時22分までの移り変わりです。ライブカメラは山梨県山中湖村が提供しているライブカメラ「絶景くん」からです。


カーリング その1

カナダ バンフの夕空 1993.12 撮影:今駒清則

24日。バンクーバー・オリンピックで女子カーリングの日本チーム(チーム青森)が今日予選敗退し日本のゲームが終わりました。そのことはとても残念なことですが、連日各国とのゲームをテレビ観戦できたのが大変うれしいことなのでした。ハイライト番組ではポイントだけを選んで放映するので、これはまったく面白くありません。やはり生中継を最初から最後までを見なければあの面白さはわかりません。ライブで見るのが時間的に無理な場合は録画して、日本チームのすべての対戦を見ました。(NHKはスウェーデンとの対戦で予選敗退が決まったら、最終戦となったデンマーク戦の中継を取り止めてしまいました。ガッカリです、せめて決勝戦は中継して欲しいですね)。
 冬季オリンピックの時でなければカーリングはまず見ることができません。4年に一度の楽しみです。オリンピックでカーリングが正式種目として実施されたのが1924年のシャモニー・オリンピックで、二度目が1998年の長野オリンピックだそうです(Wiki)。その長野オリンピックのテレビ中継を見て、その面白さにすぐにカーリングができそうなところを探しましたが、当時日本ではなかなか難しいことがわかりました。そこで毎年のように行っているカナダのバンフにメールで問い合わせたところ、すぐにOKの返事が来ました。それでスキーに行った時に、バンフのレクリエーションセンター
(体育館)でカーリングのレッスンしてもらえることになりました。といっても体験的な程度ですが、それでもするのとしないのとでは大違いです。(続く)


暖かい日

26日。昨日今日はとんでもなく暖かい日で、昨日は日中は23度にもなりました。すごしやすいですがなま暖かい風が少々気味悪い感じです。
 バンクーバーオリンピックのハイライト、女子フィギュアスケートでも素晴らしい演技が続きました。懸命の演技だけに感動したのは私だけではなかったようです。順位はつけなければならないのでしかたないのですが、私は幼稚園の運動会みたいに、どの国のどの選手にも金メダルをあげたいと思って見ていました。4年間の並みならぬ練習をこの時に出しきったその努力にです。ただ今日のフィギュアで飛び抜けた高得点の判定をしたことには納得がいかないままです。

カーリング その2

カナダ バンフの町から見るカスケード・マウンテンの朝焼け 1995.12 撮影:今駒清則

 バンフの町を通る鉄道の向こうにレクリエーションセンターがあります。施設の半分はアイスホッケーのリンクとミニリンク、4シートのカーリングのリンクが備わっていました。アイスホッケーは国技ですからこの時も地元チームの試合中で賑やかな応援。カーリングも町民の楽しみによく使われているようです。バンフの日系商工会のお世話をいただいて日本人のインストラクターの指導で初めてのカーリング体験。
 専用シューズは持っていないので靴の片方にプラスチックのスライダーをつけ、ブラシを抱えて歩行練習。滑る、止まるから始めます。次にあのストーンを目標に向かって滑らせます。身体の動きとストーンが同じ速さで滑り出しますが、ストーンを放す時にほんの少し回しながら押し出します。この加減が最も難しいもので、最初はハウス
(同心円)に届かなかったり通りすぎたり、思う所にはなかなか止まりません。方向はさほど大きく反れることはないのですが、センチ単位の目標は初心者には到底無理なことです。そこでブラシで氷面を懸命に掃いて加減をしてもらいます。
 そんなこんなでさっそくゲーム開始。頭では作戦を考えながら、ですが初めてのことなので思うようにストーンが止まりません。真剣勝負のつもりなのですが支離滅裂なゲーム内容。それにブラシを持って歩く時に、つい片足にスライダーがついていることを忘れて転倒続出。カーリングにヘルメットが必要と大笑いでした。囲碁やオセロのように何手か先を読みながらの配石ですが、技術が無いと考えている位置に置けないところが大きく違うところです。カーリングはとてもフェアプレイなスポーツなので、身近にリンクがあればぜひやってみたいものです。


1月 2010年2月 3月