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近況 2011年3月


大阪・OAP


大阪・OAP 彫刻の小径 2011.3.1 撮影:今駒清則

1日。小雨の降る朝、OAP(大阪アメニティパーク)のOAPアートコートへ。このギャラリーで大阪芸術大学の卒業制作展を開くための展示準備です。全学科から選りすぐった作品をコンパクトに展示して2日から13日(日)まで開催します。

 このOAPは天満の北、大川沿いにあり、帝国ホテル大阪やOAPタワー、高層マンションがそびえ建っているので目立ちます衛星写真地図。1996年に再開発され大川沿いに遊歩道や彫刻の小径などがあり心地良く散策できます。今は彫刻の横に和歌山から移植された梅と寒ツバキが満開。もう少しすると大川べりの桜並木が人を集めることでしょう。


大阪・泉布観 2000年撮影:今駒清則

 このOAPアートコートギャラリーのすぐ南隣には大阪最古の洋風建築の泉布観(せんぷかん)と旧桜宮公会堂(旧造幣寮鋳造所正面玄関、ユースアートギャラリー)があります。いずれも造幣寮(現在の造幣局)関連の建物です。その南は花見の名所、造幣局の通り抜けになります。


アーカイブ 大阪・天満付近 1980年撮影 右下が三菱金属大阪精錬所(現OAP)
撮影:今駒清則 (再掲載)

 1980年に撮影したこの付近の航空写真では、右下に三菱金属大阪精錬所(現・三菱マテリアル)があり煙りをあげています(この頃はまだスモッグがあった頃です)が、ここがOAPになりました。写真下の大川に架かる白い橋は銀橋(桜宮橋)、そのたもとに造幣局、泉布観、旧桜宮公会堂が見えます。なお上方は北浜方面です。


 

 水門会写真展 一門・秀作展

4日。所属する「水門会」が5月連休に恒例の「水門会写真展」を奈良市美術館で開催します。それに併催する形で会員が指導している文化教室や写真クラブの写真愛好家の作品も「一門・秀作展」として展示します。その作品の審査が大和郡山市であり、会員から推薦された総数370点から50点を選び出しました。
 今回は全体に大人しい作品が多く情景性が強く作家性は弱く感じました。また関西へも大雪が数回降ったので例年になく雪景色があり、何れも珍しい風景ばかりでした。雪は俗物を覆い隠してくれるので美しい情景を創りだしてくれます。水門会会員の作品とともに同フロアで展示されますのでどうぞご覧下さい。


 

「御城主御武運長久」


奈良・大和郡山市 郡山八幡神社拝殿 2011.3.4 撮影:今駒清則

4日。大和郡山市での写真審査の前に郡山城下を久しぶりに散策しました。今回は外堀を巡っていて良いものを発見したのですが、それはまた後ほどにして、季節柄、梅花満開だった郡山八幡神社衛星写真地図です。
 社伝によれば東大寺が宇佐八幡神を勧請した天平元年、八幡さまが郡山を通る際にここへも、ということで勧請した八幡さまを祀った柳八幡宮が、豊臣秀長による天正年間の郡山築城の際に現在地へ移されて郡山の氏神として崇敬されています。境内には梅の若木が並んでいて良い香りがただよっていました。


「御城主御武運長久」刻灯籠 奈良・大和郡山市 郡山八幡神社 2011.3.4 撮影:今駒清則

 神社参道の灯籠に珍しいものを見ました。灯籠の竿に「御城主御武運長久」とあります。基壇石には「和州御領中」とありますので郡山藩領民からの寄進でしょう。建立は「天保七丙申年五月吉日」
(1836年)、領主の武運長久を願って刻まれるのは少ないのではないでしょうか。郡山ではこの他に車町の西方寺東隣りの宮内社にも同文で安政2年2月(1855年)の石灯籠があります。
 この灯籠が建てられた時の郡山藩城主は柳沢保泰ですが、翌々年の1838(天保9)年5月、57歳で江戸にて死去し、新宿区河田町の月桂寺にある柳沢家歴代墓所に葬られました。保泰は教育・武芸に熱心だったので領民に慕われたのでしょう、なにかの異変を感じた領民の願いがこの灯籠に込められているように思えたのですが。


 

大地震と驚異の大津波

11日。午後2時46分、「東北地方太平洋沖地震」が起きました。ビデオ編集をしていて、たまたまモニターをテレビ画面に切り替えたとたんに「緊急地震速報(気象庁)」が現われたので身構えましたが、遠い東北地方なので少し気を緩めて見ていると大地震のマグニチュード8.4で津波の警報。これは大阪でも揺れるかな、とまたまた身構えていると数分して長周期のユラユラとした揺れ。建物はギッギッといつまでも音をたてています。早期に地震を予報してくれるのは実にありがたいことなのですが、地震の揺れを待っている間というのは何とも言えない不安な気持ちです。

 NHKではすぐに東京・台場のビル火災を映し出し、東北地方の大津波の予想は最大6m、釜石港の岸壁を越えて流れ込む津波や、大船渡の川を遡り町へ侵入する津波を映し出しました。これはとんでもない大地震と大津波なので、すぐに緊急持ち出しのリュックを用意。震源は遠く離れているけれど津波に関しては遠近はさほど差はないからです。数回の強い余震があって少し揺れ、ますます緊張。BDやDVD、VHSのビデオデッキの全てに放送全チャンネルを割り当てて災害資料用の記録録画開始。これは阪神淡路大震災の時も数日間にわたって途切れなく記録しています。

 テレビやインターネットでは徐々に関東以北の、信じられないほどの大津波の状況を伝えています。特に東北地方太平洋沿岸の被害が大きく、この大自然の脅威に対して人間は何もなすすべが無いことに、また辛い状況をテレビで見ているしかできないことに無念さがこみ上げてきます。無惨なことではありますが、これだけの大津波の実態をリアルタイムで、また多様な映像で映し出し記録されているのは歴史的にも学術的にもこれまでは無かったことです。

 阪神淡路大震災の時もそうでしたが、時間が経つと被害状況が判明してきて痛ましい数が増加してきます。一刻も早く救援の手を現地に届けていただき、被害が少なくなることを祈るばかりです。

 (3月13日追記:気象庁は3月13日、この地震を世界観測史上最大級に相当するマグニチュ−ド9.0と修正しました。連続して起きた地震を再解析した結果です。最初の地震はM8.8だった(当初はM8.4としたが、後にM8.8に修正)が、次に大きい地震が続き、総合してM9.0と判断しました。また余震の発生数が極端に多いのが特徴です。それにこの地震災害をメディアでは「東日本大震災」また「東北関東大震災」と呼ぶようになってきました。なお大阪での最大震度は3でした。)


 

東北・関東地方 大震災
(高速道路状況を追加)

15日。11日14時46分から続いて起きた大地震「東北地方太平洋沖地震」による大津波の被害状況は息が詰まり言葉にならないほど凄まじいもので、テレビ映像やネット映像の情報に涙しこころ痛めている毎日です。被災された皆さまにはこころからお見舞いを申しあげます。

 この震災報道の応援で現地へ出かけた知人の新聞記者からメールが届きました。
 「・・・津波警報の解除で被災現場に入ることができましたが、初めて見る地獄のような状況にとてもペンが持てません。・・・見渡す限りの瓦礫のあちこちに赤い旗が立てられて被災者の所在を知らせています。・・・
(そこを)外国プレスは容赦なく(写真を)写していますが、私たちはそこまではとてもできません。相当に考え方が違うようです。・・・」
 現場から記者までも辛くなっている状況を知らせてきました。それほどの惨状なのだそうです。

 

 11日の地震直後に高速道路状況を日本道路交通センター(JARTIC)のホームページで見ました。


東北地方 高速道路情報 2011.3.11 17:25 JARTIC


東北地方 高速道路情報 2011.3.15 17:40 JARTIC (追加)


東北地方 高速道路情報 2011.3.18 18:15 JARTIC (追加)


東北地方 高速道路情報 2011.3.20 22:30 JARTIC (追加)


東北地方 高速道路情報 2011.3.23 9:25 JARTIC (追加)


東北地方 高速道路情報 2011.3.24 20:45 JARTIC (追加)

 

 上の11日17時25分(最初の地震から2時間40分後)では、東北地方の高速道路は点検のために地震直後から全面通行止になりましたが、この道路情報にはまだ反映されていません。また翌日の12日からは緊急車両の通行確保のため緊急交通路として閉鎖され、一般車両は通行できず現在も続いています。

 


北関東地方 高速道路情報 2011.3.11 17:25 JARTIC


北関東地方 高速道路情報 2011.3.15 17:40 JARTIC (追加)


北関東地方 高速道路情報 2011.3.18 18:15 JARTIC (追加)


北関東地方 高速道路情報 2011.3.20 22:30 JARTIC (追加)


北関東地方 高速道路情報 2011.3.23 9:25 JARTIC (追加)


北関東地方 高速道路情報 2011.3.24 20:45 JARTIC (追加)

 

 地震直後に関東一円の高速道路も閉鎖されています。こちらは情報がすぐに反映されていました。

 


関東地方 高速道路情報 2011.3.11 17:25 JARTIC


関東地方 高速道路情報 2011.3.15 17:40 JARTIC (追加)


関東地方 高速道路情報 2011.3.18 18:15 JARTIC (追加)


関東地方 高速道路情報 2011.3.20 22:30 JARTIC (追加)


関東地方 高速道路情報 2011.3.23 9:25 JARTIC (追加)

 

 今日15日も東北方面への東北道、常磐道などの高速道路は閉鎖されていますが、東京より西側はほぼ平常通りになっています。東北方面の規制や被害についてはNEXCO東日本のプレスルームをご覧下さい。

(3月18日追記:大地震から1週間、被災地の物資不足が極まってきたため、高速道路の規制の一部を解除、また緩和するようになりました。また高速道路から沿岸部への一般幹線道も復旧が進んできました。情報に変化が出てきたので高速道路情報を追加しました。)

(3月20日追記:東北道は宇都宮までの緊急交通路指定が解除され、明日の21日には常磐道のいわき中央まで解除される予定です。)

(3月23日追記:22日に東北道は宇都宮〜関間、常磐道は津川〜いわき間などを除いて一般車が通行できるようになりました。なお大型車はこの規制外です。徐々に北国の動脈が回復しています。)

(3月24日追記:大地震による規制はごく一部を除いて、24日午前6時から全面的に解除されました。現在規制されているのは原発避難区域の常磐道・いわき中央IC〜常磐富岡ICと、三陸道・仙台東部道路の利府JCT〜仙台若林JCTが橋梁復旧のために通行止めです。)


春への雪


六甲山に降る雪 手前のビルは 旧WTCコスモタワー(大阪府咲洲庁舎) 2011.3.16 撮影:今駒清則

21日、春分の日。東北関東大震災は死者・不明者の方が2万人を超えたとの報道でますます心が痛みます。そしてこの大災害の辛い状況を直接に受けておられる方はその何十倍にもなることでしょう。日本中から、世界中から連帯する支援があります。ぜひこの苦難を乗越えられるようお祈りします。

 ここ関西が春を迎えるには、以前にも書いたように3月の中旬に一度冷え込んで雪が降ったりします。今年も16日、17日と寒くなって金剛山は雪、里はみぞれが降りました。なのでこれからは春らしく梅、桃、桜の花見、卒業式、入社式、入学式と新年度への行事が続きます。
 上の写真は16日の雪雲と大阪市の南港
衛星写真地図に建てられている旧WTCコスモタワー(現・大阪府咲洲庁舎)と六甲山です。

 その旧WTCコスモタワーは橋下大阪府知事の強引な計画で大阪府の第二庁舎となりました。今は部局の一部ですが、橋下知事は全面移転の方向で進めたいようです。これには府議会などが反対しているので膠着状態になっているのですが、橋下知事は14日の府議会常任委員会で、庁舎移転計画は継続するものの防災面での検討を行い、その結果移転の見直しもあるとの意向を突然に示しました2011.3.15 産経ニュース。この度の東北地方太平洋沖地震の際、大阪は震度3だったのに、この旧WTCコスモタワーのエレベータが止まって閉じこめられたり、ビルの一部が損壊したことや、海に近いということによるものようです。

 府庁の南港移転については災害時に問題がありと元々思っていました。阪神淡路大震災の時、埋立地の神戸のポートアイランド、六甲アイランド、芦屋浜、尼崎市の築地地区などでは液状化現象で建物被害が出たり、交通が途絶して孤島化してしまった前例があるからです。またこの度の大津波を考えれば、海抜5m足らずの埋立地の南港では行政の司令塔が機能しなくなることは誰の目にも明らかであり、南海・東南海地震が予想されている今、しっかりした岩盤の上町台地にある府庁から、埋立地へ移転することは愚の骨頂なのです(なお大阪市役所も川の中にある中之島なので至極心もとないのですが)。
 この大津波の現実を見て、やっと目が覚めたか、というところでしょうが、その移転反対をしている長田府議会議長は橋下知事のこの態度を見て、「この地震が起こってよかった」ととんでもない失言
2011.3.21 YOMIURI ONLINE。大阪のリーダーたちの民度の低さにあきれ返るばかりです。(注:web新聞記事は数ヶ月でリンク切れになります)

 それと橋下知事が代表を務める「大阪維新の会」の立候補予定者が、自身の選挙対策ホームページのURLを私のブログへトラックバックしてきました。これには唖然としていますが、多分私のブログ内容も読まないであちこちのサイトへ付けまわっているのでしょう(もちろん即削除しましたが、いや置いておいた方が良かったかもしれませんね)。と言うのは、私は橋下知事が就任直後から行った文化芸術方面の大幅な予算削減による文化破壊(これを私は「大阪文化大革命」と言っていますが)や、それ以後の施策で知事としての資質に疑問を抱いたので、ここへちょっとですが橋下知事批判を掲載しているのに、です。代表がそうならそれに集う方たちもきっとそうなのでしょう。


 

 ハクモクレン


ハクモクレン 2011.3.24 撮影:今駒清則

25日。東北関東大震災から2週間目になりました。あらゆる面において災害の膨大さは史上記録にないものでしょう。それに原子力発電所の事故がさらに追い討ちをかけて国際問題にも広がってきました。未だままならぬ避難生活をされておられる方々にお見舞いを申しあげます。
 この大震災の報道に接して以後、どうにも鬱々として日が過ぎてしまい、いろいろな用件が滞っているので新年度に向けて心機一転しなければいけません。草木はいつもと変わらなく着々と春へ向かっています。


 

災害の記録


2011.3.11 大地震時の14時台のNHK番組表

26日。東北地方太平洋沖地震の最初の地震が起きた3月11日(金)14時46分時のテレビは、NHK総合とNHK BS2 は「国会中継」、NHK教育は「高校講座」、NHK BS hi は「篤姫」、NHK BS1 は「アメリカ・PBSニュースアワー」を放送中でしたが、「緊急地震速報(気象台)」の表示以後中断し、震災関連の中継報道になりました。そしてこれ以降は全ての定時番組を中止しました。


2011.3.12 翌日の同時間帯のNHK番組表

 上は翌12日の同時刻帯のNHK番組表ですが、NHKの全日放送が震災関連報道になり、これは3月19日(土)まで続きました。
 民放も同様に定時番組を打ち切り、震災中継になりましたが、特筆すべきはそれと同時に全てのCMも打ち切ったことです。CMの時間は「ACジャパン
(旧公共広告機構) のCMで埋めています。

 この中継報道を地震直後から災害資料記録として各局の録画を続けてきましたが、民放は中継報道の終了と共に、NHKは3月19日(土)に特別報道が終了し、定時番組へ戻ったのを機に連続記録を中止し、現在は定時ニュース番組を記録しています。今はまだ保存のみですが、時機を見て災害内容や報道内容について分析をしたいと思っています。

 ただ思うことは、阪神淡路大震災の時でも同様でしたが、中継を担当したスタジオのキャスターや現場ヘリの担当者の災害への知識が不足していて、重大な状況を眼前にしていても見落としたり、見当違いなことや些細なことにこだわり続けて大局の報道がなかったり、またヘリから中継している災害地点の場所がわかっていないなど報道の原点を欠いていることがままあり、災害に強いキャスターやリポーターを育成してほしいものです。またこういった中継報道番組では画面内へ常時「日時」を表示すべきです。録画記録から時間計算はできますが画面内であれば一目で判別できるからです。「時」「所」「状況」の正確さは報道や記録に重要なことだからです。

記録した連続録画記録の概要は以下の通りです。(注:地震発生は3月11日14時46分です)
NHK 3月11日14時48分 〜 3月19日12時45分 (7日21時間57分)
朝日放送系 3月11日14時57分 〜 3月14日21時30分 (3日6時間33分)
日本テレビ系 3月11日15時01分 〜 3月17日19時00分 (6日4時間)
フジ系 3月11日16時07分 〜 3月14日00時35分 (2日8時間28分)
TBS系 3月11日16時08分 〜 3月14日12時30分 (2日20時間22分)
BSジャパン 3月11日19時57分 〜 3月13日00時20分 (1日4時間23分)
各局巡回 3月11日14時57分 〜 3月11日18時04分 (3時間07分)


 

京都 春は名のみの


京都御苑 枝垂桜 2011.3.27 撮影:今駒清則

27日、日曜日。京都の金剛能楽堂へ行く前に京都御苑へ。この頃恒例になりました。梅林、桃林の花ははさまざま、今年は不ぞろいです。「出水の小川」近くにある枝垂桜はまだ五分咲き。昨年の3月20日は満開だったので今年はかなり遅れています。京都御苑から見えた北山には残雪が、この頃の冷え込みで春が足踏みしてるのでしょう。春は名のみの風の寒さや・・・(「早春賦」)が思わず口に出ました。


 

大和の農村歩き 14


土筆 2011.3.31 撮影:今駒清則

31日。久しぶりに大和の農村歩き、特別なところでない普通の村を訪れて大和の暮らしと季節を見つめています。村の道は自動車が通行できない狭い道がよくあります。その道端に土筆が並んでいました。


耕す 2011.3.31 撮影:今駒清則

 これから田を耕して農作業の始まり、トラクターの周りにハトが群れています。耕されると穀物類や動物類が露出するのでそれを啄ばんでいるのでしょう。


2月 2011年3月 4月