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近況 2011年4月


南河内の春は


山道 2011.4.3 撮影:今駒清則

4月3日、日曜日。私の花暦を一週間遅くして南河内を歩いてみましたが、今年の桜花にはまだ少し早かったようで、さらに数日おかなければならないようです。今日の気温も10度以下でしたから花も戸惑っていることでしょう。撮っているとどこかで鶯が鳴きました。


 

南河内の桜

高貴寺 慈雲尊者の寺の臥龍桜 河南町


河南町 高貴寺の臥龍桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

7日。大阪・南河内の桜花もやっと見頃になりました。
 慈雲尊者が中興した高貴寺
衛星写真地図の境内に樹齢200年と伝える枝垂桜。その姿から臥龍桜と呼ばれています。


河南町 高貴寺の臥龍桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

 山あいのお寺なのでシンとした境内に鶯の鳴き声だけが響いています。


河南町 高貴寺の臥龍桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

 ウロができたりしてますが若枝が伸びて美しい花を咲かせていました。

 

弘川寺 西行法師の寺の隅屋桜 河南町


河南町 弘川寺の桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

 葛城山の西麓に桜の森が見えます。西行法師が眠る山です。その下(もと)に弘川寺(衛星写真地図)があります。


 河南町 弘川寺の隅屋桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

 境内に入ると弘川の城主・隅屋與市正高ゆかりの枝垂桜があり隅屋桜と呼ばれています。正高は南朝方でここで討死したと伝えています。


河南町 弘川寺の本堂と隅屋桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

 本堂の裏には西行堂があり、そこから登るとこの寺で入寂した西行法師や、再建した似雲法師の墳墓へ至ります。さらにその上には西行法師の庵があったと伝えられる丘があり、今そこは咲き誇る桜の森となっています。桜の花ほど人のこころを惹きつける花は他にないでしょう。


 

當麻寺 塔の桜


葛城市 當麻寺の東塔 2011.4.7 撮影:今駒清則

7日。ボタンで有名な當麻寺衛星写真地図の境内は桜も沢山あって今が見頃です。遠くからも並び立つ古塔が美しい景観を見せてくれます。


葛城市 當麻寺の東塔 中之坊 2011.4.7 撮影:今駒清則

  中之坊庭園からは東塔がよく見えます。ボタンはまだまだで月末から5月連休ごろではないでしょうか。


葛城市 當麻寺の西塔 護念院の枝垂桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

 有名な護念院の枝垂桜も満開、風で花が散り西塔へ散華していました。


 

香芝市 専称寺の枝垂桜と花祭り


香芝市 専称寺の花祭り 2011.4.7 撮影:今駒清則

8日。4月8日はお釈迦さまの誕生日。寺院では花飾りをした花御堂の誕生佛へ甘茶をかけてお祝いします。
 近鉄南大阪線二上山駅西の畑
衛星写真地図にある浄土宗専称寺にも本堂前に花御堂が設えてありました。ここ専称寺の観音堂には香芝市最古(平安中期)の木造十一面観音菩薩さまがおられます。


香芝市 専称寺の枝垂桜 2011.4.7 撮影:今駒清則

 本堂前にある古木の枝垂桜が満開です。狭い境内一杯に咲き誇っていました。専称寺は観光寺院ではなく村のお寺なのですが、この季節は花見の人が絶えず、夜間照明もしていただいているようです。


 

飛騨高山 2011 春の高山祭 (1)


飛騨・高山から見える山並み 笠ケ岳(左)から乗鞍岳 2011.4.13 撮影:今駒清則

14日。飛騨高山の春祭、寒さが続いて桜はまだ蕾固しです。遠くに雪をいただく北アルプスの山々がくっきりと見えてとても良い気分です。


飛騨・高山 春の高山祭 青龍臺の屋台 2011.4.14 撮影:今駒清則

 この日枝神社の山王祭は古い町並みをお神輿が神幸し、華やかな屋台が町に曳き出されて並びます。写真は珍しく上から見た川原町の青竜臺。かっての城主・金森家と縁が深かったことから他の屋台と異なり、高山城とも青龍山城ともいわれる天守閣をイメージした屋根になっています。


飛騨・高山 春の高山祭 麒麟臺の「唐子群遊」彫刻 谷口与鹿刻 2011.4.14 撮影:今駒清則

 上一之町下組の麒麟臺には飛騨の名工・谷口与鹿の彫刻が飾られています。唐子、籠、鶏が一木から彫り出された名品で、ここは常に人が集まっています。


 

飛騨高山 2011 春の高山祭 (2)


飛騨・高山 高山祭の日なのに人出が少ない上三之町 2011.4.15 10:46 撮影:今駒清則

15日。山王祭の二日目。今日も快晴の祭日和です。高山陣屋前に並んでいる屋台でのカラクリが10時から始まると、近くにある古い町並みの上三之町の人通りが一時極端に少なくなりました。祭の日は歩くのが難しいほど何時も混雑していたのですが、それだけ東日本大震災の影響で人出が少なかったのでしょう。

 お神輿は12時半に陣屋前のお旅所から古い町並みを巡行して夕刻日枝神社にご還幸されます。今年はご還幸の出発に先立ってお旅所でも大震災の早期復興を祈願されました。


飛騨・高山 春の高山祭 上一之町に曳き出された神楽臺と獅子舞 2011.4.15 撮影:今駒清則

 今日の屋台は上一之町の通りへ並びます。そこへ胴幕が飛騨独特の意匠をしている獅子舞が町内の一軒一軒を丁寧に廻って行きます。


飛騨・高山 春の高山祭 神楽臺の装飾 2011.4.15 撮影:今駒清則

 高山の屋台は江戸時代後期になって各町内が競って豪華な装飾をつけるようになりました。行列の先頭を受け持つこの神楽臺もひときわ華やかな装飾に囲まれています。彫刻はこれも名工・谷口与鹿の作です。


 

飛騨高山まちの博物館


飛騨・高山 飛騨高山まちの博物館前に並んだ屋台 2011.4.15 撮影:今駒清則

16日。高山の「飛騨高山まちの博物館」へ出かけました。昨日は春祭りでこの前の上一之町の通りには屋台が並んでいて観光客が一杯でしたが今日は静まり返っています。
 この「飛騨高山まちの博物館」は以前「歴史民俗資料館高山市郷土館」で、時々立寄っていましたがリニューアルされてこの11日に開館したばかりです。

 旧「高山市郷土館」は上一之町の酒造業・永田家の蔵を利用した博物館でしたが、隣接する矢嶋家(近江出身の木材や塩の御用商人で町年寄)が屋敷を手放したため、そこへ郷土館を拡張して「飛騨高山まちの博物館」として開館したものです。
 施設、展示内容は同博物館ホームページをご覧いただいて、開館の特別展は「高山祭新発見!祭にかける技と心」として高山の屋台蔵に保存されていた屋台の資料展示をしています。以前より展示面積が大幅に増えたため常設展示品も増加していますが、全体的に旧高山町内を中心とした近世資料で占められており、高山を概観するには好適ですが、時代の幅と広い市域を生かした飛騨の歴史風土の展示があるとさらに良いので、今後の特別展にそれらを期待しましょう。また資料閲覧室が設けられていて同館所蔵資料がゆっくり閲覧できますので調査研究にはありがたいことです。なお同館は入場無料で夜まで開館しているので利用しやすいのですが、観光客が多いためか博物館としての認識が薄いようで、たまたまかもしれませんが館内を子どもが走り回ったり大声で話しあったりしていて、その辺りは何らかの対策をお願いしたいものです。


飛騨・高山 飛騨高山まちの博物館裏手の石垣と矢嶋家塩蔵(右) 2011.4.16 撮影:今駒清則

 同館の裏手には空町(そらまち)との境になる高い石垣が並んでいてここでも高山の歴史に触れることができます。空町とは高山城が存在した金森時代に武士が居住した高台の地域のことですが町名ではありません。宮川沿いの低地へ造られた町人町(三町)から武家町を見ると高いところになるのでそう呼んだのでしょう。城の縄張の名残でもあるため高山の歴史を考える上でももっと注目されても良い遺跡でもあります。
 空町の石垣の上には後世に永田家の炭蔵と箪笥蔵を設けられたので石垣を改造してそこへ登るための石段がついています。この辺りの石垣は旧状を良く残していると思われますが、この度の博物館改修時に小公園へ出入りするため一部改修改造されています。
 また石垣の下には防火用と思われる水掘があり、ちょうどミズバショウが咲いていました。ここから南への門があり、出ると空町から下ってくるえび坂になります。かっては曲がりくねった坂でしたが1818(文政元)年に真っ直ぐの坂に改修したのでかなりの急坂です。その坂下で博物館の門の向かい側には牢屋の一つがあったのですが今は何の痕跡もありません。


飛騨・高山 飛騨高山まちの博物館裏手 石垣と展示館 2011.4.16 パノラマ撮影:今駒清則

 館内は永田家、矢嶋家の江戸から明治の蔵を建並べて展示館として利用しています。写真は裏手からの全景で、左が空町と石垣、中央は矢嶋家塩蔵や矢嶋家西蔵、右が矢嶋家北蔵です。遠くには城山が見えます。


飛騨・高山 飛騨高山まちの博物館 蔵を移動させている 2010.8.10 撮影:今駒清則

 昨年の夏にここを訪れた時は改修中で、蔵を曳屋し移動させていました。前のパノラマ写真の中央部と比較していただくとその前身の姿がよくわかることでしょう。(2011.4.27 一部写真と記事を追加しました。)


 

ドングリの未来は?


ドングリから・・・・・ 2011.4.28 撮影:今駒清則

28日。拾ったドングリをポットに入れてベランダに置いておいたら・・・・・ 芽が出ました。

順調に育つと・・・・・


将来は・・・・・ 2011.4.28 イメージ:今駒清則

 こうなるんでしょうか?


3月 2011年4月 5月