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6月1日。今日は写真の日です。6月1日に日本人初の写真撮影がなされた、ということからこの日を記念日とするよう決めました。ただその後の歴史研究でこの日ではなかったのですがそのまま今に至っています。まあ記念日と言うのは語呂合せで決めているのが多いのでこれでもよく、それよりも写真という素晴らしいメディアを再認識していただく日としていろいろなイベントが行われています。例えば「東京写真月間 2011」で、都内各所のギャラリーでこれを記念した写真展や講演会などが開かれていて、私の所属する日本写真家協会の「JPS展」も東京都写真美術館で開催中です。また大阪でも同様な「大阪写真月間 2011」を開催中です。 このところ梅雨らしく雨続き、ほどほどだと結構なのですが、東北は大震災後なので降りすぎないように願うばかりです。
6日。雨がたまに当たるガラス戸の下部を見たら黄色い微粒子が模様を描いて付いていました。写真では石垣のように見えますが横が15cm位の範囲を写したものです。下の桟には砂が溜って黄色くなっています。黄砂でしょう。4月、5月の中国は毎日が黄色く煙っていてカラーフィルムで写すと黄カブリを起こしたような写真になってしまいます。その黄砂がこの季節は日本まで飛んできます。このところの台風と梅雨で気がつかなかったのですが雨にはしっかりと交じっていたいたのでしょう。例年より多いように思います。気象条件だけでなく中国の大地で何らかの変化が起きているのではないでしょうか。
10日。撮影してあった古いフィルムを整理していたら1959年9月26日に東海地方を襲った伊勢湾台風後のカラー写真がありましたので掲載します。当時私は高校3年生でしたが少しだけその時の写真を撮影していたので、ここの「web Gallery」の「アーカイブズ」に当時撮影した写真を掲載していますが、これはその追加になります。 撮影したのは伊勢湾台風から約1か月後の11月1日で、名古屋市南区柴田町(衛星写真地図)です。カメラは超小型カメラのMAMIYA16 Superで、16ミリカラーリバーサルフィルムで3コマだけ撮影してありました。さすがに52年も経つと色は褪色していてキズも多いフィルムでしたが画像処理して復元しました。 この柴田町は被害の大きかった所で、最大4m近い浸水があり、近くの貯木場からラワン材が流出し街を襲いました。実はこの写真を撮影した時の記憶がもう失われていて、まったく縁のない柴田町になぜ行ったのか分らないのですが、当時近くの道徳に親戚がありましたので連れていってもらったのではないかと思われます。
海辺か天白川辺か分りませんが船もあり貯木場ではないかと思われます。家屋は海側がもぎ取られていて、外壁の損傷から1階は完全に水没しているようで、その足許には流れ出た材木が転がっています。
広い通りが1ヶ月経ってもまだ浸水しています。貯木場から流れ出た材木が道路へ山積みに片付けられ、家屋も倒壊しているのが見えます。
集まった救援物資を配っているところでしょうか。明るい笑顔が見えます。屋根には布団や衣類などが干してあります。
19日、日曜日。梅雨らしく雨が続きます。田植はほぼ終わって静かになった河内地方、日の出後にたち昇る霧が生駒山を包むように流れてダイナミックな風景でした。
20日。今日から大阪芸術大学 芸術情報センターで「大阪芸術大学 写真学科展」が始まりました。7月1日(金)まで10:00から17:30の開館、(休館日は21日、26日)です。これは教員の作品展で、私は今まであれこれやってきたいろいろな分野の作品を選抜して107点展示しています。内容は次のようなタイトルの作品で、数字は制作年または発表年です。 「若狭路」 1965 学外の方もご覧いただけますのでどうぞお越しください。
22日。ほとんど手をかけていないのに2本の花芽をつけた胡蝶蘭が今年も満開になりました。頂き物なので今頃の開花ですが、この元気さを東北の方たちにお届けしたいと思います。 今日は夏至で最も昼が長いのですが、写真家にとってはこの夏至前後は貴重な時なのです。今年のこの週(19日〜25日)は日の出の方向が大阪では60.4度(東京は60.0度)なので最も北寄りから太陽が顔を出します。なので朝夕は建物の北側にもよく陽が当たります。寺社などの建物はほとんどが南向きに造られているので北面を撮影することはあまり無いのですが、ビルや民家など普通の建物はさまざまな方向を向いていて北側からしか撮影できない場合があります。他の季節だと逆光になって写真の調子が悪くなるのですが今頃は大丈夫です。山岳や大きな風景でも今でないと撮れない光景があるからです。
25日。法事で豊田市へ。他に用事のない往復なので電車で行くことにし、新幹線の車窓はもうあきあきしているので難波から名古屋へ近鉄特急。アーバンライナー・ネクストとちょっと洒落た名前の特急です。今日も暑い日で晴れているもののちょっと不安定な空の表情の日。帰りの空もさまざまな雲が行き交っていました。写真は途中で見えた一本の樹、一度近くへ行ってみたい風景です。
このアーバンライナー・ネクストにはデラックスカーがあります。デラックスとは今やちょっと古めかしいネーミングですが、ワンコインのプラスで三列、深いリクライニングシートになります。新幹線グリーン並みですが、この日の利用者は私を入れて4名。とてもお得なのにちょっと不思議です。ただシートの枕がちゃんとセットされていなかったのはどうしたのでしょう。
26日、日曜日。太平洋高気圧と梅雨前線がぶつかって不安定なお天気で、強い風が吹いています。湿った大気が持ち上げられて時々入道雲も生まれ、おかげで大阪は猛暑続きの熱帯夜です。室内でも30度、でも風を入れて今年もエアコンなしで乗りきるつもりです。
27日、国立国際美術館で明日から開催の森山大道写真展「オン ザ ロード」のレセプションで中之島へ。街と人、暮らしの一角から社会の断面を切りとった膨大な集積の写真展です。他は「WHITE 桑山忠明 大阪プロジェクト」(9月19日まで)。 帰りに筑前橋から下層部分が姿を現した中之島フェスティバルタワー(前新朝日ビル)が見えました。高さ200mの高層ビル、来年秋には竣工、フェスティバルホールが復活します。手前の朝日新聞社ビルもいずれ建替えてツインのビルになる予定です。
30日、梅雨時とも思えない猛暑の連日です。金剛山の向こうの入道雲は真昼なのに放射される稲妻が時々光って見えていました。
金剛山の麓にある大阪府で唯一の村、千早赤阪村には東阪(衛星写真地図)付近に棚田があります。田植が終わった田が美しく輝いていました。見どころは千早赤阪村立中学校裏の下赤坂城跡からです。中学校のHPにも棚田の記録があります。
棚田を歩くとウグイスのさえずりが聞え、トンボやチョウが舞っています。
水量の多い棚田には驚くほど多いオタマジャクシがいました。もう足の出たのも沢山います。
これらの小動物を目当てにアオサギ、ダイサギが来ていました。よく見るとカモも顔を出しています。
ここは生駒山の真南になり、高安山越しに見る生駒山はいつもと違った山容です。右下の白い建物は大阪芸術大学。自然豊かな地域です。
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