3月4日の午前中は称揚のお祝いに参篭宿所へ娑婆古練が挨拶に訪れます。前項のように今年(2008年)は珍しく4日も初夜と後夜の法要は称揚になります。
今日の童子たちは二月堂の背後にある春日山へ榊や檜葉を許可を得て採取してきます。これはお水取りの淨水を運ぶ閼伽桶や閼伽井屋を飾る榊と、籠松明を作るのに使う檜葉です。なお籠松明は童子たちによってもう少しづつ作られています。
練行衆の一日をごく簡単にまとめます。
朝宿所で起床、午前中は来訪者などとゆっくり過ごします。また今日一日の準備もしておきます。12時に食堂で作法による正食、すぐに二月堂に上堂して内陣で日中、日没の法要を勤めます。14時半頃に下堂して入浴後宿所で休息、19時に上堂松明で再び上堂、内陣で初夜、半夜、後夜、晨朝の法要を勤め、日が変わってから下堂し、宿所で茶粥などをいただいて就寝する、というのがおよその流れですが、特別行事がある日の時間は相当に変わります。
「お水取り」 和上と大導師の席から見た食堂内部全景 撮影:今駒清則
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今回は食堂での様子をお伝えします。参篭宿所と食堂の下に湯屋がありますが、そこで院士(いんじ)により練行衆のお料理が古来からのメニューに従って調理され食堂に運ばれます。一汁二菜の精進料理です。12時に堂司により出仕の鐘が鳴らされると練行衆はそれぞれ食堂の定まった席に座ります。
「お水取り」 食堂での作法 撮影:今駒清則
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堂童子は別に二月堂に上堂して観音さまに仏飯をお供えしてきます。また食堂におられる三尊にも仏飯がお供えされます。
大導師は仏法を守護する諸天や諸神、またすべての人々のために祈ります。
童子らによって料理が練行衆の席へ、湯の入った大きな角桶(つのおけ)と空桶が中央南側に運び込まれます。
練行衆は杓子(しゃもじ)立てたおはち(飯器)から施食を取分け、飯椀に飯をよそって差し出します。堂司が「とうぐ(等供)」と発すると堂童子は湯桶の前で三本の柄杓(ひしゃく)を掲げてくるっと廻ります。これから無言のまま正食が始まり、最後は湯漬けにします。
この時練行衆はすべてを食さず童子のために残しておきます。食事が終わると鼻紙に施食を包み、また折敷(おしき)にも施食を取分けます。
この前後に底の抜けた大鍋を担いだ庄駆士(しょうのくし)が食堂に入ってきて一旦床に置くとすぐさま帰ってしまいます。どのような意味があるのか、だれも分かりませんが連綿と続けられている所作です。
堂司の鐘の合図で童子らが諸道具をあわただしく持ち去ると「食後頌(じきごじゅ)」を唱えて席を立ち、南出仕口(出入口)で閼伽井屋の屋根に向けて鼻紙に包んだ生飯(さば)を投げ動物たちに施しをします。練行衆は一旦宿所に戻り、上堂袈裟に着替えて日中法要に上堂します。
食堂の様子は公開していませんが、運が良ければ北東の出仕口から食作法の様子を拝観することができます。なおその他の出仕口付近は諸役の出入りが多いので邪魔にならないようにしなければなりません。静粛で厳格な戒律による食事風景です。
修二会を詳細に記録した今駒清則写真集『南無観』についてはここをご覧下さい。
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