「お水取り」 内陣の走りから五体を打ちに礼堂へ走り出る 撮影:今駒清則
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3月6日の夜も「走り」がありますので、食堂でお昼の食作法の時に最後まで走り続ける練行衆二名(上数
かみす、下数 しもす)を堂司が指名します。日中から半夜まではほぼ平常の法要を勤め、半夜法要の後に内陣を掃除し須弥壇の燈をすべて点灯します。礼堂では娑婆古練や参観者が詰めかけていて静かに刻を待ちます。
練行衆が本手水から内陣に戻ると一同に香水(こうずい)で加持(かじ)をします。次に四職が礼堂に向いて道場を清め、「大悲者(だいひしゃ)」と観音さまに祈ります。
次いで和上から須弥壇の周囲を右回りで廻りながら祈る行道(ぎょうどう)に入り、ご本尊十一面観音さまの頭上にある佛面へ両袖を大きく振り上げて「南無頂上」と礼拝します。
再び行道し、次は「南無最上」と唱えます。この頃に礼堂にいる堂童子が内陣を覆い隠している戸帳(白幕)をかたち良く巻き上げます。戸帳が巻き上がると内陣がよく見えるようになります。
ご本尊の大観音さまは金襴のとばりに囲まれてお姿は見えませんが、多数の燈に照らされた須弥壇は光り輝いてまぶしいくらいです。
行道はなおも続き、処世界が内陣正面で「南無最上」と唱えた後、堂司以外の上役が礼堂に出て五体を打ち自席に帰ります。五体は膝から五体板に身を投じて打ちつけ懺悔し祈るものです。 |
特別に高い頭上面の
十一面観音さま
「類秘抄」(重文)から
小観音図像部分
奈良国立博物館

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堂司以下の練行衆は行道のうちに順次差懸を脱いで足袋はだしになり、速足で行道しながら衣をたくし上げて走りに備えた姿に整えます。
呪師の振鈴で一斉に走り出しますが、この時に足音がしないようかかとをつけないで走り、順次礼堂に出て五体を打ち、内陣に戻って自席に着座しますが、食堂で指名された二名は合図があるまで走り続けなければなりません。
最後まで走り続ける下数は呪師の合図で五体に出て身を投じ、堂司の土器(かわらけ)投げ、「帳おろせ」の命で内陣に戻り、堂童子は戸帳を以前のように戻して「走り」は終わります。
「お水取り」 練行衆が礼堂に出て局にいる参拝者へ香水を参らせる 撮影:今駒清則
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内陣では堂司が昨年若狭井から汲み上げた香水を練行衆に参らせます。内陣では水一滴も飲めない戒律ですから、走り終わった後にいただくありがたい香水に練行衆の顔がさすがにほころびます。
中灯之一と権処世界は香水を銅杓に入れて礼堂にいる役人や童子などに参らせ、また礼堂の参拝者、局の参拝者にも香水を参らせます。そしてこの後に後夜、晨朝の法要が続きます。
「二月堂絵縁起」では天上の一日は現世の400年に相当するので、行道を急ぎ勤めることで天人の行と同じようにしたい、という願いから「走り」をするということのようですが、走り競うことで祭りにみられるように豊作を祈願するとか、災い除けを願う、また走り踏むことで悪霊封じをする、また走りが芸能へも影響を与えているのではないか、などと考えられていて、謎の多い特別な行法です。
6日は他よりも行事が少ないので走りの始まる時間が早く、また一日の法要が終わる晨朝下堂も午前1時頃と早めになりますので混雑を嫌う方には良い参拝日です。
修二会を詳細に記録した今駒清則写真集『南無観』についてはここをご覧下さい。
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