「お水取り」 牛玉刷りの印や陀羅尼の版木 撮影:今駒清則
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3月10日も特別な法要は無くほぼ常の通りです。この数日は今までの疲れやこの先の大きな行事のために余裕のある時間を持たせた配分になっているのでしょう。
日没の法要が済むと牛玉刷りの版木などを降ろし、参籠宿所の庭で洗って干します。童子たちの仕事です。
「お水取り」 雪の日の二月堂夜景 撮影:今駒清則
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今日は二月堂を見てみましょう。二月堂のご本尊は十一面観音さまです。絶対秘仏で詳細はわかりませんが、等身大の奈良時代の立像で、岩山の上に立たれておられるようです。二月堂は江戸初期に火災にあっているのですが、そのまま今も元の位置におられます。
東大寺ミュージアムではご本尊の「二月堂本尊光背」を展示しています。見事な線刻ですのでそのお姿が想像できます。秘仏ですから観音さまは金襴のとばりで囲まれて拝見できません。
「お水取り」 内陣・須弥壇の側面 撮影:今駒清則
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観音さまのまわりに須弥壇があります。須弥壇の高さは観音さまの腰あたりと考えられています。須弥壇の上でなく須弥壇の中に立っておられるのです。須弥壇には小観音さまのお厨子と、いろいろな供物や荘厳がしてあります。椿、南天の花、壇供など、それに多数の燈りです。正面には中心になる大きな覆いのかけられた常燈があります。須弥壇の下には香水の壺や諸道具が収められています。
この須弥壇を納めたお堂が現在の内陣です。お堂の端は練行衆の座があり、狹窓(格子窓)と板扉が外壁になっています。元々はこのお堂だけだったのですが、後に局を持つ覆屋を建てて一体となりました。ですからお堂(内陣)と局との間には外陣、ジクとも呼ばれる土間のある独特の構造になっています。火災で焼失後再建された時もこの形式を受け継ぎ、また正面に広い礼堂を追加して建てられたのが現在の二月堂です。
「お水取り」 局から見た内陣 撮影:今駒清則
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前にも書きましたように、修二会の時は二月堂の局を自由に出入りして(ただし12日だけは制限があります)練行衆が内陣で法会を勤める様子が拝観できますが、内陣には狹窓と板扉があり、決まりにしたがって扉が閉められている時があります。それでも東正面(裏正面)だけはおよそ常に開けていますので多少は拝観できます。
扉が開けられている時は上の写真のように狹窓越しに拝観します。ここに掲載している内陣の写真には狹窓が写っていませんが、これは特別な許可をいただいて撮影しているためです。それに声明は間近で聴聞ができますので熱心な聴聞者に好まれる所です。
「お水取り」 二月堂の礼堂 撮影:今駒清則
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二月堂は西が正面です。その正面には広い礼堂があり、修二会の時は内陣正面扉の所に戸帳(白幕)がかけられています。ですから内陣は直接見えませんが、須弥壇の燈りが戸帳に透けて練行衆の祈りの姿が影法師になって映ります。
また練行衆の出入り、「五体」「数取懺悔」「走り」「法華懺法」など法要によっては礼堂で勤められますので、正面の局から良く拝観できます。特に12日から14日の「走り」や「だったん」の時は戸帳が開けられますので、正面の須弥壇や小観音さまのお厨子なども良く見えますし、法要も良く見えますので正面の局は早くから満員になります。
上の写真は礼堂が良く見えるように撮影していますが、実際の堂内は油煙で黒く煤けているのと暗いのでこれ程には見えません。
修二会を詳細に記録した今駒清則写真集『南無観』についてはここをご覧下さい。
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