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近況 2008年9月


空 2008.9.2 17:24  撮影:今駒清則

9月2日、依頼されていた作品のプリントを大阪梅田の「堀内カラー」に依頼、帰りに禁断の店「紀伊国屋書店」に立寄りました。行けばペーパーバッグで手が痛くなるほど本を買い込んでしまうからですが、探し物もありゆっくり見て回りました。本はいつも「Amazon」か「日本の古本屋」で購入するのですが、実際に書棚で見ないと分らないこともあります。

 新刊で知人の長谷川裕行氏の『デジタルカメラ「プロ」が教える写真術(講談社ブルーバックス B-1611 ISBN978-4-06-257611-6 本体1,200円 2008年8月20日発行)が出ていましたのでご紹介します。内容はデジタル写真をするのに絶対知っておかなければならないシステムと操作を丁寧に解説したものです。数多く出ている類書はデジタル写真テクニックのあれこれを盛り沢山掲載しているので、かえって重要なポイントがどこか解らない本が多いのですが、この本はどうしても身に付けておかなければならない事だけが無駄なく書かれています。デジタル写真は撮影した写真画像(データ)が撮影者の意図通りを再現している訳ではないので、それをPhotoshopなどで調整してしっかりした画像データに仕上げます。この基本的な処理作業ができないといけないのですが、その点に絞って要領良く書かれています。私も初心者だけでなくかなりのベテランの方にもデジタル写真のアドバイスすることがありますが、意外に基礎知識や基本操作を知らない方もおられますので、この本をテキストにしたいと考えています。なおこの本のユニークなのは本の内容以外にさらにweb上にPhotoshopの操作をPDFファイルで連動して公開していることです。初歩向けですが役に立つことも多いと思います。普通はCD-ROMかDVDが本の付録についているのですが、web上に公開したのは珍しいことです。これはこの本の紹介ホームページからどなたでも見ることができます。

 他に中国関係の書籍がオリンピックの影響もあってかなり並んでいました。全体に中国パッシングを表題にしたのが多いのが気になりますが、急速な経済成長をどう捉えるかとか人権・言論関係の出版が多く、その辺りから数冊購入、これから読んでみます。

 エアコンがきいていて寒くなりましたので外に出て日なたぼっこ。どうも冷房は苦手です。近くの「ヨドバシカメラ」にも立寄って、足りなくなっているDVD-Rとハードディスクをまたも購入。それでサッサと帰りましたが黒雲が来て夕方ににわか雨。西の空に太陽が時々姿を見せるので東の空に虹が出ないかと期待して眺めていましたが出ないまま日没となり雨模様は続いています。


レジ袋

降雨 2008.9.3 17:20  撮影:今駒清則

3日、相変わらず不安定なお天気です。午後に黒雲襲来、ザーッと雨を降らせて通りすぎました。

 地球環境というと大きいのですがエコというと身近です。少しでもできることはしたいと思ってやっています。冷房嫌いですがこれもエコには役立っているようですし、プリウスを選んだのもそこにあります。室内電球は必要個所以外は明るさを半減し消灯しています。台所洗剤は極力使いません。最近レジ袋が話題ですが、マイバッグを使おうと心がけているのですが慣れない習慣でつい忘れてなかなか実行できません。そこで貰ったレジ袋をいつも尻ポケットに入れておくことにしました。これで100パーセントレジ袋を貰うことはなくなりました。帰ったらすぐにまた尻ポケットに入れておきます。数回は使えますがシワだらけのレジ袋になりますのでちょっとカッコ悪いかも。でもこの頃の急な雨降りにバッグや頭へのレインカバーにもなります。


堺市の豪雨

豪雨で霞む市街 2008.9.5 15:16  撮影:今駒清則

5日、お昼までは快晴だったのですが14時30分頃から雲行きが怪しくなり、40分頃に強い雨になりました。みるみるうちに豪雨、街はかすんで見えなくなりました。webの気象情報で見ると大阪市、堺市に雨雲、雷雲がかかっています。そのうち頭上に稲妻が光り雷鳴がたてつづけに鳴ります。これだけの降雨だと稲妻は光っていても雨で霞んでしまい写真には写りません。

 その雷鳴に反応して駐車しているあちこちの自動車から盗難警報器が一斉に鳴りだしました。それに消防車のサイレンもあちこちで鳴り響いて走り回っているようです。冠水がおきた様子で道路は渋滞の列。15時50分頃に小雨になり雷も去ったようなので南海本線堺駅付近へ撮影に出ました。

冠水していても新聞は配達します 2008.9.5 16:33  撮影:今駒清則

 駅の北西では床上まで冠水していて、一時より水は引いたようがそれでも道路は膝下まで水があるところもあります。この冠水は河川の氾濫ではなく、この辺りが周囲よりわずかに低地ということもありますが、これだけの降雨量になると雨水の排水能力が不足していて冠水したようです。それと浸水家屋の方は「水を掻き出していても車が通ると車が立てた波がどんどん家に入ってきて困った」と言われていました。運転者はそこまで気がついていないと思いますので、冠水した住宅道路へは車の進入を避けてあげたいものです。

国道26号線の大雨警報 2008.9.5 16:40  撮影:今駒清則

 水上バイクみたいですが 2008.9.5 16:42  撮影:今駒清則

国道26号線です 2008.9.5 16:48  撮影:今駒清則

 国道26号線は一部冠水していて渋滞しています。走行車線側が水が深く、追越車線側が浅いので、みな中央寄りを走るためそこから2車線が1車線になり長い渋滞の列が続いています。トラックなどは少し深いところでも大丈夫のようで水を蹴立ててそこを走っていました。

浸水した床の掃除 2008.9.5 16:50  撮影:今駒清則

 周辺の浸水した住宅や町工場では床の掃除やら機械の点検など総出で後始末をしています。道路の冠水は小雨になったら急に引いてしまいましたから排水能力を超えていた降雨量だったことがわかります。

 2008.9.5 16:00 のアメダス(気象庁データ) 

2008.9.5 16:00 「ひまわり6号」の水蒸気画 JST

 気象庁のアメダスではこの16時台の時間降雨量を81ミリと記録しています。16時の水蒸気画では大阪付近に雨雲があり、これが豪雨をもたらしたものです。堺市では記録更新の最大降雨量とのこと。スポーツの記録更新は嬉しいのですがこれは歓迎できません。今日の豪雨でも凄いのに先月29日の岡崎市は146.5ミリでした。大変な雨量だったことを実感しました。やはり異常気象の一つでしょうか。

(追記:6日の「YOMIURI ONLINE」の記事「堺でゲリラ豪雨、320世帯浸水」によると「近畿地方は5日、大気が不安定になって積乱雲が発達し、堺市で午後3時50分までの1時間に93.5ミリの猛烈な雨を観測。約320世帯が浸水し、JR阪和線も冠水して一時、運転を見合わせた。・・・堺市によると、市中心部の堺区などで50世帯が床上浸水、273世帯が床下浸水し、道路は56か所で冠水した。同区南向陽町の住宅地では一時、水深が50センチ前後に。住人の女性(25)は「ゲリラ豪雨が騒がれているが、まさか自分が被害に遭うとは」と、家の中の水をほうきではき出していた。午後3時半ごろには、同区のJR阪和線三国ヶ丘駅構内の線路が約75メートルにわたり冠水。水が引くまでの約50分間、天王寺-和歌山間の全線がストップし、約9万5000人に影響した。」とありました。)


江戸城ちょっと散歩

工事が始まった東京駅 2008.9.8  撮影:今駒清則

8日能楽写真家協会の勉強会で東京へ。富士山は夏の雲に隠れて見えませんでした。東京駅丸の内駅舎は戦災で失った3階と大屋根を創建時に復元する工事が始まっています。

 今日は月曜日なので美術館はどこも休館日でいつものように美術館巡りができません。そこで東京駅からすぐの皇居外苑に向かいしばらく江戸城散歩をすることにしました。東京駅の近くなのになかなか見ることができなかったので良い機会です。

和田倉橋から丸の内のビル街  撮影:今駒清則

 東京駅から「大名小路」があった丸の内のビジネス街を真っ直ぐ抜けると、幅の広い「馬場先濠」「和田倉濠」の内濠にさしかかります。衛星写真地図そこに架かる「和田倉橋」を渡ると「和田倉門」の桝形があります。桝形や石垣、雁木などそのまま残っていて良い佇まいです。ただ石垣の石は大阪城に比べれば小さく造作もさほど良くありません。ここから今の皇居外苑で、大名屋敷が建ち並んでいた「西の丸下」になります。goo古地図「大名小路繪圖」)

松平肥後守上屋敷があった皇居外苑でお昼寝のビジネスマン  撮影:今駒清則

 勿論今は大名屋敷を偲ぶものは何も無いのですが、芝生と松などがきれいに植えられていて、平日でビジネスアワーのせいもあって人もまばらです。それでもよく見ると松の下にはお昼寝をする人たちがあちこちにいます。日本一といわれる丸の内のビジネスゾーンのすぐ隣になんとものどかな光景があります。

蛤濠の管  撮影:今駒清則

 さらに進むと「本丸」の「富士見櫓」が遠くに見え、「巽櫓」のある「桔梗濠」と「桔梗門」に着きます。さらにそこから「蛤濠」に沿って左へ向かうと、幕末に老中・安藤信正が襲撃された坂下門がありますが、その濠の角に美しい石の管がありました。くり貫きでなく石の組みあわせで造られています。水位調節の役目をしているのでしょうか。

石垣の刻印  撮影:今駒清則

 さらにその近くに刻印のある石垣がありました。石垣の刻印はこの石垣の造成を担当した大名らの印を示しているのですが、ここには3つの刻印がかたまってあります。濠の角になりますのでここで分担の境界になっているのでしょう。逆(右) 卍なので阿波蜂須賀家が造成したのでしょうか。

 ここで時間になったので能楽写真家協会の勉強会に向かい、この「江戸城ちょっと散歩」は終わり。また機会をみて巡ります。目的の勉強会を済ませて帰阪です。


明石海峡大橋の日没 2008.9.9 18:11  撮影:今駒清則

9日、久しぶりにさわやかな一日でした。真っ青な空と適度な気温、吹く風が初秋を持ってきてくれました。しかしあまりにも晴れ渡った青空では空に変化がなく写真撮影ができません。そのかわり仕事に集中。夕方も雲一つ無く晴れ渡って真っ赤な太陽が明石海峡大橋をシルエットにして沈んで行きました。


サルビアの花  撮影:今駒清則

12日、集中している制作のため、ここの更新がちょっと遅れています。

 年中花を咲かせていたサルビアがちょっと弱ってきました。というよりもう10年以上プランターで咲き続けて、幹は古木風になって風格さえ感じるのですが新しい枝が出にくいようです。写真のようにまだまだいっぱいに花を咲かせていますが、念のため夏前にこれから採取した種を適当に蒔いておきました。沢山芽を出したので元気なものを新しいプランターに植えておいたら、親より大きな葉の中からもうきれいな花を咲かせています。これでいつでも世代交代できるので安心です。サルビアは萼とそこからのびる唇花が落ちるのでその掃除はしなければなりませんが、育てるのにはまったく手のかからない花で助かっています。というより何もしなくても良い植物だけが生き残っている、というのが我がベランダなのです。

 秋の祭シーズンになりました。これからいくつかの祭の取材を計画しています。少々忙しくなります。


岸和田の「だんじり祭」

13日、40年ぶりかに岸和田衛星写真地図の「だんじり祭」へ散歩がてら撮影に出かけてみました。だんじりは早朝から町内を曳き廻っているようですが、朝は雨が降っていたのでどうしていたのでしょうか。雨もあがり夏のような陽射しがさしてきたお昼頃に南海電車に乗りました。「岸和田」手前の「春木」の駅前でもだんじり祭の人波とだんじりが車窓から見えました。「だんじり祭」は岸和田と春木とで同時開催のようです。大阪南部の祭ではだんじりや布団太鼓を曳くのが一般的ですが、特に岸和田には35基(春木を含む)ものだんじりがあって泉南随一に「だんじり祭」が盛んです。ただこの祭では一般的な祭とは少し違うところがあり、神社からのご神幸がありません。神様が神輿や鳳輦で町内をお渡りする事はなく、「やま」である「だんじり」が厄払い・町内安全を願って町内を巡るのです。(「やま」については7月25日の項、<大和の「つくりもの」2 東長柄「天神祭」の「立山」>をご参照下さい。)

 この祭では地域ごとに岸城(きしき)神社、岸和田天神宮、春木弥栄神社へそれぞれのだんじりが「宮入り」はしますが、だんじり曳行そのものは神社の祭祀行事の差配ではなく、だんじりを持つ町会、また町会連合の独自運営に拠っています。それだけに各町会のだんじりにかける思いは並々でではなく、近年マスコミの注目もあって観客も急増し、祭の内容もイベント的な様相になってきたところもあるようです。

 「岸和田だんじり祭」についてはこれだけ熱の入った祭だけに、ホームページでも沢山のサイトが開設されています。岸和田市「岸和田だんじり祭」、また「情報発信web千亀利」、「岸和田地車 絆」などが詳しいので祭の内容はそちらでご参照下さい。

だんじり 2008.9.13  撮影:今駒清則

 南海本線「岸和田」駅前はだんじりの曳行を見る人で通行もできない人だかりです。時々巡ってくるだんじりを暑い日差しの中でじっと根気強く待つのは大変で、そこから南の「岸和田駅南」交差点付近へ行き、そこは広いのでだんじりが速度をあげて曲る「やりまわし」が安全に良く見えます。さらにその川端筋を浜側へ、川端筋では後ろから時々だんじりがやってきますが道幅が広いので写真の撮影がしやすく、撮影をしながらだんじりが集まる「カンカン場」(岸和田港交差点、岸和田カンカン・ベイサイドモール前)へ向かいます。「大北町」付近から泉南の大動脈・府道臨海線の広い道路は交通遮断されてだんじりだけが通れる思い切った交通規制をしていますが、大変な人出と露店で歩行も撮影も不自由です。「カンカン場」には有料の観覧席が臨時に造られていますが、混雑がひどいので「北町」交差点から旧町内へ入り、紀州街道の「菊右衛門橋」で狭い道筋での「やりまわし」を撮影しました。

やりまわし中の「大工方」 2008.9.13  撮影:今駒清則

 山車やだんじり曳行の見どころは狭い辻での曲がり方にあります。岸和田では下の写真のように辻の手前で一旦停止します。そこから気合いを入れて一気に加速し後輪をずらして曲がります。つまりドリフトで曲るわけです。これを指揮するのはだんじりの大屋根に一人乗る「大工方」です。辻にさしかかるまでは大屋根の上で舞うように左右方向や速度を指図し曳き手を鼓舞します。時に大屋根の左右へ跳び移ったりしますが、曲っている最中は転げ落ちないように足を踏ん張り、両手でバランスをとって横G(横重力加速度)に耐えます。時にバランスを崩して後ろの小屋根にいる「大工方」に支えてもらうようなこともありますが、何と言っても「大工方」はだんじり祭の華です。

「地車一旦停止線」 2008.9.13  撮影:今駒清則

 私の故郷豊田市の挙母(ころも)神社衛星写真地図でも秋の「挙母祭」に山車が町内を巡行し狭い辻を高速で曲がります。50年程前に大阪に移ってすぐに「岸和田だんじり祭」を見に行きました。その頃は今ほど観客も無く、だんじりの数が多いこと以外は曳行の様子が噂ほどではなかったので正直少しがっかりした覚えがあります。

 「挙母祭」の山車は8基あり「神明造り」で彫刻も多く、幕で飾り飛騨高山祭の屋台のようですが、豪快さと雅さとを織り交ぜて巡行します。かってはお城へも入って山車で子供芝居など演じて見せていたようです。山車の高さは6m近くあり、その上に数人が上り舞ったりして気勢をあげます。それが旧町内をさまざまなお囃子を奏でながらゆっくりと、また駆け抜けるのを見るのは少年時代の大きな楽しみでした。

 「岸和田だんじり祭」のだんじりは35基もあり、欅などの白木で造られ、彫刻をめぐらしただんじりの高さは4mほどです。辻で曲るのは両者大差ないのですが大きさ、高さが違うのでその迫力は「挙母祭」が勝っているように思います。なおお城へ上るところは両者に共通しています。

 最近は「挙母祭」に行く機会がないのでこの頃の様子はわかりませんが、私がいた頃は山車から転落したり挟まれたりして死傷者が続き何かと制限をしたことがありました。近ごろは旧町内の道路も広くなり、また紙吹雪で山車が見えなくなるほどに撒くようになったとかで昔とはかなり様変わりしているそうです。そのうち「挙母祭」にも出かけないといけないですね。例年10月第3土・日が例祭ですので今年は10月18・19日になります。

 久しぶりの「岸和田だんじり祭」で感じたものは、そのだんじりの数の多さから祭にかかわる人数の圧倒的な多さ、それにだんじりにかける町衆の熱い思いがよく伝わってきました。夕方からの「灯入れ曳行」は失礼して、その足で大阪市平野区の「川辺八幡神社秋祭」の宵宮に向かいました。

(9月20日追記:「YouTube」に「挙母祭」があります。岸和田には無い「子供歌舞伎」や、曳行で「ぶんまわし」という山車が回転して戻るのも見られますが、映像によれば最近の曳行はかなりおとなしくなっているようで、同じくYouTubeの「岸和田だんじり」で見ると、岸和田の「やりまわし」の方が最近では威勢が良いようですね。)


14日、日曜日。中秋の名月で夜半に月が見事に輝いていました、

 昨日13日は「岸和田だんじり」の後にもう一つの祭に行きました。なに一つ宣伝をしていない祭なので近隣の人しか知らないのですが、とても素晴らしい祭でした。

川辺村

 大阪市の南東部、大和川の北岸に川辺(かわなべ)の町があります。この川岸にある川辺八幡神社衛星写真地図の秋祭なのですが、祭の前にこの町を少しご紹介します。

 約300年前に大和川の付替えによって新川(大和川)の川筋となった村はいろいろな影響を受けました(付替えについては「大和川付替え300年」ホームページをご参照下さい)。すでにこの「近況」でも幾つかその断片(「途切れた道」2007年9月28日、10月19日、2008年3月25日の項。「環濠の村」2007年10月17日の項。「住吉大社 御輿渡御祭」2008年8月1日の項)でとり上げているのですが、この川辺村も新川の開削には反対をしましたが、結局は村の真ん中を新川が通ったため、村の南部にあった農地が川向こうになってしまいました。これは現在でも行政区画を地図で見ると、川辺の現在の町名、平野区「長吉川辺」は大和川の南の松原市に食い込んだ形の飛び地があります。これは新川の下敷きになってしまった農地分を東除川(ひがしよけがわ)の河川敷でもらったものと思われます。また村の西を南から北へ流れていた東除川は新川で分断されて水が流れなくなり、その跡は河内木綿となる綿畑などになりました。川辺八幡神社も新川のためにその敷地を取られ縮小して北に移動したようです。なおこの「川辺」の村名は大和川の川辺でなく、以前からあった東除川の川辺からきているのでしょう。

 この川辺村の中央を南北に通っている道は、河内南部と、大坂東部で繁栄した平野郷に通じていて、新川ができると川辺と向かいの大堀には渡し場と剣先船の船着き場ができて、ここから近隣の年貢米や農産物が船で大坂へ運ばれるようになり、また大坂、堺からは肥料などの物資が運ばれ物流の拠点として川辺村は繁栄します。この道には明治になって「明治橋」が架かり、名橋として永く親しまれていましたが、1988(昭和63)年に少し下流へ現在の新「明治橋」として付替えられました。

大和川 南東方向を望む 2008.9.13  撮影:今駒清則

 上の写真は大和川で、川辺の堤防から上流と、向う岸の松原市大堀を見た風景です衛星写真地図。中央の木立は「大堀八幡神社」で、川幅は開削時よりかなり拡幅されています。この写真の辺りに剣先船の船着き場がありました。また手前の川中に石が並べてありますが、ここが「川辺八幡神社秋祭」の宵宮で「足洗い」と呼ばれる神事が行われる所です。その向こうに「明治橋」が架かっていたのですが写真の右画面外に付替えられました。河川敷には宵宮の神事を観るために早くから場所取りをして待っています。

「川辺八幡神社秋祭 宵宮」

 その川辺八幡神社の秋祭は、今年は9月13日、14日でした。この辺りの祭と同様に「神輿」「地車(だんじり)」「布団太鼓」が町内を巡行しますが、川辺八幡神社ではこれに「足洗い(川入り)」と「奉納花火」があるのが特徴です。下に今年の行事次第を掲載します。

2008(平成20)年 かわなべ祭り

9月13日(土曜日)宵宮
   地 車
           宮出し    午後2時30分
           宮入り    午後4時
   ふとん太鼓・神輿
           宮出し    午後7時
           川入り    午後7時30分より
           奉納花火   午後7時30分より
           宮入り    午後10時30分
9月14日(日曜日)本宮
   地 車
           宮出し    午後2時30分
           宮入り    午後4時
   ふとん太鼓・神輿
     お渡り   宮出し    午後2時30分
           宮入り    午後4時20分
     夜の巡行  宮出し    午後8時
           宮入り    午後10時10分

神輿と布団太鼓 2008.9.13  撮影:今駒清則

 

 ご神幸(お渡り)には「神輿」が、町内を練るのは「布団太鼓」と「地車」です。「布団太鼓」は太鼓台の上に積み重ねた布団状のものを乗せています。「やま」の一種類ですから神の依り代なのですが、それがなぜ布団なのかはわかっていません。また「なにか」が布団に見えるので布団と呼んだのかも知れません。不思議なかたちの「やま」です。大阪を中心に関西一円から九州まで広く分布しています。(なおこの祭道具の専門店もあります)

「布団太鼓」の乗り児 2008.9.13  撮影:今駒清則

 「布団太鼓」の太鼓台には4人の乗り児(敲き児)が乗り太鼓を打ちます。太鼓台に乗り込む時は地について穢れないように肩車で来ます。子どもは純真無垢で神に近いので祭の時は主役になることが多いのです。太鼓台に乗ると落ちないように紐で太鼓台に縛りつけられます。右の写真は乗り込んだところで、まだ4人で向かいあって太鼓を打つ態勢にはなっていません。太鼓を打っている場面では背面になり隠れてよく見えない写真になりますのであえてそれを外した場面を掲載しています。

旧町内を大和川に向かう 2008.9.13  撮影:今駒清則

 宵宮で時間になると「布団太鼓」と「神輿」の担ぎ手が一の鳥居から走り込んできます。すぐに「宮出し」となって町内を練り大和川のお旅所に向かいます。旧町内には古い家並が残り、中には大和棟の民家も見られます。

足洗い神事 2008.9.13  撮影:今駒清則

 大和川の堤防上にあるお旅所で一刻休息し、いよいよ「足洗い」で大和川へ「川入り」します。「足洗い」は「神輿」や「布団太鼓」の台足を浄めるためで、石で区画された「足洗い場」に入ると、用意されていた仕掛け花火の「ナイアガラの滝」に点火されて川面が輝き、「神輿」と「布団太鼓」がシルエットになって浮かび上がります。「足洗い」は他に平野の「杭全神社秋祭」で平野川の樋之尻橋で神事が行われますが、現在は川に入ることはありませんので、それだけにこれは貴重な行事になっています。なおこの川辺八幡神社の祭礼全般に杭全神社の影響が濃いように思えます。

打上げ花火 2008.9.13  撮影:今駒清則

 「神輿」と「布団太鼓」が堤防上のお旅所に戻って安置されると、神様に奉納する「花火」が大和川の対岸から打上げられます。30分間ほどの打上げ花火ですが直近で連続して打上げられますので程良く見られます。特に宣伝もしていないので近郊の知る人ぞ知る祭で、他の花火大会のように雑踏で難儀することもなくゆったりと楽しめます。花火が終わるとお旅所では暫く太鼓が打ち鳴らされ、「神輿」と「布団太鼓」は夜店で賑わう神社へ還幸となり宵宮は終わります。


デジタルカメラ

ギンナン 2008.9.17  撮影:今駒清則

17日、銀杏の実(ギンナン)が秋を告げています。

 ここしばらく覆面広告をしていたキヤノンのデジタル一眼レフカメラを今日発表しました。覆面広告のシルエットと今までのラインナップから大体予想はついていたのですが、「EOS 5D Mark II」の発表で、有効2,110万画素の35mmフルサイズCMOSセンサーです。以前から発売されている「EOS-1Ds Mark III」も2,110万画素の35mmフルサイズCMOSセンサー。これの少し前にソニーから「α900」が発表され、こちらは有効2,460万画素の35mmフルサイズCMOSセンサーです。やっと2,400万画素のデジタルカメラが選べるようになりました。

 この2,400万画素の画像というのは、私がデジタル写真の研究と実践を始めた1982年頃のコンピュータの能力では到底扱えないデーター量でした。その後パソコンの能力が徐々に向上してきたので、高解像度画像は画面を分割して処理するなどの方法でパソコンで300万画素程度の画像を無理やり扱えるようにしていました。1988年にニコンから35mmフィルムスキャナ「LS-3500」が発売され、これは当時にしてはすごい高解像度のスキャナでしたから、これでフィルムの性能をデジタルで再現する試験を行ったところ、2,400万画素で内式カラーフィルム(普通のカラーフィルム)の性能をクリアできる、という結果を得ました。カラーフィルムの一画素をデジタルの数画素で構成する、というとわかりやすいでしょう。ただしこの1988年頃はデジタルカメラの黎明期で、スチルビデオカメラが発売されていましたがアナログのビデオ画像で、これをA/D変換して約30万画素、世界初のデジタルカメラ、富士フィルムの「FUJIX DS-1P」で約40万画素といった時代でしたので、ワンショットでカラーフィルム並の写真画質で撮影するというのは夢のまた夢でしたが、私はいずれそういう時が来ると確信していましたので、その後もコツコツとデジタル写真の研究を続けてきました。

 この2,400万画素で画素数的にはカラーフィルムをほぼ超えたと言って良いと思います。もちろんまだダイナミックレンジ(明暗差の幅)は素ではフィルムに追いつかないところはありますが、このあたりはデジタルならではのソフトウエア技術で実用的にまったく問題ありません。さらに感光度についてはフィルムが到底追いつかない超高感度で撮影ができるようになり、まるで暗視カメラと言っても良いような性能を持つニコン「D3」もあります。このあたりのデジタルカメラはやや高価ですが、フィルム代と現像代がいらないのですから、ちょっと計算すればさほど高価なものでもないことはわかります。

 相次ぐ新製品発表はこの23日からドイツ・ケルンで始まる「フォトキナ」で新製品を展示・発表するためのもので、まだこれから国内外で新製品の発表が相次ぐことでしょう。


台風13号

雲の行列 台風13号の日 2008.9.19  撮影:今駒清則

19日、台風が今年初接近で、昨日から風が強くベランダの鉢などを蔭に退避させ、万全の対策をしていましたが、接近した今日の方がさほどの事もなく、集中豪雨などが続いた後でしたから心配していたのですがまず幸いでした。が、ちょっと拍子抜けした感もあります。台風前後は雲がさまざまに変化して撮影するには好適ですが、今日の日中は雲が厚くてあまり変化がなく、夕方になって西の空が晴れてくるといろいろな雲が現われて大いに収穫がありました。


2008.9.21 18:24
撮影:今駒清則

迷走?する雷光


21日、日曜日。台風13号が去って今日は平穏なお天気かなと思ったら、朝鮮半島方面から台風を追いかけるように低気圧が来て一日に2回も雷雨。午後の部は明石海峡付近付近で発生した雷雲が奈良方面へ通り抜けるのに頭上で大暴れ。いつものように撮影をしましたが、結果は平凡な落雷写真しかないので掲載は見合わせるつもりでしたが、写真を精査すると落雷の途中でヒモを結ぶような光がありましたので掲載します。落ちてくる途中で迷った?のでしょうかね。写真は部分を大きくしていますので荒れていて申し訳ないのですが、大体はわかると思います。

 落雷の時の稲妻は一瞬ですから、目で見えるのは光る筋でしか見えませんが、写真で見るとさまざまな形をしています。「web Gallery」の「雑況」にも少し書いていますが、雷写真を沢山ご覧になりたい方は「雷写真コンテスト」というのがありますのでそちらをご覧下さい。また全国の雷の情報は「雷ch」で近づくのを事前に知ることができます。

 雷雲が近づくとまずパソコン関係のコンセントを抜き。Netのケーブルも外しておきます。デスクトップパソコンはその間仕事ができないのですが、ノートパソコンはバッテリー駆動ができますのでそちらで仕事をします(実際には雷光を撮影していることの方が多いのですが)。一応「過電流プロテクター」を電源コンセントに着けているのですが、これは留守にしている時の「おまじない」です。

 まあ、今まで落雷による瞬断はありましたが、上記の対策のおかげか無事故できています。


いわし雲

飛行機雲の影 2008.9.23  撮影:今駒清則

23日、祝日。秋分の日、お彼岸の中日です。北海道からは雪便り。空は「いわし雲(うろこ雲、巻積雲)」が時々通り過ぎます。もう「秋」と言って良いですね。

 よく見ると「いわし雲」に一直線の黒い筋が。高度1万mを飛ぶ航空機の排気が凍って作る飛行機雲の影が「いわし雲」に投影されてできたものです。飛行機雲はその影の左右にも何筋か見えます。雲に影が透けて見えることから「いわし雲」の厚さが薄いことと、高度1万mよりちょっと低いことを証明しているもので、珍しい光景ではないかと思います。


月の出 2008.9.25 01:28  撮影:今駒清則

25日、昨夜もその前夜も0時前後に生駒山の山の端から昇る月を撮影しようと待ちかまえていましたが、霞んでいたりしてうまく撮影ができませんでした。生駒山山頂の送信鉄塔の背後にジャストに昇るのはあまり機会が無いので残念です。月がやっと見えたのはかなり昇ってからでした。太陽が昇る位置は一日位違っても少ししか違いはないのですが、月は大きく位置が変わって昇ります。次の機会は10月17日18時45分(実際見えるのは5分ほど遅れます)の月の出ですが、晴れてくれるでしょうか。


火山地帯を飛ぶ

撮影:今駒清則

26日、噴火口が連続する火山地帯です。流れ出た溶岩と侵食された峡谷は自然が造りだした造形美です。

 というのは、実は昨日魚屋で新鮮なサザエを買い美味しくいただきました。その貝殻についたフジツボの超接写、というのが真相です。


山あいから見える山

1. 山あいから見えた山 2008.5.31  撮影:今駒清則

28日、日曜日。5月のことですが、遠くにある山あいから富士山の様なきれいな山が見えるのに気がつきました。ここには600mmレンズで撮影した画面の約1/4を掲載していますのでよくわかりますが、目では写真のようにははっきりとはわからない遠い景色です。

2. いつも見える景色 2008.9.28  撮影:今駒清則

 いつもはこのように平凡な山並みが見えるだけなので、富士山のような山があるとは思ってもいませんでした。写真は少し朝焼けした今朝の風景です。

3. 1と2を合せて画像処理してみました  撮影:今駒清則

 そこで1と2を合せて画像処理し、コンディションが良ければこう見えるであろうとシミュレーションしてみました。

4. 2に合せた色調整をしました  撮影:今駒清則

 3は1と2を単に半々に合せただけでしたので2の雰囲気が失われてしまいました。2に近づくよう色調の調整をしたものです。

 私のデジタル写真では自分の意図通りに表現するために、色相、明度、彩度、コントラストだけを微調整する画像処理を必ずしますが、画像合成などの画像処理は余程のことが無い限りしません。画像合成をする場合でも写真の事実性を損なわないように細心の注意を払って同一フレームの写真を重ねたリアルな画像処理します。異なる写真を組みあわせるコラージュ的な合成はしませんが、シュールな世界も好きなのでいずれはそういうものにも挑戦してみたいと思っています。


「アジアとヨーロッパの肖像」展 国立国際美術館

29日、秋雨前線のせいか急に冷え込んで、一足早く衣替えです。

 明日からの展覧会プレビューがあり国立国際美術館にでかけました。上のバナーの通り「アジアとヨーロッパの肖像」でASEMUS(アジア・ヨーロッパ・ミュージアム・ネットワーク)による巡回展の初回です。国立民族学博物館(民博)の企画発想でASEMUSへ呼びかけ実現したもので、現在国立民族学博物館と国立国際美術館で開催し、12月6日から福岡アジア美術館、来年2月7日から神奈川県立近代美術館神奈川県立歴史博物館での開催予定です。

 「肖像」をテーマとして近代に表現された人間像を、アジアとヨーロッパでは相互にいかに表現してきたかを考えるもので、「1章 それぞれの肖像」「2章 接触以前 想像された他者」「3章 接触以降 自己の手法で描く」「4章 近代の眼 他者の手法を取り入れる」「5章 現代における自己と他者」というセクションに分け、おおよそ時間軸で展示しています。人間が最も興味を持っているのは人間ですから、そこからの深い観察と想像力で現された絵画、彫刻、工芸、写真、商業美術その他あらゆるジャンルに、民族のアイデンティティが織り込まれた膨大な作品群からのキューレーションは並大抵では無かったと思われますが、展示では私の仕事の写真だけから眺めてみると、どこに軸がおいてあるのかはよくわかりませんでした。例えば誰でも知っている上野彦馬、ダイアン・アーバス、ブラッサイ(ジュラ・ハラース)、ユーサフ・カーシュ、リチャード・アベドンといった人物を追った写真家たちの作品は一点も見ることができませんでした。(国立国際美術館展示作品のうち、写真・映像関連だけを抜き出した「展示作品リスト」を作成しましたのでご覧下さい。)

 しかし展覧会全体を眺めるととても面白いのです。雑多で価値観の交錯した作品たちが出迎えてくれます。ミュージアムの発生は雑多なもののコレクションによる「見せ物小屋」であったとされていますが、まさに今回の展覧会はその原点回帰を思わせるもので、閉館の17時まで楽しんで見ていました。


8月 08年9月 10月