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7月1日、街角に子どもたちの願いを書いた七夕飾りが並べられていました。梅雨前線の通過で荒れた日でしたが、水不足は解消しそうです。 展覧会に行けそうもないので図録だけでもと思って調べましたが簡単には入手し難かったところ、展覧会に関係する学芸の方のご厚意で先日送っていただき、ざっと目を通したところです。展覧会は「絵画と写真の交差〜印象派誕生の軌跡〜」で、帯広、札幌、広島、松本、名古屋と巡回するのですが、関西では残念ながら開催されないのでまったく話題になっていません。この図録は340頁余りの立派なもので写真も解説も充実しています。展覧会は写真の誕生と印象派絵画の相互関係を対比させるなどして光と影がもたらすところの芸術性を考える内容で、写真については私が初見の作品もあり、とても興味深いものです。現在はひろしま美術館で開催されていますが、次の名古屋市美術館の時に見に行くつもりでいます。この展覧会については帯広美術館で開催した時の主催者・十勝毎日新聞が特集を組み、そのホームページに同展関連記事を多数掲載していて読みごたえがありますのでぜひご覧下さい。なお出品目録はこちら(PDF)にあります。参考のために図録から目次を掲載します。なお出品作品の多くは東京富士美術館のコレクションによるものです。
2日、梅雨らしい雨が降ったので大和の農村に出かけました。たっぷりと水をたたえた水田や花々、農村の暮らしや佇まいを探しにです。ライブカメラがあると出かける前に現地の様子がわかるのですが、普通の農村や田んぼにおよそライブカメラはありません。そこで国交省の大和川河川事務所が運営している大和川の水位状況ライブカメラを利用して水位や周辺の風景を見て見当をつけています。今日はかなりの水位があり良さそうですが、空は厚い雨雲で覆われています。こういう日はあまり空の入らないものを撮影していけば良いのです。
車で幾つかの村を廻りますが、大和・国中(くんなか)は集村ですので車を村の中に乗り入れてしまうと駐車する場所はまずありません。それどころか狭い道で曲れない、立ち往生もということもあります。ですから少し離れた所に駐車して村に近づきます。私は村に入るまでにまず周囲を一周します。あまり大きな村はありませんので廻ってもさほど時間はかかりません。田畑や農業水路などの様子を見て村に入ります。古絵図、明治の地形図、現代地図を参照しながら街道、入口や寺社、森、環濠など確認して南北、東西の中心路から小路までくまなく歩きます。
農事を知らない私にはいろいろと新しい発見があり、一日歩いても疲れをおぼえません。それらは時々ここに掲載したいと思います。
3日、中・高校生の時は考古、20代は古代から平安へ、30代頃から中世と興味ある時代が順序良く下ってきて、最近は明治に興味を持つようになりました。昨日ドナルド・キーン著「明治天皇」を「日本の古本屋」で検索して注文、注文した古本屋は駅2つ目の近くにあったので配送でなく引き取りに出向きました。住宅地の中にあって近くなのに今まで存在をまったく知らなかったのですが、店内は歴史書があふれていて魅力的な古本屋。私にとっては禁断の場所がまた一つ増えました。で、さらに数冊購入したのは言うまでもありません。
4日、さる3月22日に61歳で亡くなれた中島徳博氏を偲ぶ会が神戸でありました。氏は兵庫県立近代美術館(現・兵庫県立美術館)で学芸員を務められ、多くの美術展の企画やコレクションで活躍され大きな評価を得ておられたのですが、中でも早くから写真に注目され、日本写真史の中でも重要な芸術活動の、神戸・大阪を中心に展開した「新興写真」について深く研究され、蒐集された作品群は兵庫県立美術館の大きな柱になっています。大病をされてもその活動は止むことなく、書かれた論文は順次メールで関係先に送られていましたが、それはついに未完になりました。私もメール論文が途絶えたので心配をしていたのですが誠に残念な事でした。いろいろとお世話になりましてありがとうございました。会場では100人を超える方々が参集し中島氏を偲びました。
会場は兵庫県立美術館の隣、帰りには六甲山に日が沈むところでした。
5日、日曜日。大阪・梅田のニコンサロンで開催している「小柴一良写真展・水俣よサヨウナラ、コンニチハ」。永く水俣公害を見つめ、住みついて撮影を続けた小柴さんの作品、胸を打つ写真です。チッソの公害責任を政府がうやむやにしようとする昨今のニュースに、この現実をどうするのかと考えさせられる写真展でした。 今日は休息日。で、買ってきたハードディスクをバックアップ用にするため、書き換えたりデータが増えたいくつかのハードディスクのデータをまるごとコピー。Macがコピーしている間はお昼寝。データは必ず複数で保存しているのでこれでデータは安全です。夜はウインブルドン・テニスの男子ファイナル中継を観戦予定。楽しみです。 19日に掲載したサボテンの子ども、直径6ミリだったのが半月で倍の12ミリになりました。小さい時は驚異的な成長ですね。
6日、雨は降りませんでしたが目まぐるしく空模様が変わった日で、時々雲を撮影したのですが一つとして同じような種類の雲が無かった一日でした。
夜になって東の空を見ると入道雲が夜空に青く輝いています。素早く撮影したのですが下層の雲がすぐに覆ってしまって2カットしか撮影できませんでした。これは始めてみる現象です。雲自身が青いはずはありませんから簡単に言えば光の具合で青く見えるようになったのでしょう。撮影したけれどその青い色が写真に出ているかどうか不安でしたが、ご覧のように再現されています。デジタルカメラで撮影した写真ですから後で色を変更することもできるのですが、この写真はまったくそういった加工はしていません。もう少し早く発見していたならもっと良い写真が撮れたのに、と残念です。
7日、大和の農村歩きですが、今日は大和高田市の奥田(衛星写真地図)で行われた「蓮とり」です。同日の吉野・蔵王堂(金峯山寺)の「蓮華会」(蛙飛び行事で有名)で蔵王権現にお供えする蓮を、奥田の北東に隣接する蓮池(捨篠池)で採る行事です。
蓮とり舟に乗った修験者が蓮池に入りお供えする蓮を摘み採ります。池の周囲はこれを拝む人、見る人、撮影する人でいっぱい。蓮はこの日のために手入れされているようでなかなかきれいです。
事前に用意された蓮の花と共に蔵王堂に届けますが、出発までには修験者による祈祷や行列などが村中で行われます。
修験者たちが役行者(役小角)をまつる福田寺(行者堂)を拝し、役行者の生母という「刀良売(とらめ)」の墓参りをし、その後蓮池の辺にある弁天神社で大護摩を焚いて法要を勤め蔵王堂に出発します。この奥田付近が役行者の生誕地と伝えられていることから蔵王堂と縁が深いようなのです。
この奥田は環濠集落の名残を留めています。戦国の世にこの付近一帯を支配していた越智氏の配下、興田氏(奥田はかって興田と言われていた)の本拠地で環濠を備えた村でした。村の北側には幅の広い水濠があり、現在は道路になっている部分(上の写真)を含めて想像すれば中世の環濠の姿が彷彿としてきます。奥田の環濠は南西部分がはっきりしませんが、主な水路をたどれば村中をほぼ一周できます。現代のことですから他の環濠集落と同様に水濠は狭められてコンクリートの水路に化していたり、蓋をされて道路下の雨水幹線や農業水路になっていたり空き地になったりしています。またここ奥田では防御用の土塁や竹薮などがまったく見られませんので早くに武装解除した村ではないかと思われます。
10日、梅雨らしい日が続いていますが、低気圧のせいで強風が吹き荒れてベランダの花々を風裏に退避しなければなりません。面倒なことです。季節柄のものを何ヶ所か撮影に行かねばならないのですがこれもお天気待ちです。
11日、雨が上がったようなので涼しい早朝から大和の農村歩きに出かけました。畑にCDかDVDのディスクを掛けて鳥除けにしているのが面白くいろいろ撮ってみました。
田んぼや水路に小さいアメリカザリガニがいっぱい。少し大きいこのザリガニ、これで隠れているつもりです。
動いてくれないと見つけにくいショウリョウバッタ、カメラを向けると稲の葉の後側に回り込んで隠れます。
なにか美しい花のようですがジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)の卵です。驚異的に繁殖して大和の農村にもいっぱいいますが、寒さには弱いので北日本にはまだいないようです。南米産で農作物に害があるそうです。(詳しくは九州沖縄農業研究センターのホームページへ) 以前にものは試しでジャンボタニシを一度食べてみたことがあります。寄生虫がいる可能性があるので良く煮て食べましたが特に美味しいものではありませんでした。子どものころは田や小川でタニシをいっぱい採って酢みそ和えで食べていましたが、香りも良くとても美味しいのでよく採りに行ったものです。
12日、日曜日。今朝からセミの鳴き声が聞こえるようになりました。昨年は18日でしたから少し早いようです。これも温暖化の影響でしょうか。
朝早くに近くの公園に出かけてみました。街中の公園ですからコンクリートの所でも羽化しています。このクマゼミは陽の当たるところで羽根を乾かしていましたが撮影後に翔び立って行きました。
セミはまだ数が少ないのですが、明日はもっと多くなることでしょう。申しあわせたように一斉に地中から出てくるというのは不思議ですね。それにお昼頃になるとピタッと鳴き声が止むのも不思議なことです。
1m位木に登って羽化をするまでにアリの大軍に攻撃されてしまったセミがいました。運が悪いところに出てきたものです。虚ろな目がかわいそうでした。 6日に青い色の入道雲を掲載しました。その後空を観察していてその現象がわかりました。と言っても特別なことではないと思います。夕刻から夜にかかる空はかなり深い青色に染まります。その青い空だけを見ていてもいつもの事ですからさほど感銘は受けないのですが、6日は雲が低くおよそ300m〜500m位でした。その雲が街の灯に反映して薄黄色に明るく見えていて、その雲に目が慣れていたところ、その雲の切れ間に空高く青く染まった入道雲がより青く見えた、と言うことのようです。それは6日の写真からでもわかります。
13日、昨夜の選挙、まず奈良市長選挙、奈良市民ではないので結果にコメントすることは無いのですが、あれだけ保守的な所なのに市民の意識も変わってきたのだな、というのが至極簡単な感想です。 奈良市長選挙の開票速報はwebのニュースで見ていたのですが、その時のニュースを時系列にしてみます。 20:00 投票終了 20:04 朝日新聞「奈良市長に民主推薦33歳仲川氏 前自民衆院議員ら破る」 20:37 毎日新聞「<奈良市長選>民主推薦の仲川げん氏が当選確実に」 20:53 読売新聞「奈良市長に33歳民主系の仲川氏…全国2番目の若さ」 21:10 朝日新聞「奈良市長選 「風」のった青年、「小泉チルドレン」破る」 21:30 開票開始 21:36 産経新聞「奈良市長選、民主推薦の仲川氏初当選」 21:56 時事通信「奈良市長に民主系・仲川氏=自公との対決制す」 朝日新聞は投票終了直後に「初当選を確実にした」と報じました。開票結果を見て報じたのは産経新聞。 では、同時に行われた東京都議選では 20:00 投票終了 20:07 産経新聞「都議選 民主躍進、第1党へ」 20:08 読売新聞「都議選、投票締め切り」 20:22 時事通信「苦戦伝わり沈む自民=「麻生降ろし」拍車は必至−都議選」 20:26 共同通信「都議選、民主躍進第1党の公算 「麻生降ろし」拡大へ」 20:30 開票開始 21:15 読売新聞「都議選…民主が好調、自民伸び悩み」 21:23 産経新聞「都議選 民主躍進、第1党へ 26議席当選確実」 21:54 朝日新聞「民主が第1党の勢い 焦点は自公の過半数維持」 以下怒濤のように民主党躍進ニュースの嵐で省略 こちらは投票終了直後に「民主躍進」と報じたのは産経新聞。 いずれも出口調査と情勢分析をもとにしたものですが、奈良市長選の朝日新聞、東京都議選の産経新聞は時間的に予定稿でしょう。そしてその報道は正確でした。並べてみるだけで分析するまでもなくいろいろと興味深いものがあります。
14日、田んぼを見ていると水面に浮草があるのと無いところがあります。映像的には無いほうが水田らしく空や山影が反映して美しいのですが、この浮草には大変重要な役目があるそうなのです。
前にも申しあげましたが、私はまったく農事には疎いので詳しい方にはこんなことはお笑い草のことでしょうが、この浮草が水面を覆うと水質の浄化や田の草が生えにくいのだそうです。かって農薬を強力に使用した頃はあまり見なかったのですが最近はよく見ます。自然環境とか食の安全への意識の高まりで徐々に昔の田んぼが戻りつつあるようです。メダカや小動物が田んぼの中で生きているのをジッと眺めていると時間を忘れます。
16日、ここの更新ができない時は何かに集中している時で、今ちょっとした仕事に集中しているので、ここばかりでなく他にも影響が出ています。お天気は安定しているような不安定なような様子で、空を見るたびに雲の種類が変わっていました。まだ梅雨明けではないのですね。
17日、阪神高速道路を走行中、中之島のフェスティバルホール(衛星写真地図)にさしかかった時、ホールが解体中で天井アーチが見え、もう壁だけになっているようです。下を通っても覆い隠されているので見えなかったのですが、阪神高速からは上部が見えるのです。あのホールが・・・。 大阪の人なら誰でも知っているフェスティバルホールの外壁。信楽焼で制作された音楽モニュメント。東郷青児の作とかの噂ですが、行動美術協会の作家たちの手になる作品です。
隣の新朝日ビル、リーガグランドホテルも解体中です。中之島の名建築でしたが、この一帯をツインタワーにして建替え、そのうち一変してしまうようです。
フェスティバルホールは近くからだとその姿がよくわかりませんが、淀屋橋や栴檀木橋から見ると他のオフイスビルとは明らかに違った建物であったことがわかります。
フェスティバルホールは1958年に開館しました。音楽を聴きに行ったり、時に撮影の仕事場でもありました。何しろ音がすばらしく良いホールでしたから大阪国際フェスティバルは待ちかねていたものでした。穴場はロイヤルボックスの後方。良い響きの場所でした。ただ撮影の仕事は最上階の映写室からと決まっていて、上から見下ろすためにあまり良い写真は望めません。たまに舞台袖に行けるようならば、制約はありますが表情まで捉えることができます。これはザ・シンフォニーホールでもほぼ同様です。また機会があればこのあたりのことを書いてみたいと思いますが、舞台の写真を掲載するのは手続きがなかなか面倒なのでいつのことになりますか。
18日、皆既日食が22日にあります。マスコミも徐々に話題に取りあげてくるようになりました。真夏の11時前後の暑い時ですからすべてを観測したり撮影するのは一仕事です。私も一応撮影のリハーサルをしましたが、後は当日晴れてくれることを祈るばかりです。今回の日食は食分が大阪で0.82ですから最大の時に太陽の約8割が欠けることになります。これだけの日食はあまりありません。前回は半世紀前の1958年4月19日で、次回は2035年9月2日ですから人生でさほど無い機会でしょう。なので前に撮影した写真をアーカイブでここに掲載しました。
前回の1958年は私が愛知県の挙母高校(現・豊田西高校)2年生の時で、屋久島、八丈島などでは金環食、ほかでは8割程度が欠ける日食でした。ちょうど昼休みの時間でしたから生徒は全員校庭で日食を観測しました。私は学校新聞の記事用にこれを撮影。が新聞に掲載したかどうかは記憶がありません。日食の時に樹木の影が三日月型になっているのを撮影したのですが、上の写真のようにあまり出来が良くなかったので残念、と覚えていましたので、それでこの時のネガをすぐに探し出すことができました。
この時のカメラは「コニレット2」、シャッターは一回ずつセットしなければならないのですが、こんな時は多重露光をしますのでかえって便利でした。レンズは標準レンズ、それでもなんとか写っています。web上でこの時の日食の写真を探してみたのですが見つからなかったので、これでも貴重な記録になる?のかもしれません。
19日、日曜日。この「近況」をご覧頂いた方からメールをいただきました。「普通のデジカメで日食の太陽を写せるのか」ということです、部分日食に限ってのことですが、一口に言えばそのままではノーなのですが、減光フィルター(NDフィルター)を着ければ撮影できます。また月が太陽を遮る最大の頃に太陽の明るさが多少低下(太陽自身の輝度は変わらないのですが)してきますので撮影できる可能性がないわけではありません。その時は自動(オート)露出でなくマニュアルにして、シャッター速度は最高速、絞りは最も絞り込んで(数値を大きく)撮影してみて下さい。なおデジカメでは露光オーバーになると丸い光がボケた状態で真っ白に写るだけですので、デジタルでなくフィルムカメラを使って撮影した方がまだ良いと思います。 今日それで改めてテストしましたが、太陽を遮るものの無い最も明るい状態の時では、光量を減少させるNDフィルター3.0をつけた状態で、感光度ISO100で絞りF16、シャッター速度1/4000秒〜1/8000で太陽がトバないで写せました。NDフィルター3.0というのは特別なフィルターで、光量は1/1024に低下させることができます。絞りでいえば10段階分になります。これほどNDフィルターで光量を減らしても前記のような露出になりますので、上のような太陽だけの写真はカメラの露光制御の限界を超えているので普通では写せません。簡単なようで案外難しいのです。
20日、祝日。昨夜は雨雲が通過して雷光と雷鳴がしきりでした。久しぶりに雷光を撮影したのですが雨雲が頭上を通過して降雨。雨の降っている時は雲が低いのと雨で雷光が霞むため雷光撮影には向きません。それであまり良い写真ができないままでした。この雨で中国・山陰地方には被害があったようです。また今夜は月が生駒山山上の送信鉄塔の背後から昇るのですが雨降りで撮影は無理、今夜も和歌山方面で時々光っています。
21日、19日の落雷をもう一枚。今日も雨模様、どうも日食時のお天気が怪しいようです。日食撮影場所を予定していた所から別の所を思いついたので、雨降りの中ですが奈良までロケハンに出かけました。まずまずの所でしたが、探し当てたところは墓地、明日午前中そこにいるとするとヤブ蚊との闘いも考えなければなりません。 カメラを固定して一枚の画面に太陽の満ち欠けを順次露光すると、右上りに太陽が並びます。その画面の右下に何か高い建物などを入れるとまとまった絵になります。例えば奈良なら興福寺の五重塔の左肩に太陽が並ぶとか、大阪なら大阪城か高層ビル、いずれも西側に広い場所がありますので撮影は容易です。ですが多分撮影する人は多いことでしょう。私はまた別のものを考えているのですが、これには太陽の欠け始めから復帰するまで晴れている必要があります。さて晴れてくれるでしょうか。吊りさげたてるてる坊主が吹き込んだ雨に濡れてます。
22日、朝早く起きて空を眺めます。曇り空ですが太陽は雲に透けて見えています。西の空にはところどころに青い空がのぞいています。今日までに日食の撮影候補地を、街中、山、海と三ヶ所決めていましたのでお天気の様子でどこか決めて出かけなければなりません、しかしwebで衛星気象観測データと天気予報を見るとお昼に向けて悪化し、午後から好転する様子。つまり日食の最中はお天気が悪いようなので風景と日食の組み合わせは断念、出かけないでベランダから太陽だけを撮影することにしました。カメラをセットして待ちます。カメラのファインダーには久しぶりに引っ張り出したアングルファインダーを着けました。太陽の高度が高いためファインダーを下から覗いていては後で首が回らなくなりますので横から覗くことができる装置です。
9時46分、急速に欠け始めたので撮影開始。薄い雲の時に欠けた太陽が時々見えます。濃度の違う何種類かのNDフィルターを雲の様子で取りかえながら撮影。ついでにハイビジョンビデオ(フルHD)でも同時撮影。
次第に雲が厚くなってきてはっきり分からないようになってきました。食分0.6の頃にぶ厚い雲が来て撮影を中断。
食分0.82の最大になる11時05分になっても雲は覆ったままです。少しの隙間から積乱雲(入道雲)が見えましたからどうもその下になってしまったようです。風景がやや暗くなったような気もしますが、雲も厚いのでどちらで暗くなったのか判断がつきません。この最大の頃、FMラジオにノイズが入るようになりました。またお昼頃まで鳴き続けるクマゼミの鳴き声もほとんど聞こえません。日食の影響なのでしょうか。
11時37分になってやっと太陽がかすかに見えるようになりました。積乱雲が通りすぎたようです。食分はすでに0.58までになっていて、これからどんどん回復していきます。12時25分に日食終了。この間すべて雲を透かしての太陽でした。鮮明な太陽と最大食分は撮影できませんでしたが、なんとか撮影できたのでてるてる坊主も多少御利益を下さったのでしょう。雲間の日食だったのでご質問があったデジカメ撮影もフィルター無しで撮影できたのではないかと思います。テレビ報道が伝える皆既日食の映像はやはり別格ですね。部分日食とは雲泥の差ですが、まあ楽しめただけ幸運でした。お仕事の新聞社ではお天気が悪くても、何としてでも自社の皆既日食の写真が必要なので、飛行機を飛ばしたり海外に出たり、船に乗ったりで必死だったことでしょう。いろいろと話題の豊富な一日でした。
24日、予告しましたアーカイブ「都賀川増水事故時の雨雲」を web Gallery のアーカイブズ・ページにやっと掲載しました。まだ一部を制作中ですが、これも近日中に完成させる予定です。
26日、日曜日。また原稿作成で終日デジタルワーク。時々外を見ると雨雲が山沿いに煙幕のような雨を降らせて走って行きます。その一つは見事に馬の背を分けていて見とれてしまいました。この状態だと突然に強い雨が来た!ということになります。
27日、従兄弟が鬼籍に入り自動車で早朝に出発して岡崎市での葬儀に向かいます。雨と霧の名阪道路から亀山で東名阪自動車道へ。事故、渋滞などに備えて1時間半の余裕をみて出発したのですが何の問題もなく、早く着きすぎるようなので亀山パーキングエリアで休憩と朝食。いつもは御在所パーキングエリアまで一気に走るのですが、今日は珍しく亀山PAです。ここのPAにはサンシャインパークという公園があり散策などができます。遠くに御在所の山並みが見えるのですが今日は雨で雲の彼方。ゆったりしたところで出発。速度調節もして30分前に到着。日帰りです。
28日、相変わらず雨だったり曇りだったり時に晴れ、梅雨が長引いて災害になっています。不順というのでしょうね。26日の夜ですが東の空に雨足が。割にクリアなので生駒山も良く見えているのですが小さい写真ではわかりにくいので恐縮です。
29日、晴れていても雲行きはまだまだ怪しい日が続きます。生駒山の写真をよく掲載しますが、山上にある送信鉄塔が良いアクセントで、これに雲や霧がかかると絵になります。写真には邪魔な鉄塔だ、と思われているようですが、何も無かったら平凡な山なので写欲は湧かないことでしょう。
30日、暑い陽射しが帰ってきました。でもライブカメラで各地を見ると雨で川が増水しているようなところもあります。日没がきれいだったので撮影しましたが日の入が少し早くなってきました。原稿の送稿を今日中にするので頑張っています。
31日、朝からクリアな視界。でも遠方を望遠レンズで写すと陽炎のように像が揺らめいています。いくら高性能のレンズでも解像しないので遠方の撮影には気温が低い時の方が良いのです。 |
6月 | 09年7月 | 8月 |