震災の街 13
一人暮らし
1995
神戸・本庄町1丁目の「S荘」 1995.2 .17(震災後1か月目) 撮影:今駒清則
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阪神・淡路大震災から15年の日を迎えました。追悼の日です。大震災の定点観測写真データの整理でこの日を過しました。この取材の中でこころに強く残ることが幾つかあります。 神戸市東灘区本庄町1丁目。芦屋市との市境近くは戦前からの住宅と建売り住宅が並ぶ住宅地です。その駐車場の一角にあった木造2階建ての文化住宅「S荘」が倒壊していました。
この前を幾度か通っているのですが、この建物はあまりにも形を留めていないので記録はしないつもりでした。しかし向こうにある傾いた住宅が近々に解体されると聞いて地震から1か月目に初めてこの辺りを撮影しました。この付近の木造住宅はすべてと言ってよいほど被害を受け、神戸で最も被害の大きかった所です。
神戸・本庄町1丁目の「S荘」 1995.2 .17(震災後1か月目) 撮影:今駒清則
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このバラバラになってしまった「S荘」の前に次のような掲示がありました。 「解体工事 坪\35000/早期ご希望の方/先着順/〇七八ー○○○ー○○○○」 これは宣伝のようです。 もう一つの方には 「繁栄自治会/合同追悼法要のご案内/当地区内で去る1月17日の大震災で犠牲となられた方々の合同追悼法要を深江正寿寺様のご協力により、下記の通り執り行います。ご遺族の皆様、地域の方々のご参列をお願い申し上げます。
日時 2月19日(日曜日)/午後2時〜/場所 本庄町1丁目7 広場/(地図)/世話人○○○○○」 明後日に町内会の追悼法要があるようです。
それから1か月後、この「S荘」の解体中に一人で暮らしていた住人のAさん(59歳)が埋もれていたのが発見された、と新聞で報道されていました。地震から2か月経っての発見です。私は何度もこの前を通り、1か月前にも撮影したのに。誰も気がつかず、探してくる身内もいなかったのでしょうか。近所付きあいもされなかったのかもしれません。2か月もの間、人知れず瓦礫に埋もれていたためにこの地域の追悼供養にも間にあいませんでした。
神戸・本庄町1丁目の「S荘」跡 1995.5 .24(震災後4か月目) 撮影:今駒清則
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それからか2か月後の5月に訪れた時、「S荘」は敷地の痕跡だけになり、周りも一面がすっかり更地となっていました。カメラバッグにいつも入れているロウソクと線香を供え心経をあげてささやかながらご供養をしました。(2010.1.17記)
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