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今駒 清則



延年への旅

 平安時代から中世にかけて大きな寺の法会では歌や舞いを伴った宴会をしました。この余興を「延年えんねん」と言います。芸能で長寿を願うために、寺社にいる芸達者や、芸能人たちが当時流行した「風流ふりゅう」「田楽でんがく」「猿楽」などを神事を交えて演じました。当時はかなり高度な芸能だったようで、田から生まれた芸能などもこうした場で徐々に演劇化され、洗練されていきました。


毛越寺の延年

 毛越寺もうつうじでは常行堂の魔多羅神またらじん祭(14日〜20日)の最後、二十日夜祭の常行三昧供法要後、夜遅くまで常行堂で「延年」が舞われます。
 かってはこの法要が終わると堂内で直ちに酒宴となり、そこでさまざまな芸能が演じられていました。「呼立よびたて」から始まり、「田楽躍でんがくおどり」、「路舞ろまい」(「唐拍子からびょうし」ともいう)、「祝詞のっと」、「老女」、「若女じゃくじょ」、「兒舞ちごまい」、「勅使舞ちょくしまい(「京殿有吉舞きょうどのありよしまい」ともいう)、「延舞」(延年の能)、「舞楽」などが一山の僧によって次々と演じられ、夜明けまでかかったと言われています。芸能の歴史の中でも古式を留めて伝承されている貴重な芸能です。

 物語性がある「延年の能」はかって「留鳥とどめどり」、「卒土婆小町そとばこまち(卒塔婆小町)、「女郎花おみなえし」、「姨捨山うばすてやま」など数十の曲がありましたが、今は「留鳥」が復元されています。

(この写真は毛越寺境内の仮設舞台で「藤原祭り」の時に演じられたもので、常行堂内とは環境が異なっています)





「田楽躍」
 10人の田楽衆がそれぞれ楽器を持ち、四垂しでや田楽花を付けた笠や烏帽子をかぶって躍ります。

 これも「田楽躍」で、先の太鼓を置いて笏で拍子をとり、2人の田楽童子が跳ね躍ります。

「路舞(唐拍子)」(田楽舞)


「若女」の若女
 鎌倉から神子みこ(巫女)が下ってきた様子を表した、と伝えています。扇と鈴を持って舞います。

 若女に禰多宜が問答をします。

「若女」の禰多宜


毛越寺:岩手県西磐井郡平泉町 (1月20日)


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