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4月1日、朝から厚い雲が空を覆い、時々雨雲が下りてきてパラパラと雨を降らせます。夕方からは西の方が晴れて陽が射すと東の空に見事な二重の大きな虹が現われました。会議へ行くのに電車に乗っている時でしたから撮影できなかったのは残念でした。 ![]() 古書店で大阪砲兵工廠慰霊祭世話人会編「大坂砲兵工廠の八月十四日」(1983年東方出版刋)を入手。この3月13日と17日の記事(バックナンバー参照)で大阪大空襲、大阪砲兵工廠に少し触れましたが、この大阪砲兵工廠は大阪城の北と東の広大な地域に、1870(明治3)年に創設した兵器製造を中心とする鋳鉄、製鋼、金属加工などの高度な技術を持った軍事工場でした。終戦前日のi945(昭和20)年8月14日にこの砲兵工廠を目標とした米軍による爆撃で壊滅し多大な被害者が出ました。これを慰霊するため慰霊祭を執り行い、お世話をされる方々によって出版されたもので、爆撃時の「体験手記」が中心ですが、「体験者座談会」「鼎談・砲兵工廠の歴史と意義」「砲兵工廠研究」「略年表」「地図」などが収録され、特に地図には「大阪陸軍造兵廠全図」もあります。戦争と平和を考える上で貴重な資料で、大阪ではなぜかこの大阪砲兵工廠に関する研究と考証はいまだに十分になされていません。それだけに専門書以外で大阪砲兵工廠の概要と被害の状況を知るには良い書籍でした。話は飛びますが人工衛星「まいど1号」を製作したモノづくりの町、東大阪の中小企業の持つ高い技術力の源はこの大阪砲兵工廠から発しているのではないかと考えています。
2日、まだ寒い日が続いていますが桜はどんどん咲いています。金剛山や比叡山では春の雪に薄化粧をしました。花に雪、の季節です。 NHKの連続テレビ小説「つばさ」が始まりました。テレビドラマ、特に連続ドラマは以前はまったく見なかったのですが、最近は時々見る(というより勝手に画面に映っているという程度ですが)のはストーリーより物語の舞台地がどの様に描かれるのかということに興味があるからです。前回の「だんだん」の舞台地は京都・祇園と出雲・宍道湖で、祇園の様子はかなり詳しかったのですが、楽しみにしていた出雲の方はさっぱりでした。ストーリーは複雑でちょっと見ないと何がどうなったのか分からないほど物語、物語していて結果何となく終わってしまった、と言う感じでした。その前の「瞳」は東京・佃島が舞台地、まずまずの江戸下町情緒がありました。今回の「つばさ」は埼玉県川越市が舞台地、老舗の和菓子屋が中心になるそうで、そのお店は川越の伝統的な蔵造りのお店、という設定、ロケでは幸町の陶舗「やまわ」さんの外観に少し手を入れて和菓子屋風にしています。が表の陶器の壺までは動かせずそのままになっています。川越の風情をどのように描いてくれるのか、これからです。
川越は幾度か大火があり、それに懲りて商家は蔵造りにしたそうですが、消火栓の蓋に火消しの纏(まとい)が描かれています。纒は江戸町火消しの流れを汲むものでしょう。なお川越は「小江戸」と言い、飛騨・高山は「小京都」と言われ他にもそのように言うところは沢山あります。個人的には「小○○」と言うのはあまり好きではありません。そこに○○の影響はあったにせよ、その土地ならではの風土から生まれた独自性のある町並や伝統文化が多くの人々に感動を与えているのですから、「小○○」を見るたびに返上されたらいかがか、といつも思うのです。
3日、朝は快晴、次第に花曇りになってきました。「早春賦」の歌のようなこの頃でしたが今日は暖かく春本番、たまりかねて締切近しの仕事を放って桜を求めて大和の農村へ出かけました。今は農作業の始まり、あちこちでトラクターが活躍しています。幸い耳成山を背景に少し桜がある所を見つけました。大和の「山中(さんちゅう)」には良い桜が沢山ありますが、「国中(くんなか、奈良盆地のこと)」の農村にはあまり桜はありません。
「国中」の真ん中を流れる佐保川の浅瀬に野鯉が群れていました。そのほとんどがペアになっています。モジリをしたり派手にジャンプしたり、コイの季節なんでしょうか。
桜があまり見当たらないのでいつもの奈良詣に。奈良公園の桜はほぼ満開(七分咲き)、明日の土、日は見ごろなので賑わうことでしょう。
東大寺の二月堂へ参詣し周辺を撮影、大佛殿の桜も満開です。ただしライブカメラの枝垂れ桜が見頃になるのにはまだしばらく時間がかかるでしょう。今日の桜は総体的には五分咲きと言ったところで、満開・見ごろは来週あたりになること思います。なお奈良国立博物館では明日から「国宝鑑真和上展」が始まります。
4日、曇りから本降りになりました。一月ほど前に咲きだした蘭が10輪あまり開花しています。花をコンパクトデジタル一眼レフカメラで超接写、Macの画面で見ると何十倍にも拡大されるので目で見るより詳細にわかり発見もあります。新しい楽しみ方が増えました。
5日、日曜日。東大寺の大佛殿から二月堂、三月堂がある上院へ上がる途中に鐘楼(国宝、東大寺ホームページ参照)があります。軒の反りの見事さと建築の雄渾さは鎌倉時代の造形力が実に素晴らしいものであったことを感じます。東大寺の大佛も南大門も巨大ですが、この鐘楼も大鐘(梵鐘)も実に巨大です。これらの装置によって私たちがそこに立った時、人間が如何に小さく、佛の世界が無限にも大きいものであるということを実感させられます。
下に来て巨大な大鐘の中を仰ぎ見ました。外観の美しさとは違って内部は奈良時代の職人の息吹を感じるものでした。何度か落ちた大鐘を補強する丸い金具も中央に見えます。上を向いてシャッターを切ると小さなシャッター音なのに大鐘に響いて妙なる音色が長く響き、それが嬉しくて何枚も写してみました。しかし残念なことに中には大きな字で落書きがあり、「□田□□」/「山村駒□」と読めます。各地の文化財への落書きが問題になっていますがここにもありました。
6日、春本番、お花見時ですがデスクワークです。締切に間に合わせなければならない原稿があるので遠出ができません。それでご近所の桜です。
7日、暖かくて良いお天気です。陽気で黄色いチューリップのつぼみが初めて開きかけたので、コンパクトデジタル一眼レフカメラのレンズを開きかけた花に突っ込んで超接写してみました。黄色い花びらを透かしてきた光で写していますのですべてが真黄色です。
前(3月19日)に掲載した、早くに咲いた赤紫のチューリップはまだきれいに咲いていて、花びらを開いたり閉じたりしています。暖かくて開いていたのでこちらも撮影してみました。花の中にも美しい世界がありました。
8日、陽射しの下では汗ばむほどに暖かい日でした。どこを見ても満開の桜が見えます。最も良い季節ですね。テレビも新聞も花見の情報でいっぱいです。この撮影に最も良い時に相変わらずデスクワークでとても残念ですが、それだけ桜に心さわぐのは日本人の証しでしょうか。早くに咲いた桜が遠めには薄緑色に見える五分葉桜になってきました。
9日、お昼前、一年生が小学校から飛び跳ねて帰ってきます。背中のピカピカのランドセルも踊っています。近くの公園ではご近所さんの花見、子どもを核にして集うお母さんたちがゆったりとした時間を過しています。
10日、水門会写真展が近づいてきて打合せの会があり奈良に出ました。そこへの道筋で三条通にある淨教寺の門前からシダレ桜が見えたので立寄ってみました。古木ではありませんがそれでも大きく枝を伸ばして咲き誇っています。ここ数日が見頃でしょう。またその近くの漢国神社にも見頃の桜がありました。町中の寺社もこまめに歩いてみるとまだまだ見るところがあるようです。
11日、昨日と同じように日中は暑いほどの陽気でした。日没時、地表近くの反転層の屈折で真赤な太陽がゆがんで沈んで行きました。今日の日の入は18時24分でした。
12日、日曜日。花見日和の日曜日です。各地はお花見で賑わったことでしょう。前に紹介したライブカメラのうち、近鉄ケーブルネットワーク(株)提供の東大寺大佛殿前にあるライブカメラが映す枝垂桜が今朝は満開でした。10日に奈良に行ったのですが立寄れなかったのが残念です。 右は飛騨・高山の高山印刷(株)提供の「飛騨・高山ライブカメラ」のライブ映像の写真で、宮川沿いの朝市です。朝市は午前中だけで、暖かくなった4月から露店が倍増しました。今朝は遠くに見える桜が咲いているのが見えます。 もう一方向の宮川・鍛冶橋方向ライブカメラの映像では画面右上で遠くに見える朱塗りの中橋付近の桜がかなり咲いています。14日、15日が春の「高山祭」ですから、祭と桜満開が一緒になる数少ない機会となることでしょう。私も明日からこの高山へ撮影取材に出かけますので、しばらくここの更新が滞ります。 なお、この宮川・鍛冶橋方面ライブカメラの映像には、14日の15:30頃に「日枝神社御巡幸」の行列がカメラ前の鍛冶橋を渡るのが映し出されます。また遠い中橋の上を主に朝と夕方に、あの美しい「屋台」が渡るのが見えると思います。さらに19時頃には多数の提灯を灯した「屋台」が目前の鍛冶橋を渡りますのでライブ画面は一気に祭モードとなることでしょう。 15日は鍛冶橋の向こうの宮川の川沿いの道を「御巡幸」の行列が15:00頃に通ります。同じく中橋も「御巡幸」や「屋台」が渡ります。機会がありましたらどうぞご覧下さい。なお雨天など悪天候ですと「屋台」は出ないことになっています。高山祭の写真はこの「近況」のバックナンバー、昨年4月14日、15日をご覧下さい。また「高山祭」の詳しい順路などは「高山市観光情報・春の高山祭」にあります。
13日、明日からの「高山祭」の撮影地点を探って市中をロケして歩きました。ついでに古絵図と現状とが違っている幾つかの疑問点の所や、高山城の城跡なども探って日が暮れました。高山は予想通り桜満開。春祭りが満開になるのは少ないそうです。廃城とされて徹底的に破却された高山城にはいわゆるお城らしいものはなかなか見当たらないのですが、それでも山城ですから地形的にはそここに名残が感じられます。また城下町としての縄張りはしっかり残っているのでその目で見ればなかなか興味深い城下町で、いずれ断片的でもそのあたりを掲載してみたいと思います。写真は三之丸跡の水濠(衛星写真地図)、唯一現存する水濠です。
この三之丸には勘定所と8棟の米蔵があり、L字形の水濠で東と北を固めていました。濠の内側には犬走りと石垣が残り、現在三之丸には飛騨護国神社が鎮座していますが、城郭の名残の石垣も多少あり、この付近は高山城で最も城郭らしい姿を留めている所です。この水濠を挟んで家臣たちが居住した空町(そらまち)が続き、堀端からはすぐに町人町の三町へ下る衣斐(えび)坂があります。(17日記)
14日、今日と明日は春の「高山祭」です。町の南に鎮座する飛騨山王宮日枝神社の祭で、高山のメインストリート、安川通りの南に位置する各町内から絢爛豪華な屋台が出るのですが、朝から生憎の本降り、決まりで神社での神事以外の「御神幸」や屋台の「曳き揃え」「夜祭」は取り止めで祭提灯も少なく、町内はあまり祭の雰囲気がありませんが、高山陣屋前の中橋や上三町あたり(衛星写真地図)は観光のお客さまで混雑しています。中橋の上では傘を差した裃姿のお役の方が「今日は雨が降ってどうも済みません」と橋を渡る観光客にいちいち謝っておられます。飛騨びとのやさしさです。各町は屋台蔵の扉を開けて12基ある屋台を披露。「からくり」のある屋台は午前と午後に屋台蔵で「からくり」を演じ、屋台蔵前の道は通行ができないほどの見物客です。屋台は最上段を(伸縮式なので)下げて納めているためバランスは良くないのですが、それでも各町内の屋台を巡って廻る人たちはそれぞれを熱心に見入っていました。
高山の町を東西に流れる江名子川(衛星写真地図)の川畔は満開の桜で彩られて落着いた町並の中でひとときの華やかな風情を見せていました。江名子川は高山城の外濠とするために北へ流れていたものを付替えて町中を横切るようになり、町の道筋をつなぐ小さな橋が数多くあるため、どこからでも川面が眺められて散策には楽しいところです。(18日記)
15日、昨夜の雨がやっと上がってなんとか祭ができそうな様子です。朝早く城山に登ってみました。屋台の準備をしているのでしょうか、眼下の高山の町の右から、左からとお囃子の音が聞こえてきます。まだお天気が悪いのに高山陣屋前のお旅所で「からくり」を奉納する「三番叟」「麒麟台」「石橋台」が満開の桜に包まれた中橋を渡って行きました。祭の総指揮官である「宮本」は相当な決断をされての「曳き揃え」の実行なのでしょう。
時々パラっと小雨が降るので各町の屋台は屋台蔵から出るのをためらっているのか、時間になっても屋台が「曳き揃え」されません。午後になって日枝神社を出発した御神幸の行列は古い町並の上三町にさしかかり、時々獅子舞やカンカコカン(闘鶏楽)が街角で舞われます。
それでも時々陽が射すまでに回復してきたので屋台は少しずつ通りに出てきました。町並の良い上二之町の通りには高山きっての優れた屋台、「五台山」と「麒麟台」が並んでいます。
上三町を巡った御神幸の行列は中橋を渡ってお旅所を通り、日枝神社にお帰りになります。お旅所前に並んでいた屋台は御神幸の行列が過ぎると中橋や筏橋を渡って町内に戻り屋台蔵に納まって祭は終わります。(19日記)
16日、午後から大阪で予定があるので桜満開の高山を後ろ髪を引かれるような気持ちで後にしました。JR高山駅を発ってすぐに飛騨の名桜「臥龍桜」が車窓から間近に見えます(衛星写真地図)。高山へ向かう13日にはまだ咲き始めといったところでしたが、帰途の16日には満開。朝夕には冷え込んでまだ暖房が必要な高山でしたが、山あいにあるこの桜はそれでも一所懸命に頑張って咲いてくれました。(19日記) 17日、Macintoshの一台が不調。AppleのOS Xのアップデートをして再起動したところシステムが立ち上がりません。OSのメンテナンスは常に欠かさないのですが、今回のは機能拡張を外しての内蔵ドライブ起動も、OSのDVDからも外付けのハードディスクからも立ち上がりません。お手上げですが、念のためボード類など全て外し、メモリーその他接点を確認、再び外付け起動ディスクから立ち上げてみたらなぜか今度は起動できました。それでそこから内蔵起動ドライブのメンテナンスをし再起動しましたが、やはり内蔵起動ドライブからは立ち上がりません。原因は不明ですが、それまで結構時間をとられているのでOS Xを再インストール。それで順調に立ち上がりましたが、それからOSのアップデートを延々とし、外したボード類を取り付け半日がかりで完全に復旧しました。原因は不明のままです。 このところ締切予定を過ぎた仕事に集中してます。ここの更新が滞ると思いますのでお許し下さい。
19日、日曜日。今夕NHK教育テレビの「日曜フォーラム」で「映像によるふるさと再発見」とした放送があり、高山市で20年にわたって催されている「飛騨高山ドキュメンタリー映像祭」(旧「飛騨高山ビデオ映像祭」)をとりあげ、タイトル通り地域に根ざした映像ドキュメンタリーについての内容で、足許を見つめた記録の大切さを追ったものですが、その番組の最初に、私が高山取材で居候をしお世話になっている高山市の映像作家・古滝雅之さんの作品「飛騨高山の飾り物」とその制作活動が放映されました。古滝さんはこの映像祭ではグランプリその他を受賞されておられる優れた作家で、その作品をご自宅で拝見し、私の高山取材に良い刺激を沢山いただいています。
その実際の「飾り物」は先日の春の高山祭でも見ることができました。当主が考案し店先や座敷などでハレの日に披露していたのですが近年は衰退し、それを憂えた高山市文化協会が「飾り物展」を主催して伝統を守り伝えています。写真は高山市上一之町の表具師・坂上加麗堂さんの店頭に本格的に設えた「飾り物」で今や希少なものです。テーマは「橋渡し」。高山祭で中橋を屋台が渡る前に中橋の上で執り行われる神事で、お商売道具のハケを屋台に見立てているところが絶妙ですね。私が追いかけている「つくりもの」(この「近況」バックナンバーの2008年7月19日、25日、8月23日、24日の「大和のつくりもの」の項を参照)と通じるところがあり、この「飾り物」も我が家に神を迎え、災いを追い、幸せを願う「やま」の意識があると思われます。なお祭の屋台や山車は華麗に飾り立てた「やま」そのものであることは言うまでもありません。
23日、カランコエがいま咲き誇っています。まったく手間要らずで時々水やりをするだけで元気です。枝を切って挿しておけばそれだけで増えていきます。
26日、日曜日。相変わらず集中して昼夜仕事を続けていて更新ができません。低気圧の余波か、風が強くこのごろ流行のこいのぼりの列がみんなお腹を上にして舞い上がっています。田舎では母屋より高くこいのぼりが泳いでいるのを見るのですが、都市部では時々ベランダで小さなこいのぼりがはためいているのを見る程度です。
29日、祝日。2センチ足らずのムラサキカタバミの花が咲きました。その辺りにどこでも咲いている野草ですが、ベランダの小さな鉢で元気に生活してます。朝、陽射しの中で撮影している最中にどんどん花が開いていきました。写真は開きかかるところです。夕には花弁を閉じて寝ています。 現在東京都写真美術館で野町和嘉さんの「聖地巡礼」が開催されていますが、その野町さんが芸術分野の功績により紫綬褒章を受章されます(YOMIURI ONLINE記事)。今までに渡辺義雄、土門拳、細江英公、秋山庄太郎、林 忠彦、奈良原 一高、富山治夫、芳賀日出男、栗林慧ら諸氏が受章されておられますが、いずれも長年ご自身のテーマを追及した写真家ばかりです。お祝いを申しあげます。
30日、明日から「水門会写真展」がオープンです。私の作品は「神さぶる生駒高嶺」と題した半切8点を出品します。内容は大阪側から見た四季の生駒山(衛星写真地図)の写真です。 万葉集・巻15-3590には「妹に逢はず あらばすべなみ 岩根踏む 生駒の山を 越えてぞ我が来る」とあります。また巻10-2201にも「妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山 うち越え来れば 黄葉散りつつ」もあります。奈良の都と難波(大阪)を隔ててそびえ立つ生駒山は昔のひとの往来には大きな障害でした。しかしそんな山であっても風情を詠い、巻12-3032では「君があたり 見つつも居らむ 生駒山 雲なたなびき 雨は降るとも」、巻20-4380「難波津を 漕ぎ出て見れば 神さぶる 生駒高嶺に 雲ぞたなびく」とあります。今回の題はこの歌からいただきました。大阪から生駒山までは約20Kmもの距離があります。それで100mmから600mmの望遠レンズを使ってここ数年間に撮影したものから選びました。その生駒山は時々ここの「近況」にも登場していますが、写真画面が小さいので掲載できる写真が限られます。また大阪では大和と違って不思議に生駒山には関心が薄いようで、大阪から見た生駒山の写真はあまり見ません。そんな作品ですがお暇がありましたらどうぞお出かけ下さい。 |
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