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5月1日、奈良市美術館で「水門会写真展」が始まりました。午前中に搬入・展示と慌ただしかったのですが、会員と一門・秀作展の出品者との総力で予定時間前の13時には開場。お待ちいただいた方々が会場に入られると写真のような混雑になりましたが、それでも会場が広いのでゆっくりご覧いただけます。 私の作品「神さぶる生駒高嶺」は大阪側から望んだ生駒山を被写体にしていますが、会場が奈良なので訪れる方の多くが奈良側から見える生駒山の姿に慣れ親しんでおられます。生駒山は大阪側から見ても奈良側から見ても同じように見えるのですが、僅かに送信鉄塔のある南部の標高が高いので、注意深い方はオヤッと思われたようです。中には「ネガの裏焼きプリント」ではないか?と思われた方もおられたようで、デジタル写真ですからそれはありませんが、念のため急遽「大阪側から望んだ生駒山」との説明を会場につけました。思わぬこともあった初日でした。
2日、昨日の続きのお話になります。「水門会写真展」で生駒山(衛星写真地図)の見え方のことを検証してみました。と言っても写真を並べるだけのことですが、上2点は「大阪側(西)から見た生駒山」「奈良側(東)から見た生駒山」です。ほぼ同じ範囲にしています。山頂にある送信鉄塔は大阪側からは右(南)に、奈良側からは左に見えます。山の高さは大阪側の方が高く見えますが、大阪平野の標高が低く、大阪側が活断層のために切り立っているためです(2008年11月20日の「近況」記事参照)。さらに比較するため「大阪側から見た生駒山」の写真を左右反転して裏返しにした写真も掲載しました。こうしてみると確かに「ネガの裏焼きプリント」と言われるのも納得できる話です。 なお、大阪からの生駒山は「日、出づる」山ですが、奈良では「日、没する」山です。ひとつの山に対して抱く想いが地域でまったく異なったものになっていると思われるのですが、またこれについては別の機会に考えたいと思います。
3日、祝日。和歌山市の「和歌祭」です。名勝・和歌浦の紀州東照宮の祭で神輿渡御が和歌浦から片男波のお旅所までお渡りします(衛星写真地図。祭の概要は各サイトをご覧下さい)。見ものはご本社から出御した神輿が急階段を魂振り(たまふり)しながら下る「神輿おろし」で勇壮なものです。写真はその階段の途中で、直近真横からの場面は珍しいだろうと思います。
下に下りた神輿は多種の行列を従えて東照宮を出発します。
紀州東照宮の御手洗池から片男波の海岸をお旅所まで練りながらお渡りするので海の町・和歌山ならではの情景がくりひろげられます。お渡りの行列は所どころで各種の芸能を披露します。中でも「連尺」「薙刀振」や「餅搗踊」「母衣」など多くの独自の芸能がありますが、ここでは省略します。
私の目的はその中の「面被(めんかぶり)」(「面掛け」「百面」とも)です。昨年10月25日に掲載した「伊賀上野天神祭」(「近況」バックナンバーをご覧下さい。まだ書きかけなので恐縮なのですが)でも「鬼行列」が「能面」などの仮面を着けて練るのでなかなかの人気なのですが、この「和歌祭」でも「能面」を着けた一群がいます。この祭に着ける「能面」の中には古面や江戸初期の「天下一友閑」印など優れた「能面」があり、恐らくは紀州徳川家から下されたものと推察できるのですが、この「能面」は祭の中で無造作に扱われて損傷し、また近年ペンキなどで塗りたくられて名品でありながら無残な「能面」になっていました。これを見かねたアマチュアの能面師たちが新面を製作して交換し、現在ではこれを祭に着けています。昔からの「能面」は保管され、いずれは修復をされることと思いますが、これらは昨年に和歌山県立博物館で「奇跡の仮面、大集合!!」という展覧会ですべての面が展示されました(「近況」バックナンバーの2008年8月26日の記事をご覧下さい)。
ところがこの「面被」は最近フェースペイントするようになり、衣装なども派手になって、伝統的な「面被」の本筋を外れたものになっているのです。仮面を着けて練るだけで良いのに、さらにフェースペイントをして、仮面は文字通り「横に置かれて」しまっています。これはぜひとも主催者が厳重に監督して昔ながらの「面被」にしていただきたいものです。ただしフェースペインティングや派手な衣装の「傾(カブ)く」姿は、昔から祭にある「風流(ふりゅう)」そのものですから、現代に行われる祭にあってもおかしくなく、要望が強いようならこれらは「面被」とは別に新しい集団としてお渡りに参加してもらうことも考えられると思います。祭は時代と共にいろいろな芸態が付加され変化してきているのですから、伝統を守りながら現代の人に支持され楽しまれる祭が続けられる工夫があっても良いのではないかと思うのですが。
4日、祝日。「和歌祭」が行われる「紀州東照宮」を紹介していませんでした。由緒などは同社サイトをご覧いただくとして、紀州徳川家が建立したものですから江戸期の華麗な装飾に満ちたお社で、高台にありますから眼下に和歌浦の景色が見えます。なお和歌浦については「ネイティブわかやマンと行く!和歌浦・片男波公園ガイド」に詳しくあります。
「和歌祭」の時、お旅所へ藩主や神官が参拝する御成道に架けられた「不老橋」で、この付近では珍しいアーチ式石橋です。この隣に自動車が通れる「あしべ橋」が新しく架けられて随分景観が悪くなりました。
写真は紀三井寺から西を望んだ和歌浦(衛星写真地図)で、中央が片男波、その向こうに田野浦と章魚頭姿山、遠方は淡路島です。この田野浦漁港は和歌浦の西隣で、景色も良く人気も少ないので昔よく釣りに行ったところですが、海岸に道路ができ、漁港が大改修されてからは釣れなくなって永らく行っていませんが、今はどうなのでしょうか。
片男波へそそぐ和歌川の河口には大きな干潟があります。「和歌浦干潟」です。近郊では少なくなった干潟ですので大切にしたいものです。干潮なので歩いて行ってみると渡鳥のチュウシャクシギがカメラを怖がらず近くまで来てくれました。しきりにカニを捕食しています。食べることに夢中だったのでしょうか。
6日、休日。奈良市美術館で開催していた「水門会写真展」が今日終了しました。前回よりも1,000名も多い約6,000名(入口カウンターによる)もの方にご覧いただきました。私が出品した「神さぶる生駒高嶺」では、今まで見たことが無いような生駒山の情景へ関心を寄せていただいた方が多くおられました。奈良市美術館のある「イトーヨーカドー」ビルの屋上からも雨模様でしたが生駒山が良く見えます。大阪市からは生駒山までは約20Km、奈良市からは10Km程ですからいつも撮影している距離よりかなり近い?ところなのです。
その下方には平城宮(衛星写真地図)が広がっていて、復原された朱雀門が緑の宮跡の中に赤く光っていました。このビルも平城宮の一部にあり、奈良時代の長屋王邸宅があったところで、このビルの前身の「奈良そごう」の建設中に約35,000点の「長屋王家木簡」が出土しています。奈良では来年にこの平城宮を中心とした「平城遷都1300年祭」が開かれます。
8日、大阪・中之島公園(衛星写真地図)のバラ園の一部がオープンしました。まだ廻りはフェンスに囲まれて中央部分だけなのですが。下の写真は2004年の全景です。よく見ると右側(南側)を少し高く盛り土をして立体的になっています。
立看板には5月1日から中央部の赤色部分、8月1日から難波橋から東洋陶磁美術館までの黄色い部分、8月22日からは全面的に開放するとのこと。京阪中之島線の工事ともからんで中之島公園が閉鎖されてフェンスだらけでしたが今夏から前のようにゆっくり散策できそうです。
植栽したばかりのバラですがそれでもチラホラと咲いていて、開園を待ちかねていた人が来て散策したり、ベンチで休息しています。お昼にはバラを見ながら昼食をとる北浜辺りのビジネスマンで一杯になるところでもあります。バラ園の川縁が高くなったので川面が見えるようになり、いままで撮影できなかった花と川の風景が画面に納まるようになりました。
花の付近には品種を示す洒落たプレートがつけられていました。これから沢山の花が咲くようになると訪れる人も多くなることでしょう。なおこの大型連休には近くの中之島中央公会堂を中心に「中之島まつり」が開かれました。
10日、日曜日。いつもバッグに入れて持ち歩いているコンパクトデジタルカメラを買い替えたので、今日は日曜日でもあり、のんびりとテスト撮影散歩に出てみました。今まで使っていたOLYMPUS SP-570UZは発売直後から約1年使用しましたが、今回はCanon PowerShotSX1 ISです。広角28mm前後から500mm前後相当、1,000万画素、ビデオ可という便利な小型一眼レフタイプのデジタルカメラです。
560mm相当の超望遠が簡単に使えるので大潮の干潮時を見計らって大阪・大和川の河口付近へ出かけ、中洲に来る野鳥を撮影してみました。大和川大橋付近(衛星写真地図)は水深が浅く、また汽水域ですので餌になる小魚が来ます。夏日の日中の事ですから余り期待はしていなかったのですが、それでも少し野鳥が来ていました。チドリとかの小型の野鳥はこのカメラの焦点距離では無理なので大型の野鳥を待ちます。
橋の上から観察しているとコイやボラ、カニが良く見えます。このボラの子どもたちは絶好の餌になります。
まずカワウが大きなボラを掴まえて浮上してきました。一気呑みでしばらく喉が膨らんでいました。
遠くの中洲でダイサギとコサギ(A)が並んでジッと川面を眺めているところへ別なコサギ(B)が飛来しました。ここからちょっとしたドラマが始まりました。ダイサギがコサギ(B)を追い払おうとしています。
次になぜかコサギ(A)もコサギ(B)にケリをいれて威嚇します。このあたりの関係はよくわからないのですが、自分のエリアと思っていた所へ侵入して来たコサギ(B)を追い払おうとしたのでしょう。
でも上の写真をよく見るとコサギ(B)も攻撃してくるコサギ(A)の脚に噛みついて反撃しています。
諦めたコサギ(B)は離れた浅瀬へ行って餌を探します。
群れているボラの新子を追いかけて、ちょっとづつ飛んで捕食するのに夢中で、とうとう撮影している橋の下まで来ました。橋の上から真下に来たコサギの姿をアップで、いろいろな姿をいとも簡単に撮影ができた半日でした。このCANON PowerShotSX1 ISは望遠端のピントは大変に良く、AF(オートフォーカス)の合焦速度もまずまずの早さです。ただし広角から中域までの画質はさほどでもないので超望遠カメラと割り切って使えば面白いカメラでしょう。暑くて陽射しの強い日中の橋の上で数時間いたものですから、半袖の腕は真赤に日焼けしてヒリヒリと痛んだカメラ散歩でした。
12日、恒例の奈良・「薪御能」です。毎年5月11日、12日に開催されます。ここ2年ほど冬のような寒い気温の中で行われた「薪御能」でしたが、今年は真夏のような暑い日で、用心して持っていった防寒具はまったく不要。新緑のもとで夕刻からの演能は爽快なコンディションでした。 11日は春日大社の社頭で咒師走りの儀・「翁」、三人の翁と父尉、延命冠者、黒色尉が登場する古式の翁で、芸能と神事が一体である姿を見ることができます。
夕刻からの興福寺南大門跡の般若の芝舞台では「舞台あらため」の後、能が演じられます。休憩があって、僧兵が薪に「火入れ」を行い、再び能狂言が演じられます。一般にはこの薪を燃やすから「薪能」というように思われていて、全国各地で行われている「薪能」も「火入れ式」が行われていますが、もとは「御竈木」「御薪」(みかまぎ)」から発したもので、興福寺の「修二会」で行われた芸能に「御薪」が使われたことから「薪御能」としてその伝統を汲んだ祭事として行われています。古は娯楽が少なかったので寺社での芸能は今のライブコンサートへ多数の人が熱狂し集まるのと同じようなことだったのでしょう(詳しくは興福寺「薪御能」ホームページをご覧下さい)。
毎年同じような写真で恐縮ですが、「薪御能」では写真撮影が厳しく制限されて、撮影する位置が指定されているためです。能楽の撮影や掲載にも近年は厳しい規制があり(詳しくは「能楽協会」ホームページをご覧下さい)、この「薪御能」でも鑑賞の妨げににならないようにするためと演者の権利保護で、今年の撮影許可者は(報道マスコミを除いて)5人の写真家だけに限られていました。勿論私ども写真家も諸規定による撮影申請手続きをしています。ここであまり能楽の写真をお見せできないのもこれらの規定があってのことで、演者の権利尊重はよく理解できるのですが、掲載に煩雑な手続きがあるために出版社や報道なども能楽を採りあげることを控えるようになり、能楽の普及にとってはあまり良いとは思えません。12日朝は春日大社・若宮で「御社上りの儀」の能が、夕刻からは11日と同様に興福寺・南大門跡で能狂言が行われました。 なお「薪御能」の写真・ビデオ撮影には主催者と演者の許可が必要です。掲載の写真は許可を得て撮影しています。 14日、まだ未入稿の仕事が少し残っているのに次のプロジェクトを進めなければならず、またもデスクワークで悶々としています。パソコン相手にイメージデーターをあれこれ、今日も良いお天気なので途中でカメラ散歩。といってもご近所の花壇巡りでした。
15日、夜半、月にかかるむら雲の表情が面白くて夜更かしの仕事の合間に撮影。
時々掲載するハイブリッドカー・プリウスGツーリングの燃費です。今までの最高燃費、26.6Km/Lを記録しました。といっても100Km程度の走行で得たものなので瞬間燃費みたいなものです。走行は幹線道路と阪神高速です。前回は2008年6月23日に25.1Km/Lでした。最も悪い時でも20Km/Lは下回りませんから私の走りでは平均22Km/L位でしょうか。最近は暖かいので燃費が良くなりました。冬季の寒い時は暖房にエンジンを使いますから燃費は悪くなります。ですから寒い地方ではプリウスでもあまり燃費は伸びないことでしょう。
17日、日曜日。京都の「豊春会 春の能」の能楽撮影へ。新型インフルエンザが神戸や大阪でも確認されたというので、電車に乗る間だけでもと買い置きのマスクを探して出かけました。花粉症は無いのでマスクなんてものはおよそ着けたことが無いのですが、感染していまの仕事に差し障りが出ると、とても困ったことになるので用心してのことです。昨日は教え子から「インフルエンザ発生、ご用心を」と速報のメールもありがたく頂いています。電車内では大阪は2割ほどの乗客が、京都では1割ほどの方がマスク着用で、意外に少ない着用率です。これで厚労省の単純素朴な(島国意識の)「水際作戦」はいとも簡単に足許をすくわれた形で、またも厚労省のお役人の実力の無さが露になりました。帰りにドラッグストアで補充のマスクを買おうと立寄ったら売り切れていました。 能はちょっと季節外れでしたが私の好きな曲「雪」、シテは豊嶋三千春。金剛流だけの曲です。それに賑やかな「石橋」豊嶋晃嗣、三千春師の古希記念能でした。京都はお昼から本降り、新緑のカエデに赤い花が鮮やかでした。
18日、ややガスってますが秋の空のようにさわやかな空で、いろいろな雲が往来した一日でした。高度1万メートルで交差する旅客機のこの写真は大きくしないとよく見えないので、いつもよりやや大きくしています。航空機は日没頃に撮影するとすごくきれいに見えます。高い空を飛ぶ航空機は日中に撮影しても常に逆行状態に近いのですが、日没頃は機体の側面や下部にも光が射してくっきりと写ります。 今日は報道も新型インフルエンザ一色で、阪神間では社会人まで患者が広がり、また学校も休校になりました。予定していた行事なども中止が相継ぎ、私のスケジュールの幾つかも中止または延期の連絡がきて思わぬ大型連休になりそうです。丁度いまおおわらわで手がけている仕事には好都合で、出歩かずにデスクワークに集中できそうです。 日本写真芸術学会の総会と研究発表会の詳細が決まりましたので、このサイトの「日本写真芸術学会の催し」を更新しました。研究発表会は学会会員でなくても聴講できますのでどうぞお出かけ下さい。
20日、外出は控えてデスクワークに集中です。時々気分転換に手持ちのいろいろなレンズをテスト撮影と検証をしたりしてます。日没前、西の空に大きな手が現われました。といっても雲ですが、そこにまた劇的なことが起きました。
掌のところから太陽が現われました。ですが太陽はずっと右の方で輝いているのです。「幻日」です。空中の水蒸気に屈曲して雲の薄いところで輝くもう一つの太陽、「幻日」ですが、今日は1分程で消えてしまいました。
21日、外出を控えてデジタルワークの毎日です。おかげでかなり仕事が進みました。まだ時々レンズのテストもしています。 新型インフルエンザはますます広がってきたようで、暮らしや経済にも影響が出始めました。これがどのような状況でいつごろ収束するのか、ということはさっぱり知らされません。多分こういった危機管理が検討されたことが無いのでしょう。ただただ後手の手当てに走る、といったなさけない運営者ばかりなのでしょう。
22日、小雨が降ったり止んだりの一日でした。湿度が高いと感染しにくい?とかで、ちょっと外出、マスクを着けた人ばかりでした。なんだか世紀末みたいな感じ。
24日、日曜日。京都へ能楽撮影。「金剛定期能」は金剛宗家父子の「竹生島・女体」と例会としてはご馳走。宇高通成「加茂物狂」は久しぶりに見る曲ですが旅を舞う謡いが良く地謡もシテも良い気分だったことでしょう。日曜日なのに大阪、京都の人出は新型インフルエンザの影響か異常に少なく、阪急の特急に空席が沢山ありました。マスクをしているのは中年以上の方が多く、若い人はあまり見ません。全体では2割から3割といったところでしょうか。 京都市営地下鉄に乗り入れてる近鉄電車が仏像のラッピング広告をしていて、ちょうど中宮寺「弥勒菩薩さま」の電車に乗り合わせました。ありがたいような、もったいないような電車になりましたが、他に興福寺の「阿修羅さま」、安倍文殊院の「文殊菩薩さま」もあります。ずいぶん思い切ったことをした広告ですが「平城遷都1300年祭」のPRです。これは全国的にも話題になることでしょうね。
26日、鉢植えのムラサキカタバミがあとからあとへ花を咲かせています。親指の爪ほどの小さな花です。
28日、昨日から低気圧のせいで風が吹き荒れています。ここにいつも掲載するラクウショウ(落羽松)は新緑で最も美しい時です。
29日、<自転車は「軽車両」、車の仲間だよ!>と呼びかけているのは大阪府警察の「自転車の交通安全ルールブック」。歩道を高速で走り抜ける自転車の事故が多いからです。自転車は車なので車道を通行しましょう、交通ルールを守りましょうとのキャンペーンです。こどもの頃にうるさいほど「車は左、人は右」と教えられました。どうもその頃の1950(昭和25)年に今の対面通行に変わったからでしょう。ですがいまこれを守って通行しているのは自動車位でしょうか。
30日、珍しく数十年ぶりに中学の同窓会へ行くため早朝から新幹線乗車、いつものように車窓撮影。近江路は田植が終わった水田と麦秋の畑。青と黄色の絨毯です。
伊吹山も新緑に包まれていましたがお天気が悪く雲がかかっていました。豊田市での同窓会では半世紀ぶりに出会う学友にとまどうばかり、変わらぬ目元に面影を見いだして思い出すにはしばらく時間がかかります。楽しい一刻でした。
帰途は近鉄特急。津市の出雲川の付近ではモーターパラグライダーが心地良さそうに翔んでいました。
31日、日曜日。居座っていた低気圧が去ってだんだんと晴れ間が広がりましたが、時々にわか雨が降ったりしています。永らく霞んでいたり雲に隠れていた生駒山がやっと見えるようになりました。 |
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