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3月1日。ちょっとしたプロジェクトのために時間をとられてなかなか更新ができませんでした。このバンクーバー・オリンピックの間にカナディアンロッキーのスキー場を紹介しようと思っていたのですが、今日オリンピックは終わりましたのでまたの機会にします。なお13日(日本時間)からはパラリンピックが始まりますので、時間があれば掲載できるかもしれません。
3日。京都の金剛能楽堂の庭に池があります。錦鯉が沢山泳いでいて休憩時間に庭の緑と鯉の鮮やかな色とを楽しめます。能楽堂が室町にあった時も鯉がいましたが、現在の京都御苑(御所)の西に移転して大きな庭池になると沢山の鯉の池になりました。この辺りは幕末まで公家の屋敷が建ち並んでいたいた所で、そのなごりの庭池なのでしょうか、なかなか風情があります。能楽堂に来られた外国人には大好評でよく記念写真など撮影されています。
錦鯉のなかのこの黄鯉は水が注ぎ落ちるところによくいます。頭頂へ水を受けるのが好きなようで、他の鯉が来て動かざるをえなくなると反転してすぐにまた元に戻ってきます。まるで滝行をしているようですが遊んでいるのかもしれません。魚でも遊び心があるのでしょうか。
4日。東大寺二月堂修二会(お水取り)に一年ぶりに出かけました。と言ってもこの3月の行事ですから1年ぶりというのは当然のことなのですが、かって長年にわたってこの時期に取材で毎日をここで過してきた所ですから懐かしいのと馴染んでいるのとで気持ちの安らぐところです。日中、日没の法要を局(つぼね)で聴聞。「南無観」というテンポの良い声明にやはり聞きほれます。日没法要が終わり下堂された練行衆にご挨拶。私が取材していた頃とはすっかり一世代代わっています。 練行衆が籠る参籠宿所や食堂の周りには各地から奉納されたお松明の竹が一杯並べてあります。夕刻、初夜の法要で二月堂へ上堂する時に灯されて二月堂の舞台へも上がるお松明に使います。まだ先端はつけられていないのですが根元は担ぐ時にバランスがとりやすいように根付にされています。
今年はとても暖かいので二月堂下の梅が満開です。昔は3月15日の満行帰坊の頃にちらほらと咲くのが普通だったのですが、最近は行中に満開の時が多いようです。参籠宿所は鎌倉時代の建物で、練行衆はここで休み二月堂に上がって修二会を勤めます。宿所の煙出しから煙が立ち昇るのはこの行の間だけのことなのです。
7日、日曜日。雨天で寒くなるとの予報でしたが大阪ではさほど寒くはありませんでした。例によって各地のライブカメラを見ると飛騨から北はうっすらと雪が積もっています。このところの暖かさで雪が融けていたところも冬景色に戻ったようです。 原稿送稿の仕事やプロジェクトが一段落すると、その資料や写真などをそのままにしてすぐに次の事に取りかかってしまい、いつも大混乱の仕事場です。そこで一応プロジェクト別に分類すること、写真をできるだけ元に戻すこと、制作途中の保存データーを削除して整理することなどで日が暮れてしまいました。まだまだかなり未整理があるのですがまた何れ、です。 昨年に朝日新聞社の「読者の新聞写真」へメールで送っておいた上の写真、昨年11月27日にここへも掲載した「ボラの子とセイゴ」が大阪府代表作の一つになったとの連絡を新聞社からいただきました。これで3年連続でその代表作に選ばれたことになります。写真の内容はこの「近況」のバックナンバーでご覧いただくことで省略しますが、対象は身近なところにあるのでそれを見逃さないことです。
11日。相変わらずバタバタと多忙です。このところの寒気の南下と低気圧で空模様は良くなく寒い日が続きます。ですが空や雲の撮影には好適。ダイナミックな雪雲が流れてきて忙しい時があります。垣間見える分厚い黒雲の上は入道雲。冬の積乱雲です。霞んでいて撮影はできないのですが金剛山の山頂も積雪と霧氷で真っ白です。金剛山ホームページによれば15cmの積雪情報。この寒気が過ぎれば本格的に春が巡ってくるのでしょう。
12日。今日は東大寺二月堂修二会の重要行事の「お水取り」と「籠松明」の日です。幸い暖かくなったのでお参りには良いでしょうが、近年この行事に人びとが殺到し、それで雑踏整理をしているため、遅くから出かけた人は「籠松明」が見える二月堂下まで行き着かないうちに「籠松明」が終わってしまい、その苦情があるので寺を始め関係者も困惑しています。「籠松明」は早くに二月堂へ行き、待ち続けるほかはないようです。 鎌倉・鶴岡八幡宮の大銀杏がこの低気圧の雪風で倒れてしまいました(毎日.jpニュース.pdf)。由緒ある名物の大銀杏だけにとてもかわいそうです。弱っている老木ならは支える装置などで倒壊を防ぐような方法は取られていなかったのでしょうか。何時かは終わる生命ですが事故では残念なことです。いま必死の対応策が考えられているようですが、何とか再生してほしいものです。
14日。満開の桜の写真でびっくりされたかもしれませんが昨年4月の写真です。今年も暖かいので一ヶ月後の飛騨・高山の高山祭りには江名子川沿いの桜も花盛りとなることでしょう。写真は江名子川が宮川に合流するあたり、日下部民芸館付近(衛星写真地図)の白壁の土塀が続く美しいところです。
15日。飛騨・高山の江名子川の桜。一昨年の写真です。両岸から、また橋から間近に桜が見えます。
16日。現在の高山に金森長近が1588(天正16)年に築城を始めた時、城山の東を北へ流れていた江名子川を西へ曲げて外濠とし、宮川とあわせて東、北、西の防御線としました。外濠となった江名子川の内側(左岸)には照蓮寺(高山別院)、武家地(空町)、町人町(上三町)を設け、外側(右岸)には東山の寺町、金森左京屋敷で固めています。
17日。阪神高速道路の新線、大和川線が急ピッチで工事しています。最近いろいろな工場や施設の建設が盛んな「堺浜」から高速道路が集中している「松原」までを結びます。その大部分がトンネルで地下を通るシールドトンネルになっていてどこまで工事が進んでいるのかよくわかりませんが、南海本線と国道26号線の間、大和川左岸のダイセル化学工業があった所は掘割になるため南海電車から良く見えます。写真の上部の青いフェンスが国道26号線で「鉄砲西出入口(仮称)」が設けられ、本線との合流部分か、または工事用の坂道が見えます。右端は大和川、左はスーパー堤防でしょうか。ついでにさらに左にある広大な空き地はダイセル化学工業の工場跡ですが、そこへはショッピングセンターの「AEON」が建設される予定だそうです。大阪は南北の鉄道や高速道路は多いのですが、東西は少ないためが効率の良い道路になるかもしれません。詳しくは阪神高速道路のホームページをご覧下さい。
20日。京都で「茂山千作と千之丞の会」の狂言会が金剛能楽堂であり撮影に出ました。千作、千之丞に加えて山本東次郎の「武悪」。千作の立振舞いが難しいので「素狂言」で三人が座したままで謡うのですが、目を閉じれば舞台上の動きが見える感動の舞台でした。 まだ明るいうちに終わったので向かいの京都御苑(御所)へ行くと、梅林は終わっていましたが桃林はちょうど満開。(京都御苑案内図)
近くにある皇宮警察本部京都護衛署前庭の枝垂桜も満開。まだ若木ですがなかなかの枝ぶり。「平安の庭」と名付けてありました。
中立売御門の近くには木蓮が。デジタルカメラと携帯電話カメラに取り囲まれていました。
隣りの蛤御門はご存知「禁門の変」で大砲や銃弾が飛び交った所。鷹司屋敷から出た火は南の七条通まで民家を焼き尽くす大火になりました。今も蛤御門には弾痕らしき傷が残っていて、皆が触るので白くなっています。
21日、祝日。昨日からの低気圧が運んできたのか黄砂が空を被っていました。朝の風景はさほど黄色くはないのですが太陽は銀色。黄砂の時の独特の色です。春の中国の華北から中原にかけては黄砂で一面が黄色になり、太陽は銀色に輝いて見えます。1979年に敦煌に行った時も黄砂の日が多く、カラーフィルムに写った風景が黄色一色でした。同行の作家が空を見上げて『銀陽』と名付けました。さすがです。そんなことを思い出しました。
23日。京都御苑の続きです。観光客にはあまり知られていないのですが、歴史好きには魅力的な所が京都御苑の一角にあります。
旧二条城の南端あたり、椹木町通を西へ向かうと見事な長屋門がありました。京都の佇まいもいま大きく変わろうとしているので、この風景を何時まで見られるのか心配になります。
いま旧二条城の大部分は平安女学院の敷地になっています。角地には「旧二条城」の碑が建てられていました。現地には旧二条城の痕跡は何も見られないのですが、地下にはまだまだ遺構が眠っているところであります。 24日。このホームページはいろいろなものがあって、またかなり記事が多くなってきたので、自分でもどこに何があるのか分らなくなってきました。ジャンル別に分類をしようと思うのですがなかなかその時間がとれません。そこでとりあえずこのホームページのサイト内を検索できるようにしました。Googleの検索を使用しています。興味のある検索語を入力してみて下さい。なお当然ですが某国のような検索の妨害や制限はしていません。 25日。時々に知己の方々から出版された新刊を頂きます。ありがたいことです。今までここに掲載しなかったのが悔やまれますが、これからはできるだけご紹介するようしたいと思います。 (方丈堂出版 オクターブ発売 2010.3.31発行 ISBN 978-4-89231-079-9 ¥2,800+税) 朝日新聞大阪に連載していた「海から天へ 熊野・大和幻視行」に幾らかを加えまとめたもので、大和だけでなく古代から深く繋がる熊野、伊勢をも視野に入れた論考と写真です。新鮮な切り口の文と、ベテランの写真記者の視点はさすがです。最近の新聞写真は各社同じような写真が掲載されていて、昔のように独自の視点を競うというのが薄れているように思えます。というのを某社写真記者に最近にボヤいたのですが、塚原氏の視点にはそのようなことはありません。週1回で50回の連載、そこから生み出された本ですが、それだけにその行動力にも敬服です。 ( ブックマン社 AB判 144頁 2010.3.19発行 ISBN 978-4-89308-732-4 ¥3,048+税) 奈良を撮り続けて半世紀、5万点の写真の中から選びぬいた奇蹟のベストショット、というのは写真集の帯のコピーから。写真はその場にいなければ作品はできません。まったく当たり前のことなのですがこれが実は大変なことなのです。この写真集にある風景に立ち会うのはなまじな努力ではなかったでしょう。西岡氏は「水門会」の仲間でプロ写真家です。この「水門会」ホームページの「ギャラリー」でも氏の作品が見られます。良いシゴトをされてますね。 (東方出版 94頁 2010.2.18発行 ISBN 978-4-86249-155-8 定価: ¥2,800+税) 10年前に「竹内街道・當麻路」を出版され、その後も地域を記録され続けている成果です。古代ロマンを写真一枚ずつに丁寧に込めてふるさとを見つめ続ける写真家で、その椿本氏も「水門会」の仲間です。私も昔から古代からの道・竹内街道は好きでよく訪れました。「水門会」ホームページの「ギャラリー」には椿本氏の作品と、私が昔に撮影した竹内街道のアーカイブ作品があります。 26日。桜が咲き出したのに冬に戻ったような寒さです。遠くに見える金剛山も山頂は霧氷で白くなっていました。 冷たい大気で空もクリア。こんな雲が私は大好きです。 団子になった雲。雲も寒くて丸くなっているのでしょうか。 27日。ちょっと寒いのですが陽射しは暖かです。近所の川端の桜並木はもう満開。 この桜は早咲きらしく近所のどこよりも早く咲きます。寒いためかお花見の人もいません。 道に桜の花が落ちていて、もう散り始めたのかと思ったら花びらでなく花そのものでした。見上げるとヒヨドリが花をついばんでいます。 くちばしで花をちぎってくわえ蜜を吸ったあと捨てることもあります。それで下に桜の花が落ちていたのでした。スズメもよく花を落とすといわれますがヒヨドリもそのようです。調べて見たらヒヨドリはスズメ目でしたので納得です。 28日、日曜日。京都の金剛定期能へ。曲は「西王母」シテ今井清隆と「桜川」シテ廣田幸稔、狂言の「柑子」は茂山忠三郎休演で山口耕道と茂山良暢。能はいずれも春の曲で桃や桜の花が舞台へ濃厚にたちこめました。 29日。寒気団が南下して寒い春になっています。遠い生駒山の付近にも雪雲が来て降らせているようですが、発見がちょっと遅かったのでロート状になった雪雲が生駒山を通り過ぎての撮影になってしまいました。残念。 南の方向を見るとそこにも別な雪雲が季節外れの雪を降らせていました。ニュースによれば関西でも京都、奈良で吹雪いたようです。 雲の切れ間に黄金色のきれいな待宵月が昇りました。明日は満月です。
30日。昨日の寒気団の南下で暖かいはずの静岡県でも雪が降り、今朝のライブカメラでも富士山一帯は雪景色でした。写真は「RRAND VIEW 431 WEB SITE」のライブカメラによるもので、29日の静岡新聞は「季節外れの大雪 御殿場で17センチ、一時警報も」と報じていました。写真左は駿河湾、三島市方面です。 今日も一日中冷たい風が吹いた日でした。冷え込んだ空は飛行機雲が出やすいようで青空に幾筋もの航跡が残っていました。 31日。京街道の京橋駅付近の追加です。 口紅をさし仲良く並んだお地蔵さまです。お堂には由緒書きがありましたので長文ですが転記します。 右側小柄の方は交通災害の身代り地藏さんで、左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵さんであります。 地元で崇敬されているお地蔵さまのようですが、この地域の現代史が分る内容でもあります。 |
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