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4月1日。名古屋で短時間の用事なので近鉄名古屋線の特急(アーバンライナー)で往復。以前より乗り心地と座席が格段に良くなっています。あいにくの雨模様で風景はあまり良くありません。車窓に見える大和高原の桜を楽しみにしていましたがまだ少し早いようです。 写真は旅客機からの撮影で、河口付近から上流を望んだ木曾三川。霞んでいて写真が良くないのですがご容赦下さい。写真左から海津市、桑名市、揖斐川、長良川、木曽川、愛西市。中央が千本松原から続く県道106号線の堤防道路、下方の橋は上が東名阪自動車道、下がJR、近鉄の鉄道橋です。(衛星写真地図)(木曾三川の概況は国営木曾三川公園ホームページ) 2日。大和街道(古堤街道)の続きです。 蒲生墓地東の大和街道(古堤街道)です。クリーニング店と木造民家の間が街道で、左(東)へ続いています。鯰江川の土手の道であったことから今でも周囲より高い所を通っています。その向こうは低くなっていますが、そこが鯰江川が流れていたところで、現在は広い道路となっています。 3日。久々に河内飛鳥を撮影しました。昔はよく撮影に歩いたところで、高松塚発掘時の1972年にまとめて「飛鳥 河内と大和」(淡交社刋)という写真文集を出版しましたが、その後はよく通るものの撮影はしていませんでした。都市近郊ですから新しい住宅地ができて昔ののどかな農村風景はすっかり失われてしまったのですが、王族の古墳群や古寺は相変わらずの姿で迎えてくれます。今回は二子塚古墳の桜風景です。昔の二子塚の写真は水門会ギャラリーの「竹ノ内街道」に掲載しています。古墳の説明は太子町ホームページへ。 推古天皇陵、二子塚古墳東方の丘に小野妹子のお墓があります。墳墓は以前よりかなり荒れていました。周囲には桜が多いので近くの住民のお花見の場所らしく、休憩所に臨時の食堂が設けられ演歌がガンガン鳴らされていました。妹子墳の説明は太子町ホームページへ。 4日、日曜日。弾けたごとく一気に桜の花が咲きました。どこを見ても花盛りです。休日とあって花見の人が多く撮影には向かない日です。環濠堺の土居川の桜も満開。早くもこいのぼりが出ていました。 この数日、日没の太陽がきれいです。写真は先月30日の太陽ですが大きい黒点が数ヶ所はっきり見えています。昨年は黒点が無くて100年ぶりの異変ではないか、と言われていましたがこれで復活したようです。アマチュア無線の方々は黒点があって電波状況が乱れる方が思いがけない受信ができるとか。でも私たちの生活にはまったく影響が無いようなので天文マニア以外は無関心なことです。 5日。山道の側にあった樹の根が道路の拡張で剥き出しになっていました。大きな樹には見えないけれど大きな根があるものです。 6日。花の見頃で好天なのに所用多く撮影に出られません。近くの川端の桜並木もこれ以上無いとばかりに咲き誇っています。ファインダーで見ながら、桜色・うす緑・白と並ぶ桜花に、まるでお花見団子みたい、と思ったことでした。 8日。大阪と奈良の府県境にある二上山の雌岳への登山道には桜が植えられていて、遠くからでもその並木が望めます。ラクダのコブのように雄岳と雌岳の二つの山が並んでいるのでどこからでもすぐにわかる山です。 10日。今日は陰暦2月26日で、西行法師が大阪・南河内の弘川寺で入滅された日にあたります。 南河内では大王(天皇)陵を除けば、太子町・叡福寺の聖徳太子と、弘川寺の西行法師のお墓が最も有名でしょう。 江戸中期に似雲法師が弘川寺に西行法師のお墓を探し当て、ここに花の庵を建てて住み、西行法師を供養して西行堂を建立。似雲法師もここで没しました。 弘川寺の本堂や西行堂を過ぎて少し登ると大きく開けたところに出ます。そこが西行法師のお墓で円墳状になっています。近くに幾つかの歌碑や似雲法師のお墓もあります。 さらに登ると似雲法師の庵跡で、その上方を西行法師の庵があったところと伝えています。西行法師はこの地に来て「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」と詠み、その通り入寂しました。いまこのあたりには西行法師を供養するよう桜の花が山を取巻いています。 12日。葛城山系の麓にある弘川寺の北、平石峠への道に弘川寺と同じく役行者の開基となる高貴寺があります。高貴寺への道はここ河内から平石峠を越えて奈良の竹内に通じる大阪府道704号竹内河南線(衛星写真地図)で、高貴寺までは自動車道ですが、そこからは歩くしかない山道となります。なお山中には南北朝期の平石城(平岩城)もあります。 高貴寺は能書家で雲伝神道を起こした大坂の名僧・慈雲尊者が晩年に中興し住まいした寺で、慈雲尊者のお墓もここにあります。寺の山門には釣鐘が吊られ、境内には石塔も多く、中でも十三重塔は見事なものです。 片側が谷となって所どころに桜の咲く山並みが望める参道脇の本坊には下乗石がありました。 高貴寺には春、人を寄せる名木があります。本堂前にある枝垂桜で臥龍桜と名付けられています。ちょっと遅く行ったので花は散りかけていて、写真の掲載は見合わせますがそれでも楽しめました。葛城の山中でひっそりと佇まいする隠れ寺です。 12日。久しぶりに本降りの雨です。桜の花も散り花筏が川面にさまざまな模様を作っています。クスの樹も芽吹いて鮮やかな彩りとなりました。 13日。雲が低く生駒山(標高642m)の送信アンテナ塔がなんとか見えるのでその位の高さの雲なのでしょう。もちろん金剛山(標高1125m)は雲に隠れています。低い雲の時は夜になると繁華街の上空が街の灯に映えて明るくなっています。それで適当な高さの時に雲の巨大スクリーンへ映像やCMを投映すると面白いかもしれませんね。誰か実際にしたことがあるのでしょうか? 雲が低くなると高層ビルが隠れるような時もありますが、そうなると霧と言っています。物理的には雲も霧も同じものですが、見る立場によって雲か霧か呼び名を変えていると言うことのようです。この「近況」の2010年2月1日には街中の「濃霧」、2月19日にはカナダ・サンシャインスキーエリアの雲海の写真を掲載していますが、「雲海」の上から「雲」海の中へスキーで滑り込んで行くと「霧」の中で滑走しています。「雲」の中で滑走しているとは言いませんし、そう思うこともありません。 14日。急に寒くなりました。今日は飛騨・高山の春祭の日ですが、残念なことに今回は用事があり高山に行けませんでした。そこでここへも良く登場する高山印刷株式会社さんのライブカメラで楽しむことにしました。 夜は屋台に提灯を着けて巡行をします。19時ごろに画面では小さく見える中橋を屋台が渡るのが見え、19時40分ごろにはライブカメラ映像のように鍛冶橋を屋台が渡って行きました。この先の安川通りで獅子舞などを披露し、高山市郷土館付近で曳き別れして屋台は各町内へ帰っていきます。webの情報からは「今日の祭はすごく寒かった」と出仕した方たちの話が伝わってきました。大阪にいながら高山祭を楽しめたのはwebの力です。なお東海地方のケーブルテレビは3時間の中継をしたそうですが全国ネットでも放送していただきたいものです。祭は明日も続きますのでお天気が良いことを祈ります。
15日。朝、高山印刷株式会社さんのライブカメラを見ると屋根や城山が白くなっていました。昨夜に雪が降ったようです。今日は高山祭の本楽ですから本降りにならないように願うばかりです。屋台は水に濡れるのを嫌うので雨雪だと屋台蔵から曳き出されません。高山で4月に雪が降るのはそう珍しいことでは無いようですが、桜と雪の高山祭というのは珍しいかもしれません。
堺環濠の土居川沿いの桜もほとんど散りました。下に10日前に掲載した同所を比較のために再掲します。
16日。昼ごろから本降りの雨になりました。ライブカメラで見ると富士山付近はまた雪で白くなっています。飛騨・高山も雨降りでしたから高山祭が昨日無事終わったのは幸いでした。でも今夜は雪が降るかもしれません。近年に無い天候です。
国立国際美術館では明日からオープンする「ルノワール 伝統と革新」展のプレビューで、同時に「死なないための葬送 荒川修作初期作品展」「コレクション」展も開催されゆっくり見てきました。
17日。私のデスクの横に「私は美しいものが好きだ。 中山岩太」と言う言葉をワープロで打って貼ってあります。1938年に中山岩太が雑誌に書いた言葉で、何時の頃か気に入って何十年かになります。
兵庫県立美術館はHAT神戸(衛星写真地図)にあります。近くに阪神淡路大震災を契機に造られた「人と防災未来センター」もあり、新しく造られた街と海岸沿いには緑地が広がり、遠くに三宮のビル街のスカイライン、北には緑燃ゆ六甲の山並みが迫っているところです。
夕方、西の空に夕月が赤い太陽を追いかけて沈んで行きました。
18日。今日は名神高速道路で名古屋往復。いつも雪が降り寒い関ヶ原辺りの桜はまだ見られるかと思いましたが、里の桜はすでに散り始めていました。ですが養老の滝がある養老山地(衛星写真地図)の山の桜は満開。急峻な山肌に宝石をちりばめたような色とりどりの桜が見事でした。
19日。まだ少し寒い日が続きます。でも花々は順調に咲いています。
竹薮のタケノコも伸びてきました。でもまだ冬服が要りそうです。
20日。今日は穀雨。相応しく雨の日でした。田畑にはトラクターなどが姿を見せて農作業が始まり、山々の樹木は緑燃えてまぶしいばかりです。二上山は雨雲に隠れてフタコブラクダのような山頂は見えません。そう言えばこの「近況」に二上山の全貌を掲載したことがありませんね。そのうち撮影して掲載しましょう。
21日。「松野藝文館」が4月28日に開館されるとご案内をいただきました。日本画家で能楽を描くことに高名な松野奏風氏と、その子息の松野秀世氏の画業を集成する美術館です。一般的には奏風氏は檜書店発行の観世流謡本の全てに能の各場面を線画で描いたことで知られています。また各地の能舞台の鏡板を描きました。秀世氏も東京の観世能楽堂の鏡板や厳島神社の復元鏡板などを描きました。もちろん父子ともに日本画も数多く残しています。 奏風・秀世記念「松野藝文館」 なお「松野藝文館」の建築を担当されたLife & Design Studio Tamさんのホームページに「松野藝文館」の建築概要が紹介されています。
23日。昨日は珍しく丸一日土砂降りでした。それにこの季節とは思えない冷え込み。春服と冬服が交じりあう街行く人たちです。今日も時々雨雲が山沿いを通り、その雲間から射す光が新緑の山肌を照らしていました。
24日。今日もお出かけ。寒いながらも晴れた空でした。
JR名古屋駅があるセントラルタワーズ。名古屋初の高層ビルでオフイスタワーが51階 245m、ホテルタワーが53階 226m。「立体都市」と称してデパート、ホテル、オフイス、レストラン街があります。キラキラと輝く外観が特徴でかなり遠方からでも見える名古屋のランドマークです。
25日、日曜日。堺環濠の土居川沿いの桜は新緑に。下に20日前に掲載した同所を比較のために再掲します。
26日。朝は少し寒かったのですが次第に晴れて快い日になりました。日没のころ六甲山の上の西の空に幻日が現われました。大気中の水分の屈折で太陽の左右に疑似的な太陽が現われるもので、写真は右側の幻日です。
27日。この花時から雨、雨、曇りの日が続き写真家泣かせの春です。で今日も雨。すっきりした写真でも掲載します。17日に神戸で見かけたこいのぼり。青空に泳ぐこいのぼりを見るとほのぼのとします。
実は高いクレーンに釣り上げられた?こいのぼりです。この頃の街では庭で泳ぐこいのぼりはなかなか見られなくて、マンションのベランダか、どこかの団体が企画した多数のこいのぼりが流行っているようです。でも写真のこの会社は自社のクレーンを長期間こいのぼりに提供しているのですが、それでお仕事の方は大丈夫なのでしょうか。
28日。明日から大型連休が始まるので仕事の段取りを早めて今日中に連絡とか郵送物を済ませました。その足で近所をカメラ散歩。幸い好天でふと桜並木を見上げると桜の実がいっぱいなっていました。青い実が多いのですが中には赤い実も。そのうち黒くなってすぐに落ちてしまいます。
あまりにも心地良い日なのでついウトウト。
29日、祝日。夜半に激しい雷雨で目が覚めて早速カメラをセットしましたが雨が激しく雷光ははっきり見えないので中断。夜明けまで様子を見たのですが雷雲は東に去ったので一寝入り。 日中は寒いような気がする風が吹くのですが晴れて良い連休初日になりました。撮影してある未処理の写真を整理しデジタル現像。その中の一枚。どこの山でしょうか? 明日に正解をお知らせします。
30日。山の色が最も美しい頃です。新緑、常緑、それに所どころに赤黄の葉が混じって、秋の鮮やかな色合いよりも今の山の方が好きです。 昨日の「どこの山でしょうか?」の答えは、「山砂の所近」。すでのもたし影撮を山砂のさ高のどほm4う使に事工 |
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