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Profile

今駒 清則 (こんま きよのり)
KOMMA Kiyonori


 


1942年生まれ、写真家、愛知県豊田市出身
大阪市在住

1962年から写真家・入江泰吉氏に師事

1982年からデジタルフォトの研究とデジタルアーカイブを始める

1984年から大阪芸術大学芸術学部写真学科でデジタルフォトの実習・制作を担当

2012年に大阪芸術大学芸術学部写真学科教授を定年退職

歴史、美術、芸能、宗教分野の出版写真が専門、写真集など多数

最近は花鳥風月、特に「空」に魅かれる

趣味は芸術鑑賞、スキー、ボウリングなど

ホームページ https://komma.jp/

公益社団法人 日本写真家協会(JPS) 会員
能楽写真家協会 会員


<大阪芸術大学写真学科・今駒ゼミの卒業生は今駒までご連絡ください>

迷惑メールの送付先は meiwaku@dekyo.or.jp ご覧いただいた感想・ご意見・問合せ、写真関連の問合せ などございましたら下記へメールをお願いします。

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1980年代のデジタル・フォト研究

「パソコン画像処理黎明期」 長谷川裕行氏 「日経ソフトウエア」2003年9月号掲載

<日経BP社 転載承認済>

パソコン画像処理黎明期 長谷川裕行  日経ソフトウエア 2003年9月号掲載
 筆者の勤める大学で、パソコンによる画像処理が行われたのは1980年代。草分け的な存在である今駒清則教授にいろいろ話を聞いてみた。
 当時、画像処理の目的は写真画像をコンピュータで補正し、カラープリンタで出力すること。写真画像はイラストと異なり、微妙なグラデーションの再現が命だ。これを、限りあるメモリー上で何とか表現しようという試みだった。
 最初はビデオカメラで撮影した1コマを取り出してデータ化するという、アナログ→デジタルの形式だった。1980年代の半ばごろには撮影した画像をその場でモニターに映し出して確認する現在デジタルカメラのスタジオ撮影で行われている手法が実践されている。
画像を分割し手作業で色調整
 1982年当時、今駒教授らは、CPUにZ80を使ったCromemco(クロメンコ)というマイコンで、スチル写真をイメージスキャナで取り込み、デジタル画像として加工する方法を取り入れていた。ディスプレイの解像度とメモリーの制約から512×512ピクセルの画像しか扱えないので、1枚の写真画像を何画面かに分割して作業したという。
 画像のデータ形式はRGB(赤/緑/青の光の三原色)のベタファイル(単純にピクセルのデータが並んだだけの記録形式)で、それを256色のサーマル(熱転写)プリンタで仕上げるため、印刷しては画像を見ながら手作業で各色の濃度調整(今で言うカラーマネジメント処理)を行ったそうだ。
銀塩並みの画質へ!
1986年には「ニューフォトグラフィー」という名称でデジタル写真の研究と教育が本格化し、1987年には、シャープX68000で動作するC言語製の画像処理プログラム「New Photo Tool」が完成する。最初は512×512ピクセルを複数使用して解像度を稼いだが、後にはメモリー上で解像度3000×2000ピクセル程度/32000色まで精度を向上させた。スキャナやプリンタのドライバも自作し、最終的には銀塩写真とほぼ肩を並べられるようにまでなったという。
 このプログラムは、後に手を加えられて「マイクロイメージ・シンセサイザー」というシステムとして商品化された。パソコンにソフトウエア、イメージ・スキャナ、インクジェット・プリンタ、増設メモリー、数値演算プロセサなどを加えたフルセットで、当時の価格が315万2000円より(!)だったとか(1993年のカタログから)。
 今では、たくさんのユーザーが、大量のメモリーと高速なCPUを搭載したパソコンで、高機能な画像処理ソフトを動かし、お気軽&お手軽にデジタルカメラで撮影した画像をインクジェットプリンタで印刷している。しかし、そこに至るまでの道のりは地道な努力と試行錯誤の連続だったのだ。研究室の奥の方には、大活躍したX68000と当時のデジタル画像を記録した5インチのMOディスクが、今でもひっそりと眠っている
写真 かつてデジタル画像作成に活躍したX68000
<日経BP社 転載承認済>