このサイトにあるすべての写真と文には著作権や肖像権があります。無断転載をお断りします。   写真家 今駒清則のお知らせページ HOMEE

近況 2007年5月 今駒清則


 いよいよ5月になりました。もう寒い、冷たいというのはどこかに行ってしまいましたね。その寒い冬のスポーツ、スキーもそろそろ終りです(特別な所ではこれからオープン、というのもありますが)。写真は志賀高原ジャイアントスキー場のライブカメラ映像から頂いた現在の状況です。あの楽しいコースが・・・、雪解けでリフトも外されています(ただし志賀ではまだ高天ケ原、一の瀬、寺子屋、焼額山、熊の湯、横手山、渋峠が滑走可能です)。ライブカメラで見ると連休で皆さん、滑ってますねエ。近ければ行きたいのですが。

 ついでによく行くカナディアンロッキーのスキー場サイトをのぞいてみると、まだ180センチ位の積雪、降雪もあり、ただし気温はプラス5度前後ですから雪質は良く無いでしょう。昨年末行った時のコンデションは今までで最高でしたから堪能してきました。スキーは滑っていればこの歳になっても少しずつ上手くなっていくところがうれしいですね。季節外れの話はまた寒くなってからにしましょうか。

 今日2日から奈良市美術館で「水門会写真展」が始まります。お水取りの写真集「南無観」掲載の作品を出品します。5日は終日会場にいますのでぜひご来場下さい。入手し難いこの写真集も会場受付に置いています。(2007.5.2)


撮影:今駒清則

 今日は憲法記念日です。平和に対する日本人の願いは第9条に代表されています。多くの血を流した歴史から生まれた重い背景があります。それを忘れて改憲すべきではありません。世界に唯一、日本が誇れる平和憲法です。第9条を守りましょう。

 昨日2日から「水門会写真展」が奈良市美術館で始まりました。

 水門会は奈良市水門町にお住まいされていた写真家・入江泰吉先生のお宅に、40年ぐらい前から先生の友人。親戚、弟子たちが集まっていろいろな親睦会を行ってきましたが、そのうちの写真家たちが集まって1977年に初めての写真展を開いたのが始まりで、今回は16回になります。入江先生の没後も入江先生が生涯ひたむきに大和路に取り組んだその生き方と写真精神を学び、伝えるために活動を続け、最近では弟子だけでなく、これに賛同する新たな会員も迎えています。

 昨日の初日は午前中の展示準備中にもかかわらず、入場されてご覧になる方もおられ、午後2時からの開場とともに多くの入場者で溢れました。美術館事務局の入場者記録では1,166人と記録されていました。

 写真は会場入口付近で、中央の作品が入江泰吉先生、右が私、左が森本康則会員の作品です。私はこの3月に出版したお水取りの写真集「南無観」に掲載した作品から8点、ミストグラフに1点を出品しています。5日は終日会場にいますのでぜひご来場下さい。入手し難いこの写真集も会場受付に置いています。

 また、今日3日からは兵庫県立美術館で「関西写真家たちの軌跡100年」写真展も開会しました。同時に特別展「ロダン―創造の秘密―白と黒の新しい世界―」(4月3日―5月13日)も開催されています。どうぞお出かけ下さい。(2007.5.3)


撮影:今駒清則

 昨日3日も午後から奈良市美術館の「水門会写真展」会場に。会場風景を撮影して、その日のうちに水門会ホームページに掲載。

 今日4日は兵庫県立美術館の「関西写真家たちの軌跡100年」写真展会場へ行き、同様に会場風景を撮影してこちらも写真展ホームページに掲載。

 この「関西写真家たちの軌跡100年」写真展は私にとってはとても感慨深い写真展です。大阪でデザインと写真を勉強したのですが、高校生の時にちょっと写真を勉強して、関西の新興写真(大正から戦前にかけての前衛的な写真芸術活動)と、アマチュア作家の活躍ぶりを知り、写真は東京ではなく大阪、と思い込んで愛知から来ました。幸いにも入江泰吉先生に師事することができ、その後、ハナヤ勘兵衛氏、岩宮武二氏、田中幸太郎氏、堀内初太郎氏、佐保山尭海氏らの巨匠たちともご縁ができて、それぞれの写真哲学、写真人生を学ばさせていただきました。これらの方々への思いは簡単なものではありませんのでここでは触れませんが、その作家たちの作品がいま一堂に並んでいるのです。そして新興写真時代の名作もあります。現代の写真家の作品ともあわせて、ぜひご覧下さい。さらに写真展図録に収録された中島徳博氏の「関西の写真」は、今までにない緻密な写真史であり、読みごたえのある論文です。こちらもぜひご覧下さい。

 5日は「水門会写真展」の会場に終日います。会場の奈良市美術館のあるイトーヨーカドーの駐車場は広くて無料、西はすぐに史跡・平城京ですので、どうぞ気楽においでください。(2007.5.4)


撮影:今駒清則

 昨日6日、「水門会写真展」が盛況のうちに終了し、6日間に約5,000人という方々がご来場下さいました。どうもありがとうございました。今後も会員一同と共に精進いたしたいと存じます。

 同日に「関西写真家たちの軌跡100年」写真展のシンポジウム「写真・発想・創造」が開催され、井上博道氏の司会で、関西の写真クラブの重鎮、津田洋甫氏、西岡伸太氏、太田安昭氏がそれぞれの作品をもとに、やさしくその制作過程を説明されました。「写真は追いけかけていてはいけない、予想し根気強く待ち受けて撮るものである」と津田氏、会場は通路・階段までに聴講者で溢れていました。

 その後、子供の写真を撮り続ける日本写真家協会の会長、田沼武能氏の講演、天真爛漫な世界の子供、戦火に痛めつけられた子供の作品などを上映して、氏の歯切れのよい江戸弁で会場を沸かせ、子供たちの未来のために平和が大切、と締めくくりました。

 閉会後は記念パーティが開かれ、田沼会長、主だった関西写真家たちとの懇親が続きました。あまりこういったパーティには出かけなかったものですから、久しぶりにお目にかかった方々も多く、皆さんお元気でご活躍でした。

 次回の同シンポジウムは「デジタル人・銀塩人」として私が司会を勤めます。またこの後6月に「能楽写真家協会写真展」が控えています。今年は多忙な連休でした。(2007.05.07)


撮影:今駒清則

 春紅葉も一瞬、という感じで新緑に移り変わっています。写真は昨日の雨神戸の霧立つ六甲山です。中国ではこの情景を烟霧(イエンム)と言い、そのまま煙霧・エンムと言って通じます。かってこの煙霧に魅せられて何度も桂林に通ったことが思い出されます。ついでに中国で簡単に烟といえばタバコのことでもあり、香烟、烟草が正式ですが、そういえば烟草は日本でもそのままタバコのことですね。子供まで吸っていたタバコ好きな中国でも最近は「戒烟」「控烟」運動や「吸烟禁止」が増えてきたのと、「烟酒不分家」という習慣(自分がタバコを吸いたい時は仲間にも自分のタバコを配ってから吸う)もタバコを吸わない人が増えたため、形式的になってきたようです。日本でもこの習慣はあったのですが、今では全くと言って良いほど無くなってしまいました。ただし、お酒の方は日中共にいまだ健在ですね。

 風雅な話が横にそれてしまいました。忙しかった連休が日常に戻ったら少し気が楽になり、つまらない近況になりました。今日は受け持っているあちこちのホームページに手を入れていましたらそれだけで暮れてしまいました。(2007.5.8)


Yahoo! 地図情報 古地図東京めぐり 内藤新宿あたり (左端が現JR新宿駅)

 暑い一日でした。冷房嫌いの私は車の窓を全開にして風を楽しんで走行するのが常ですが、省エネルギーセンターではセダンの窓全開で10.6%も空気抵抗が増加すると言い、自動車雑誌「ベストカー」がミニバンで実験したら18%も燃費が悪化した、と伝えています。どうもエアコンをつけて窓を閉めた方が燃費には良いのかもしれません。

 ところで私はある地域に興味を持ったり取材する時、地図をデータにして、そこの明治の地図と今の地図とをレイヤーで重ねて比較し、その地の変遷を確認します。例えば今では一面の市街地となっていても、明治では小集落であって、それは今のどこになるのか、また昔からの道はどれなのか、などが一目でわかります。それを目処に歴史のある所を現地で探すわけです。それ以前の古地図は参考にしますが、今の地図とは正確に重なりませんので、必要項目だけを別レイヤーに書き込みしておきます(このあたりのことはまた時間があれば別に書きたいと思います)。

 また東京に出かけた時、少しの時間でもあれば、江戸切絵図を片手に歩いてみます。東京は戦災後あまり区画整理をしなかったようで、大都市の中では江戸の道筋がそのまま残っている珍しい所ですので切絵図で歩けます。このビルは江戸にだれそれの家だった、などとわかるのが切絵図の素晴らしいところです。

 それをwebで実現してくれたのが「Yahoo! 地図情報 古地図東京めぐり」で、同じ場所を「江戸切絵図」「明治」「現代」の地図と「航空(衛星)写真」と切り替えて見ることができました。私にとっては涙が出るほどうれしいものでしたから一日中眺めて暮らした日もありました。この1月から3月までの期間限定の公開サービスでしたので、現在では「Yahoo! 地図情報」からは見ることができませんが、まだサイトには置いてありますで、ここから見ることができます。何時消えてもおかしくありませんので興味がある方はお早くご覧下さい。(2007.5.9)

追記 「古地図東京めぐり」へはアクセスができなくなりました。(2007.5.26)


1997年の「館内から出島を望む」

撮影:今駒清則

 買い物のついでに近所の古書店で100円均一本をちょっとのぞいてみたら岩波写真文庫38の「長崎」がありました。普通500円から1,500円もするのでワケありかな、とよく見てみても三刷ではあるがなかなかの美本、コレクターではないので初版本でなくてもOK。もしかしたら家にあるのと重なっているかな、とは思ったのですが調べるのも面倒で早速購入。家には100册ほどの岩波写真文庫と、今の復刻ワイド版も少しあります。

 長崎は私の好きな町の一つ。何度も出かけています。必ず行くのが館内町の唐人屋敷跡、原爆では山陰になっていたので直接の被害はありませんでしたが、昔の建物はまったくといってよいほど残っていません。だから観光客は中国寺院以外にほとんど見るものはないのですが、それでも私は古地図を見ながら歩きます。あまり変わっていない道筋や石垣など、道端のそこここに名残りと思われるものがあります。これを探すのがとても面白いのです。

 写真では長崎大学の「幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」にある、幕末の日下部金兵衛が撮影した唐人屋敷の「館内から出島を望む」古写真をもとに、1997年に私が撮影した写真と比較してご覧下さい(建物などの関係で同じ場所には行けないので多少近景は異なりますが、中央の観音堂は建て替えられ、左右の丘は住宅が立ち並んでいます)。今では住宅地になったこの唐人屋敷跡も都市計画道路や街づくり計画があり、今後急速に変化していくことが予想されます。

 この岩波写真文庫38「長崎」は1950年までの終戦直後に撮影されたものですが、原爆による被害の風景は浦上以外に見られません。GHQに配慮したのか記述も控えめです。最も変化したのは新地(中華街)で、蔵が立ち並んでいる写真があり、幕末の唐人蔵を偲ばせますが、現在の新地には礎石や石垣の名残りはあるものの、蔵はまるで見られなくて店鋪と観光客があふれた街になっています。

 古地図が証明し、一枚の古写真が語り、1冊の写真集が長年の人々の営みを伝える。歴史を視つめるのは楽しい時間です。

 明日11日と12日は例年のごとく奈良・興福寺・春日大社での薪御能の撮影。今年の薪御能パンフレットの表紙は私の写真です。(2007.5.10)


撮影:今駒清則

 恒例の奈良・薪御能は11日、12日で好天に恵まれました。11日は春日大社の社頭で咒師走りの儀「翁」、これは民族芸能ではなく能楽の三人の翁、父尉、延命冠者、黒色尉が登場する古式の翁です。夕刻から興福寺南大門跡で能狂言「田村」「口真似」「海士」。12日は春日大社若宮で御社上りの儀「通小町」、ここでは普通の能とは逆に演じる舞台演出で、ここでしか見られない独特なものです。そして夕刻から興福寺南大門跡での二日目の能狂言「半蔀」「柑子」「野守」が演じられました。

 11日は強風で夕刻からぐっと冷え込み、南大門での能の時にはとても寒く、我慢して撮影していましたが、休憩の間に車に戻って車載してある服を重ね着をして撮影続行。しかしこれで風邪気味、翌日から不調。それでも13日の兵庫県立美術館の「関西写真家たちの軌跡100年」写真展シンポジウムのコーディネーターを務めたのですが、十分にできたのか少々心配。14日は静養、ということで「近況」はしばらく間があきました。

 「関西写真家たちの軌跡100年」写真展も後期展示が12日から始まり、私の作品も展示しています。これは19日が最終日です。(2007.5.15)


テレビ番組から
 すべてではないのですが、マスメディアの教養の低下は甚だしいとこのごろ思います。今日のテレビでNHK京都の女性アナウンサーが高台寺の能面展の案内をしていましたが、「能面」を「お面」と言っていたのはまあ良いとしても、「秀吉は能が好きで自らもおどっていました」と言っていたのにはおどり上がるほど驚きました。そういえば大新聞でもごく一部を除いて能楽について書ける人はいないし、政治やスポーツのように記者が評論を書くことは皆無。能楽の取材でも能楽について基礎知識が全くといっていいほど無いままの取材が多い。
 昨年の奈良・薪御能は天候の都合でホールでの演能となりましたが、演能中に共同通信社カメラマンのモータードライブ連写によるシャッター音がホール中に響き続きました。観客が振り返って音源を探すほどでしたからかなり迷惑な状態であったに違いありません。撮影ぶりから能の何たるかも知らない様子で、まるでスポーツや事件と同じ撮影状況。それが私の隣で撮影していましたので、観客のために少し抑えるよう小声で一言進言したのですが、何を思い上がっているのか、キレて罵詈雑言を浴びせてきました。ここでもこの程度なのです。
 「風の旅人」などは別として、多くのグラフ雑誌の写真がごく普通のキレイな写真ばかりで、編集長の主張が通して感じられるものが少ないのです。世の中分化化が進み、いろいろな専門領域ごとに編集プロダクションや独立エディターが存在するこの頃ですが、出版社が十分な取材時間と費用もかけることもなく、そこに丸投げをしているだけの編集不在を感じることが多くなりました。内容についても軽いので、読者のレベルはこの程度で良しとしたのか、編集者のレベルがそこまでということなのでしょうか。
 したがって買おうと言う雑誌が少なくなりましたし、保存しておこうという雑誌も少なくなりました、ということです。ちなみに平凡社の月刊雑誌「太陽」は1963年の創刊準備号から2000年の休刊までの全てが私の手元にはあります。(2007.5.16)


春日大社の神木 撮影:今駒清則

 奈良国立博物館で開催している特別展「神仏習合〜信仰と美」を見てきました(27日まで)。日本には神と仏を区別なく祈りの対象とするこころがあり、私が撮影をした但馬の神社には仏堂の内陣に神を祀りお線香を上げています。東大寺二月堂修二会(お水取り)では練行衆が内陣で神名帳を読み上げ、行の中で神社にお参りし、礼堂に出御された小観音の警護に神官が出仕します。これらは私の写真集「南無観」にも収録しています。私が所属する水門会の写真展に出品された椿本九美夫さんの作品にも、葛城の小神社に石仏が祀られているものがあり、一度訪ねてみたいと思っています。このように身近に神式、仏式が習合するかたちは改めて見てみるといろいろとあります。歴史的には明治初めに政治的に神仏が分離されているのですが、地域によってかなり混乱した状態で分離または継承されて今に至っています。仏像と違ってなかなか見る機会がない神像を多く集めて多角的に捉えたこの展覧会は日本人の祈りのこころを考える良い企画でした。

 兵庫県立美術館で開催されている「関西の写真家たちの軌跡100年」写真展はいよいよ今日が最終日です。この写真展の写真記録をアップしていますのでご覧下さい。私の近況も見えます。(2007.5.19)


クリックすると拡大できます

 今日あたりから写真月間が始まりました。東京大阪でそれぞれ写真に関するいろいろな写真展や催しが行われます。

 菅井日人さんの写真展「アッシジの春祭りーカレンディマージョ」キヤノンギャラリー梅田で初日を迎えました。大病をされたご様子だったので心配をしてましたが、お元気な顔が会場に。リハビリ中とのことですが、復帰は間もなくでしょう。菅井さんとは滑走友。JPSスキーやカナダスキーもご一緒しました。写真展は長年取材されているイタリア・アッシジの祭りからで楽しい写真展です。菅井さんは26日(土)まで会場におられますのでどうぞお出かけ下さい。

 お隣の大阪ニコンサロンでは写真月間の「写真家150人の一坪展」で水門会の大亀京助会員が「ベルリン」を出品していました。他には写真月間に尽力されておられる百々俊二氏、村中修氏らの作品もありました。この「写真家150人の一坪展」は期間中に8ケ所のギャラリーで展開するそうです。(2007.5.24)


 「おおさかのおばちゃん」たちで賑わうアルカイックホールの坂田藤十郎襲名記念・近松座公演を横目に、隣にある尼崎市総合文化センター・美術ホールの「第7回上野彦馬賞・フォトコンテスト受賞作品展(6月17日まで)を見てきました。それにもう一つの目的は同時開催の、幕末に長崎の上野彦馬撮影局が撮影し、親戚になる江崎鼈甲(ベッコウ)が保存していたアルバムの写真です。

 「第7回上野彦馬賞・フォトコンテスト受賞作品展」でも組写真がほとんどでした。近頃の写真展では、一枚では見せられないから数を集めてなんとなく何か感じて下さい、といった作品が多く、それが若い人たちに多いのでほとほとウンザリしています。さすがにそういう作品が上位入賞になっていないのは審査員の見識でしょうが、単写真で、これを見てくれ、という意欲的な作品が無かったのは寂しいことです。美術団体やアマチュアの写真展で力のある単写真の作品に接することの方が多いのと、本展の中高生部門の作品が単写真で、身近なテーマで素朴ではありましたが訴える力が強かったのは考えさせられることでした。

 長崎の古写真は私が深く興味(研究ではありませんが)を持っているものの一つです。「江崎アルバム」はアルバムの写真だけあって人物がほとんどで風景は少なかったのですが、それでもこれだけの数(187点)をゆっくり見せていただけたのはありがたいことでした。幕末の風俗研究には貴重な資料ですし、上野写真の研究にも多くのヒントがあり、丁寧な解説と併せて見終わるのにかなりの時間がかかりました。ただ、忠実なレプリカ写真だけでなく、せっかくデジタル化してある写真ですので復元の画像処理をして見やすくし、大きくした写真をこれに並べていただけたら、さらに深く内容に興味を持っていただけるのではないかと思われます。今後に期待いたします。

 こういった古写真での長崎大学のデジタルアーカイブ九州産業大学写真学科の良いお仕事を尊敬し感謝をいたしています。また会場の尼崎市総合文化センターは創立から写真に理解が深く、この度の企画もマイナーな対象者であるにもかかわらず開催されたことは大変意義深いことで、続けていただきたい姿勢です。(2007.5.26)


撮影:今駒清則

 京都の金剛定期能の撮影に烏丸今出川から南へ京都御苑(御所)に沿って歩く。早くに着いた時は途中の乾御門から入り、広々とした空など眺めて時間待ちをすることもある。烏丸通りの石垣にはムラサキカタバミの花が咲いていた。我が家にもどこからか飛んできたのをそのまま鉢植えにしているので同じように可愛い花が咲いている。野にあればむざむざと踏んでしまうのだが、鉢植えともなると水もやり、枯れた葉を摘んでやる。だから一人前の顔をしてベランダを彩っている。夜には葉を閉じて寝ているのが可愛い。鉢土を食べ尽くすほど根を張るので時々間引きしないと手に負えないぐらい増える。雑草の根性である。

 こちらのカタバミは由緒あるところに住みついている。公家衆屋敷が立ち並んでいた烏丸小路(烏丸通り)は禁門の変では薩長の攻防で銃火を交えたところ。その後の遷都で公家衆も東京へ移ると、京都府は荒廃した公家衆屋敷などを撤去し石垣で区画して整備、京都御苑として1883(明治16)年に完成したもので、これはその石垣である。その頃もこうやって可愛い花を咲かせていたのだろうか。

 その公家衆屋敷跡に近年移転してきた金剛能楽堂の今回の定期能は中堅の舞台だったが、なかなかしっかりした良い能になってきた。先行きを少々心配していたのが本音だが、少し安心する。

 今日の「能楽タイムズ」で、以前に銕仙会の事務局長をされておられた荻原達子さんが事故で5月2日に亡くなられた記事があった。痛ましい。連休前後は写真展などで忙しくしていてニュースには接していなかったので今になって知り驚いた。前から電話やお手紙などでは存じ上げていたのだが、昨年7月に法政大学で初めてお会いし、ご挨拶を交わしたところだったのだが。 ご冥福をお祈りします。(2007.5.28)


展示会場に向う 撮影:今駒清則

 昨日29日は兵庫県立美術館「絶筆」をテーマにした展覧会のオープニング。日本の洋画、日本画などの絵画展ですが非常にドラマチックな内容で、午前中フルに鑑賞したのですが見きれず、再度行かねばならない展覧会でした。

 コンセプトは画家たちの絶筆作品ですが、それだけでなく最晩年の作品も対象にしています。人生の終焉を迎えて描いた作品、描きかけで残された作品。予期せず突然断ち切られた画業など、さまざまな作品群には画家たちの人生が凝縮されて代表作とはまるで違う感慨がありました。

 最初に展示されている青木繁の絶筆「朝日」は、うす赤い波と雲にぼんやりとした太陽がわずかな光芒を放って昇り始めるおだやかで素朴な作品ですが、没落し肺を病んで死の直前に描いたこの絵は、太陽の部分だけがヒビ割れていて何度も何度も手を入れたことがうかがえます。ほのかだが輝き昇らんとする太陽はまさに作家自身であり、最後まで踏ん張ろうとする青木の姿がこの執着した描写から見えてきます。

 思いがけず阪神大震災で亡くなった津高和一先生、大学で親しくさせていただきましたが、豪放な作品は突然の断絶により今も輝き続けています。鍋井克之先生には少しだけでしたがデッサンを見ていただきました。絶筆「静物」は一目で鍋井とわかる鮮やかで力強い絵で、今もその強い生命力を伝える80歳の作品、などなど。

 明日31日より学会などで数日東京滞在。東京の写真月間が楽しみです。(2007.5.30)


4月 07年5月 6月