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近況 2007年6月 今駒清則


表彰式の永坂嘉光さん 撮影:今駒清則

 5月31日は学会会議への途中、東京都写真美術館の「第32回2007 JPS展」、「『昭和』写真の1945-1989 第1部 オキュパイド・ジャパン(昭和20年代)」、「大地への想い 水越武写真展」を鑑賞。写真月間なので良い写真展が目白押だ。

 6月1日は六本木にできた東京ミッドタウンフジフイルム スクエアで「ヤン・アルテュス=ベルトラン写真展 -空から見た地球-」、「立木義浩・EVES-イヴたち」、「春日昌昭・東京の肖像」などを見る。1月に近くの国立新美術館の開館に来た時は東京ミッドタウンはまだ工事中だったのだが完成し、フジフィルム関係もここに移って写真ギャラリーや写真創成期をテーマにしたミニ博物館などを通りに面して開設していただいている。写真産業界の大変革に面しているこの時、写真文化に対するフジフイルムの取り組みはなお強化されているようでとてもうれしいことです。その後、フジフォトサロン銀座の「日本写真協会受賞作品展」へ、受賞者の津田洋甫さん、永坂嘉光さんにお会いする。その後銀座ニコンサロンの「Manipur」、キヤノンギャラリー銀座の「Indian in colour and vibrancy-インド輝き・彩り」を見る。この頃はこの近況も展覧会ばかりですね。

 三田へ移動して日本写真協会の講演と授賞式に参加。国際賞受賞のイギリスのテリー・ベネットさんの古写真研究の講演の後、授賞式。関西からは功労賞の津田さん、作家賞の永坂さん、それと文化振興賞の京都写真クラブが受賞。懇親会も出て久しぶりにお会いする東京の写真家と懇談。明日は楽劇学会の大会に参加して帰阪の予定です。(2007.6.1)


左・フジフィルム/右・ミッドタウン・タワー

撮影:今駒清則

 6月1日東京ミッドタウン。お昼になるとこのビルからあきれ返るほどのサラリーマンが水が湧き出るように出てきて、六本木界隈(かなり住宅の多い街ですが)の食堂へ吸い込まれていきます。反対に外から来た見物客?はミッドタウンに沢山あるレストランやショップに吸い込まれていきます。

 例によってちょっとこの地の歴史を探ってみると、丁度ミッドタウンのホームページに簡潔なのがありました。
  「ミッドタウン ヒストリー」から抜粋
「かつてここは江戸時代、萩藩・毛利家下屋敷でした。明治時代に陸軍駐屯地となり、終戦後には米軍将校宿舎、その後は防衛庁の檜町庁舎として使われていました。この敷地内には、歴史を物語るものがいまも数多く残っています。毛利家下屋敷跡の石組溝の石は、現在は擁壁に。旧防衛庁に植えられていた約140本の木々は、東京ミッドタウンの緑地エリアへと、形を変えて受け継がれています。」

 時間が無かったので立ち寄りませんでしたが、サントリー美術館もここに来ました。興味深いのはデザインハブができたことです。折角だから写真の何かがあったら良かったのに、と思いましたが、それより我が大学はこういった展開は考えないのでしょうかね。

 2日楽劇学会国立能楽堂で研究発表と総会、講演・シンポジウムとまじめに勉強。帰りがけに東京駅で、今月開催する能楽写真家協会写真展について写真家の吉越研さんと太田宏昭さんと打ち合わせをして帰阪。

 3日は日曜日。留守中にできた用事と、東京の3日間に撮影した約300枚のデジタル写真の整理、それに能楽写真家協会の写真展に出品する作品をセレクト。70年万博の観世寿夫「善知鳥」の後シテ場面は既発表(早稲田大学演劇博物館に常設展示)なので、未発表の前シテ場面を選ぶ。さらに金剛流前宗家の定期能最後の舞台「羽衣」から良い写真を選んでスキャナでデータにする。

 4日、堀内カラーに写真データでラムダプリントを依頼。テストプリントではややシャドー部の濃度が高いので、プリント用データには少々トーンの調整が必要のようだ。帰って1965年前後に私が撮影した奈良のモノクロ風景をスキャナでデータにする。白毫寺下には大和棟民家が立ち並び、未舗装のぬかるんだ道を竹の束を担いで歩く姿が写っている写真に時間の流れをつくづく感じ見入る。(2007.6.4)


ブラシの木 撮影:今駒清則
 近くに奇妙な花をつける木があります。以前から気になってはいるのですが、駅の近くにあるので咲いていてもつい通り過ぎてしまいます。そういえばもうあの花もそろそろ終わってしまうのでは、とカメラを持って行ってみました。枝の先から5センチぐらい奥に円筒形になった真っ赤な花が咲いています。調べてみると「ブラシの木」と言うもので、「ボトルブッシュ」、「金宝樹」というそうですが、良く見ると全く想像もできない形の花でした。ほんとうに瓶を洗うと良さそうな形をしていて、花の先にはポチポチもあり、使いやすそう?です。
 そういえば煙突掃除に使ったブラシもこんなんだったなあ、とふと昔を思い出しました。
 子供の頃の家は、どこでもそうだったように薪をくべるかまどでした。暮れになると餅つきでかまどを盛大に燃やし、もち米を蒸す湯気がもうもうと台所に立ち込めました。横に置いた臼を父が杵でつき、母が器用にかえして、でき立ての熱々のお餅を砂糖醤油につけて食べた光景が真っ先に思い浮かびます。また時に母がお釜を使って着物を染めた後は色のついたご飯が食卓に並んだものでした。
 そのかまどは時々父が屋根に登って長い竹の柄の付いたブラシを煙突の中に入れてススを落としていました。そしてかまどの中には面白いほどのススが落ちてくるのでした。私が中学の時にか煙突掃除をしたことがありました。特に難しいことではないので根気よく煙突をこすりながら長い柄を下ろして行けば良いだけなのです。煙突掃除が終わると母が嬉しそうにごくろうさん、と声をかけてくれました。手を洗いながら何か初めて大人の仕事をした気分でした。その夜は何か覚えていないのですがおいしいご馳走が出たような気がします。この煙突掃除は1、2回だけの記憶なので自動炊飯器が入ってかまどが使われなくなった直前のことのようです。
 かまどで火をくべるにはまず紙に着火して枯れ松葉を焚き付けとして火を大きくし、枯れ木や薪を燃やします。松葉は近くの里山(とは当時言っていなかったのですが)に行って集めてきます。特に地主に断るでも無く、枯れて落ちた松葉や枯れ木を適当に掻き集めて竹籠に入れて持って帰ります。これには昔からある熊手がとても効率が良いのです。それは祖母か私の仕事でした。町中のサラリーマンの家庭でしたが別に嫌な仕事でもなく、当時の子供たちはこんなこともごく自然に家事を手伝っていたのです。そして人々がこういった枯れ葉を集めていたことが知らず知らずのうちに里山の環境維持に役立っていて、燃料をガスや電気に依存するようになると里山が藪化し常緑樹林化へと急速に進んで行ったのです。(2007.6.6)


撮影:今駒清則

写真をクリックすると拡大できます

 低気圧の襲来で空模様がどんどん変わってきます。空を撮影するにはもってこいの良い条件です。夜になって遠くで音がします。遠雷ですのでwebで場所を確かめて待ち受けます。夜半になってちょうど撮影に良い所へ雷雲が近づいてきました。まず望遠レンズで見当をつけてセットします。雷光の一般的な撮影は長時間露光をして雷光が写り込むのを待つのですが、昔から私の撮影は、シャッタースピードを1秒にして、空がほんのわずかに変化したと思った時にシャッターを切ります。これは空が明るい時の雷光でも対応できます。ほとんど「予感」に近いのですが、これは訓練されたカメラマンが持つ予測能力です。かなりの確率で雷光が撮影でき、フィルムの無駄がありません。このためには俊敏な反応能力と、タイムラグ(シャッターを押してから写るまでのわずかな時間)の極力少ないカメラが必要です。これにはNikon D2Xが最速のデジタルカメラで最適です。それをさらにミラーアップして待機します。これはミラーの跳ね上がるロスタイムを無くすためです。

 しかし今回は雲が厚く、まったく事前の変化がつかめません。雷光があってシャッターを切っても写らないのです。仕方ないので長時間露光にして偶然を待ち受ける方法にしましたが、デジタルカメラはフィルムと違って暗い所を良く写しますので、空が明るくなり過ぎてあまり長い長時間露光はできません。そこでインターバル設定(一定時間ごとに自動的にシャッターを切る設定)にしてカメラ任せにしました。カメラは10秒露光を繰り返しますが、シャッターが切れた後、長時間露光に対するノイズ処理などに約10秒が必要でその間はシャッターが切れません。つまり約10秒間の空白時間があるのです。これには参りました。その間に限って良い雷光があるのです。そこでもう1台を同じ様にセットして、2台でできるだけ空白時間を少なくして得たうち一枚がこの写真です。結果カメラ任せにした500カット位の写真にはあまり良いものがありませんでした。もちろん何も写っていないカットは消去します。残ったのは20カット位でした。これでは写した実感がありません。やはり今か、今かと息をつめてわずかな変化を待ちうけて撮った写真とは違います。ただし、でき上がった写真を見ていただく方にはその差はわかっていただけないところなのですが。ちょうど海釣りのフカセ釣りで魚の喰いをききながら釣り上げる愉しみと、投げ込んだままの置き釣りで上げてみたら釣れていたというのと似てますね。釣り上げられた魚だけ見れば同じなのですが。

 そのうちに雷雲が近づいてきて頭上で光るようになります。こうなると超広角レンズを使って見上げて狙うのですが、当然雨も降ってきます。雨あしが強くなるともうお手上げです。これをどうしたら撮影できるか、また危険回避は、とこれから考える課題です。(仕事でもないのにそこまでしなくても、と一方では思うのですが)

 雷光の撮影は被雷の危険が伴う場合があります。私は建物の中のベランダからですので大丈夫と思っていますが、中国・内蒙古の呼倫貝爾(フルンボイル、ホロンバイル)草原の撮影ではたびたび雷雲に巡り会いました。遠くで光っている場合は良いのですが、近づいてきたら撮影は止めて車の中に退避します。真っ平らな草原に車以外は私と三脚以外に高いものはありません。素晴らしい光景ですので本当は雷の風景を撮影したいのですが、命あっての物種、といいますので我慢ぜざるをえません。ついでに思い出したのは、宿泊していた海拉爾(ハイラル)のホテルへ真夜中に落雷したことがありました。ぐっすりと寝込んでいたのですが、あまりの明るさに目が覚めてベランダの方を見るともう目も眩む雷光の連発。早速カメラを持ってガラス越しにでも、と思いましたが、いつまでも続く雷光のそのすさまじさに窓側へはついに近寄れず、部屋の奥で見続けるしかありませんでした。あれほどの明るさというのは未だに他に体験したことがありません。(2007.6.9)


ブラシの花? 撮影:今駒清則

 先日ブラシの木を見ましたが、今度はブラシの花?です。あまり見かけませんが、名前はカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)で葉が柏みたいなので名付けた様です。この花のかたちは他の花にもありますが、花弁はアジサイそのものです。

 12日なんばパークスのパークスホールで開催の大阪芸術大学グループ「美の冒険者たち」として、なんばパークスアートプログラム2、写真学科展覧会「交感するフォトグラフィー」(17日まで)というちょっと大仰なタイトルの写真展初日に行ってきました。卒業生の大村克巳、所幸則と、在学生の対比というものです。いずれも良い仕事をしています。所はデジタルとCGの融合ファンタジー、所ワールドです。大村は実にしっかりしたメッセージを発する作品ですが、複数枚構成になると口籠ってしまいます。一部の写真評論家の嗜好が現代写真に悪弊をもたらした影響でしょう。学生はかなり頑張っています。多分写真大学の中では最もレベルが高いのではないでしょうか。会場詰めの学生もいつもとは違いスーツなど着てシャンとしていたのは好感が持てます。会場は延々とショップの間を歩かされてやっとたどり着いたという場所でしたが、会場が悪いという訳でなく、私が用事もないショップを歩くということが嫌いなだけです。

 能楽写真家協会の能楽写真展に出品のプリントを堀内カラーで受け取る。1970年に撮影した万博鉄鋼館ホールでの能・観世寿夫「善知鳥」は、カラーフィルムがすでに褪色していましたのでデジタルで修復し、ラムダプリントしたものです。もう一枚の金剛巌「羽衣」もデータ通りで良いプリントでした。データさえしっかり作っておけば印刷やプリントでも思い通りに仕上がるのでお互いに良い仕事ができます。この作品は展覧会終了後に早稲田大学演劇博物館でオリジナルプリントとして収蔵されます。

 デジタルデータがどんどん増えているので、ヨドバシカメラに立ち寄ってまたまたハードディスクを購入。4月に3個購入しているのにもう足りません。ストレージをこの先どうするか、真剣に考えないといけません。(2007.6.13)


金剛山麓の煙雲 撮影:今駒清則

 ここ数日梅雨らしい日でしたが、今朝は真っ青な空に長−い筋雲が広がって爽快です。予報では真夏日になるとか。写真は昨日の金剛山麓(大阪側)で、雨から晴れに向う時に立ち昇る煙雲です。

 ここ数日所用が多く何かと用事が滞っています。今日は午後からJPS関西の会議で関西の写真家が集まり、またJPS新入会員の紹介、歓迎会もあります。JPS関西は東京しか視野になかったJPSの運営に対して、1975年頃に関西のJPS会員が集まっていろいろな運営を自主的に始めました。親睦会や有志写真展から始まり、理事を送り(私も務めましたが)、JPS展(京都市美術館)の運営、メンバーズ展、先ほどの「関西写真家たちの軌跡100年」写真展の開催などこの30年間にさまざまな活動をして関西のJPS運営を支えてきました。現在では多少なりとJPSの視野も広がってきたようですが、それでも東京中心の運営は今だ根強く、制度的に見ても少しも進展していません。真にもどかしいことです。 これはJPSだけのことでなく、日本の構造そのものがそうなってしまっている事からきています。しかし旧套を漫然と続けて立ち行かなくなった行政が、地方分権などの改革をせざるを得なくなってきた事を範として、JPSも全国組織なのですから東京以外で活躍している会員の声も我が身の事として聴き、これにに応えられるような改革をしてほしいものだと常々思っています。(2007.6.16)


二つの太陽 撮影:今駒清則

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 16日、JPS関西の会議後の懇親会は例によって失礼して帰宅、仕事にかかろうとしたら、夕方の西の空にまた「幻日」が現れました。太陽から離れた横の雲に、太陽のように明るい光と虹色が出るのが「幻日」です。今回は以前よりはっきりしていて明るく。広角と望遠ととりまぜていろいろと撮影。すぐに消えてしまう場合が多いので多少あわてながら、とにかく沢山写します。良く見ると「幻日」だけでなく太陽を中心にした環状の虹も薄く見えています。「幻日環」と呼ばれている現象です。今日は薄いすじ雲がムラになっていますが一面にあるため、消える事無く長く続いいます。太陽の右にも「幻日」が出れば三つの太陽になるために期待していたのですが、ついにはっきりしたものにはならず、虹色だけで止まりました。

 さらに「幻日環」の天頂部分にも期待したのですが、わずかに他より明るい部分ができただけでしたが、それでも部分的ですが逆さまの円弧を持った虹色も出てきました。「環天頂アーク=天頂環」というものです。これらは普通の虹の現象ではなく、雲の氷晶に太陽光が反射したり屈折するために起きる現象で、日没まで続きました。その日没も真っ赤な夕焼けとなって、ついに暗くなるまで空のドラマを見続けたことでした。

 17日は日曜日、久しぶりに急かれるものがないので、書きかけの原稿に手を入れながらデジタル写真の処理、それに気になっていた地域の現代地図と明治地図、地質図、衛星写真をレイヤーで重ねて何かを発見する愉しみを交互にしていました。ほんの小さな事ですが、何気なく通り過ぎていた所に興味深い発見があり、webで検索、調べてみるとすでに歴史研究の報告があります。当然のことですが、研究者の方たちはエライですね。でもその研究書を読んで知るのでなく、自分が現場や地図などから不思議な部分を発見し、自己流でも推測する事が愉しみで、次々と新しい謎も生まれてきます。推測が当たる場合もあり(これは嬉しいですね)、見当外れのこともあります。こうしたことが現場で直感的に歴史的なものを発見し、ツボをおさえた取材にもつながっているようです。(2007.6.17)


能楽写真家協会写真展会場風景


生駒山の朝景 撮影:今駒清則

 18日の週明けから一転して超多忙、この「近況」も手付かずでした。能楽写真家協会写真展は初めての写真展とあっていろいろな作業に明け暮れましたが22日に展示作業もほぼ完了。25日のオープンに漕ぎ着けました。私は25日の開館時間中は会場にいますのでどうぞお出かけ下さい。これだけ能楽を撮影した写真展はおそらく初めてだろうと思います。東西の能楽を対象に、型を重視する写真、情緒を求めた写真、演者の個性を現した写真、個性的な映像化を求めた写真など写真家によってさまざまな能へのアプローチが見られます。

 続いて26日からは岡崎・平安神宮前の京都市美術館では「JPS展」京都展も開催されます。その向かいの京都近代美術館では「舞台芸術の世界」「シビル・ハイネン:テキスタイル・アートの彼方へ」も開催されています。

 20日、梅雨の晴れ間の夕刻に、宵の明星の「三光」を見ました。能「姨捨」に「三光西へ行くことは」とあり、太陽、星、月と順に西へ沈んでいくことを西方浄土へと見ているのですが、昔を恋して舞い、捨てられて一人、月光のもとに佇む老女の終演場面が思い浮かびます。空の写真も撮影しましたが、ここに掲載しても金星が小さくて見えないのでしませんでした。

 23日、今朝は日の出前の生駒山が朝焼けで美しい雲が立ちました。ここ数日は生駒山山頂に太陽が昇るのでカメラを用意しているのですが、生憎の梅雨でなかなか見られません。しばらくは早起きが続きます。(2007.6.23)


撮影:今駒清則

 25日能楽写真家協会・能楽写真展の初日、立命館大学の写真展会場で多少の準備をするために早めに入り、京都の能楽写真家「金の星」渡辺真也さんと終日会場詰め。協会事務局を務める東京の能楽写真家・吉越研さんから打合せや状況確認などでしきりにeメールが入ってきます。同大学アート・リサーチセンターの赤間亮教授のお世話で会場も整い、月岡耕漁の木版能絵も展示されました。

 この月岡耕漁は私の親しい友人であった能画家・松野秀世のご尊父・奏風の師にあたります。やはり耕漁の絵から松野奏風の筆のタッチを少し感じましたが、あの奏風の柔らかさと鋭さのまじった味わいが私は大好きで、スケッチ文集の「私の能舞台」では能を見つめる奏風の視点はとても素晴らしく参考になります。ちなみに観世流謡本に挿入されている絵は奏風筆です。

 昼食に出た途中で蛾?蝶?を見つけました。とても美しい模様でしばらく眺めていました。帰ってから少し調べましたが名前はわかりませんでした。学術的には蛾も蝶も区別することはいらないようですが、これが何かご存知でしたらお教え下さい。

 26日朝も生駒山の日の出を待ち受けましたが、雲が厚く今朝も撮影ができませんでした。自宅から見える生駒山からの日の出はわずかな時期しかないので、晴れてくれるのを祈るしかありません。

 今日も能楽写真展会場へは午前中出かけ、午後は本日から開幕の京都市美術館のJPS展、夕刻からは大阪での会議に出る予定です。(2007.6.26)


納涼床 撮影:今駒清則

 26日、今日も早朝から京都の能楽写真家協会・能楽写真展会場へ向かいます。駅近くには近郊バスツアーの観光バスがよく停まっています。どこへいくのかな、とバスに掲げてあるツアー名を見ると「京都大原三千円」とありました。見直してもやはり「京都大原三千円」です。これは「京都大原三千院」なのでは、と思いましたが、この頃のバスツアーは激安が多いと聞きますので「三千円」なのかもしれないとも思うし、でもでもツアー名に旅行代金まで入れることは無いでしょうから、やはり「三千院」の打ち間違いでしょうね。あのバスは「三千円」のまま「三千院」に行ったのでしょうか。手書きなら書き間違いは少ないのですが、ワープロではつい手が走って間違えたままということもありますから、他山の石にしましょう。それにしても最近のNHK-TVは字幕の誤植が多く、よく訂正のアナウンスがあります。ここもなにかおかしいですね。

 能楽写真展の2日目、展示の仕様変更があり、お昼過ぎまで会員と写真展会場で作業。その後初日のJPS展を開催している京都市美術館へ。帰りにアオサギの飛んでいるのを見つけて四条大橋へ行ってみました。いつもは橋のたもとにある京阪か阪急の四条駅から乗るので、鴨川を見ることはなく、ほんの近くにあるのに橋に行くのは久しぶりなのです。アオサギは鴨川の水面すれすれを飛んで、四条大橋の下もそのまま通り抜けていきます。時々木や屋根に留まって休み、また川面を飛んでいきます。アオサギはこのあたりで身近にいる野鳥の中では最大ですので、飛んでいる姿は悠然としていてとても美しい鳥です。

 夏の風物誌、納涼床(ゆか)がみそそぎ川の上に架かっています。時間的にこれからという時ですのであちこちで準備をしている姿が見えます。みそそぎ川は人工河川で、かの高瀬川へ流れ込んでいます。一方で鴨川の右岸にも流れていて、そのうちに鴨川へ流れ込みます。みそそぎ川と鴨川の間の土手はもうしばらくするとカップルで一杯となります。これも鴨川の風物誌です。

 納涼床は今は店から河原側へ架けられていますが、中世から江戸時代位までは河原に床几を出して涼んだり、お店を出して四条河原は賑わっていたようです。その後河川改修などで中洲が無くなったりして今のようになりました。この鴨川は大都市を流れている川の中でも最も美しく、自然が豊かな川だろうと思います。

 27日、今朝も午前4時半頃から生駒山から昇る日の出を待ち受けましたが、生駒山も見えない霞んだ朝でまたも撮影できませんでした。日が高くなってからやっとぼんやりとした赤い太陽が見えただけです。今朝は晴れて好天のはずなのに、と思っていると早朝のNHK-TV報道で、昨今の霞は中国の煤煙のせいだと言っています。だとすればとんだトバッチリですね。(2007.6.27)


撮影:今駒清則

 28日、今日29日も朝4時半から生駒山から昇る日の出を待ちましたが、靄や曇っていて依然として撮影ができません。もうこのような状況で一週間程経っていますので、太陽の位置が南に移っていて、日の出があっても思うような構図の写真にはならないだろうと思われます。次の機会はまる一年先になります。写真の撮影とはこんなものです、ただただ根気強く待つのみです。一枚の写真を見ていただくのは一瞬ですが、撮影する側では一枚の写真には時間もかけ、いろいろな苦労があるのです。朝早く起きるので毎年見ているウインブルドン・テニスの試合中継は見られず、DVD録画です。

 明日は満月です。ある風景に対して月の昇る角度が丁度良く、しかも満月ですので夕刻にはカメラを用意して宵の月を待ち受けます。雲さえ無ければ多分大丈夫でしょう。これも以前から待っていた風景です。しかし一度逃すと、月は太陽と違って満ち欠けがあり、昇る角度が大きく動きますので次の日に、という訳にはいきません。

 今日も空梅雨で暑かったですね。低気圧が通って夕刻から少し雨が降りましたが、明日はまた晴れとか。蒸し暑い日が続きます。明日30日は入江泰吉記念奈良市写真美術館で永坂嘉光さんの写真展「聖なる山々〜高野山・吉野・大峯〜」のオープニングに出かけます。忙しかったので奈良へは5月の薪御能以来になります。(2007.6.29)


作品解説をされる永坂嘉光さん 撮影:今駒清則

 30日、生駒山の日の出はまたも雲が厚く撮影できませんでした。今日は奈良市の入江泰吉記念奈良市写真美術館で入江泰吉先生の石仏展と、永坂嘉光さんの「聖なる山々」特別展のオープニングに出席。高野山の僧侶による声明を聞かせていただきました。耳慣れた東大寺の声明とは違って、少し近代的な感じのした声明でした。

 入江先生が撮影した石仏がまとまって展示されるのは初めてで、その多くを撮影当時にカラーフィルムで入江先生に見せていただいていますので懐かしいものでした。その以前に「石仏ハイキング」と題した連載の取材のお手伝いをして、大和路を歩き回ったことも思い出してこれも感慨深いものでした。大和の石仏は何れも鎌倉期ごろから江戸期以前が多く、とても趣があります。

 永坂さんの「聖なる山々」は、長年の集積が爆発した素晴らしい写真展です。高野山を核に全国へ足を延ばして撮影した山々に人々が綿々と伝え続けてきた祈りの心を真正面から捉えて、それを重厚に表現しています。永坂さんの初期の作品から知っているだけに、眼前へ一堂に展開された今の彼の世界に圧倒されました。昨今受賞したり話題になってもてはやされているチョロスナ(チョロッとスナップした写真)の写真家たちに永坂さんの爪のアカでも煎じて飲ませたいものです。

 入江泰吉記念奈良市写真美術館は4月から組織変更があり、新任された清水館長へご挨拶。オープニングに参加された井岡初代館長と山中常務さんらとも懇談。帰りは例によって入江ご夫妻のお墓参り。墓前近くには早くもハギが咲き始めていました。境内のいつも日陰になっている江戸期以前の石仏に一瞬の斜光があたり輝いていたので早速撮影。背後から入江先生が、早く写せ、と言っていたようです。

 夕刻、宵の満月を待ちましたが生憎雲が厚く、これも撮影できず。夜半になって月が高く上ってから雲がきれ、黄金の満月が輝きました。

 明日、7月1日はJPS関西展の最終日です。講演会などの催しもあります。能楽写真家協会の能楽写真展京都展も開催中ですのでどうぞお出かけ下さい。(2007.6.30)


5月 07年6月 7月