このサイトにあるすべての写真と文には著作権や肖像権があります。無断転載をお断りします。   写真家 今駒清則のお知らせページ HOME

 近況 2007年7月


 1日、日曜日。早朝の日の出はやはり雲が厚く今日も撮影ができませんでした。午前中デスクワークをして京都の蹴上に向かいました。JPS展関西展の講演会と表彰式に出席するためです。京阪三条から東西線に乗るとすぐ蹴上で、明治の偉業、インクライン水力発電所のあるところです。その向こうはすぐ南禅寺。実に便利になりました。JPS展は東京展を見ていますので、今日はパスして直接会場の京都市国際交流会館ホールへ。JPS展受賞者の表彰式は熊切圭介副会長が上洛。受賞者の上位は関西のアマチュア写真家が占め、依然として関西の写真は優れていることを示しています。

受賞者の皆さん  撮影:今駒清則

 入賞写真は熊切副会長、井上博道会員、田中祥介会員が丁寧に講評。講演は熊切副会長の南の島の物語をスライドで素朴に自然生活する島の人々の暮らしをお話されました。その後私には珍しく懇親会に出席しましたが早めに切り上げて帰宅。雨模様ですので宵の月風景撮影はもとよりあきらめてのことです。


 2日、連日で対人疲れなのか、少しダウン気味。それでも朝4時半に起床して生駒山に昇る日の出を待機しましたが、今日も雲が厚く日の出は見えませんでした。その後デジタルワークで、新たに取り組むプロジェクトの計画を考えながらゆっくりした一日を過ごしました。宵の月も雲が厚くこれも撮影できず。少々ついていません。


  撮影:今駒清則

 3日、早朝は雨、梅雨時の雨はうれしいのですが、生駒山の日の出は天候が悪く、これで10日以上も撮影できませんでした。これは自然相手だから「しようがない」のですが、もう一つの「しようがない」にかかわる国家首脳たちの態度には、このところ憂いを抱かざるをえません。今日改心の表明もせず、ただただ選挙対策のために圧されて辞任した久間防衛相と国会議員たちのことです。

 朝日新聞は「久間防衛相(衆院長崎2区)は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米軍が日本に原爆を投下したことについて「-原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている-」と述べた。原爆投下を正当化する発言とも受け取られかねず、野党が久間氏の罷免を求める動きを見せるなど波紋が広がっている。」と報道しました。さらにその発言内容の詳細には「-米国を恨む気はないが、勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのかどうか、という思いは今でもしているが、国際情勢や戦後の占領を考えると、そういうことも選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと-」とあります。

 ついに「衣の下の鎧」がボロンと出てしまいました。広島、長崎の原爆投下の被爆地の怒りは当然ですが、それにもまして国家首脳たちが口先は戦争放棄、核廃絶を言うものの、いざとなれば核武装、核攻撃を容認する気持ちがあることを露呈したことにあります。昨秋に中川政調会長と麻生外務大臣が「日本が核兵器を保有するかどうかの議論があってもよい」という発言をしています。古くは安倍首相が官房副長官の時(2002年)に核容認発言をしています。非核三原則は国是のはずですが、昨今の海外派兵、その延長上に憲法9条の改憲論議があり、今回の久間防衛相の発言につながります。そして「誤解だ」などと言って逃げ切ろうとした態度からは、大臣でありながら平和憲法が念頭になかったことがわかります。さらに本当に反省を求めて辞職を迫ったのでなく、選挙運動に不利になるから、ということで圧力をかけた同僚議員たちのその意識の低さにあきれています。

 こういう核意識と、この程度の人たちの論議によって憲法9条の改憲をさせるわけにはいきません。未来を背負う子供たちへ今の平和をつないで行きたいと思っています。


撮影:今駒清則

 4日、4時半起床。雨模様で生駒山も見えないので今日も日の出撮影は無理。ベランダにあるコリウスの鉢の下に葉が落ちていたので片づけようとするとイモムシが乗っかっていいます。蛾の幼虫でしょうが、やっと見つけた、ということでちょっとホッとしました。というのはこのコリウス、ご存知のようにとても美しい葉で、日当たりの状況で葉の色と模様の発色が変わります。今は花も咲くのですが、花より葉の方が美しいので花は摘んでしまいます。紫蘇の仲間で多年草ですがとても寒さに弱く、晩秋の冷え込みで枯れてしまうので室内に入れて越冬させています。それでもう4年ほど経ちますので古木風?の立派な幹を持つ草なのですが、最近葉を食べられていて、時々大きな黒いフンが下に落ちているのでイモムシがいることは分かっているのですが、駆除しようと何度も何度も丹念に調べたのですが、保護色が上手なのか、どうしても見つけられませんでした。それが落ちていてくれたので助かったわけです。それにしてもどうして落ちたのでしょう。よく見ると葉の本を見ると痛んでいます。昨日の突風で葉が揺れて痛んだものでしょう。痛んでいるとは知らないで移ってきてムシャムシャと葉を食べているうちに、このマルマルと肥えた体重に耐えられず落葉したものと思えます。ちょっと教訓を感じたことでした。

コリウス  撮影:今駒清則


 5日、梅雨の晴れ間という予報で日の出を期待したのですが、やはり生駒山は雨雲に覆われていて、山の端から昇る日の出は望めません。しかし上空は雲がきれていて、わずかな間でしたが朝焼けと彩雲が見られました。今日は晴れてくれるようです。


 コリウスですが、この植物は見かけによらず強いところがあり、摘んだ枝を花瓶に挿しておけば1年位は成長してくれます。花瓶は室内で日光が当たりませんので鮮やかな色彩は発色しませんが、やさしい緑色の葉がなごませてくれます。花瓶に入れると写真のように根が伸びてきます。そうしたら鉢へ植えれば元気な1鉢のコリウスができます。鉢植えのコリウスでも枝はどんどん伸びて大株になりますので、剪定しないと大変なことになります。その剪定した枝を花瓶に挿します。熱心にすれば1年で50株も100株にもなります。

ガラス瓶に入れたコリウスの根  撮影:今駒清則

 強い植物といえば、中国・内蒙古のホロンバイル草原の夏取材の時、草原に生えていたニラの一種と思える美しい花を摘んで、取材の北京ジープの助手席(私の席)ウインドウにそのまま挿しておきました。3日目、萎れることもなくまだまだ元気で驚いたことがあります。花瓶も水もないのにです。


 5日、今日も「お水取り」のネガをデジタル・コンタクトでとり、1コマずつ点検する作業に明け暮れました。写真集「南無観」を編集する時にすでに2,500枚の候補作を選び出しているのですが、さらに違う視点から選び出そうというわけです。多分これから数年はかかることでしょう。


 6日AdobeのCS3発売で、web Edition Toureに行ってきました。早く言えば先端のwebアプリケーションの商品説明会です。webデザイナーには必須のアプリでしょうが、オペレーションを覚えるまでに次のバージョンや新商品が出るスピードで進んでいますので大変です。私はSimple is Bestがモットーですので今のところ使う気はありませんが勉強で行ってきました。盛況で20、30代がほとんど、私の年代は私以外は皆無のようでした。


 7日七夕でしたが薄雲で、夜半になってから雲がきれて星がわずかに見えました。これもホロンバイル草原では夜の空が壮絶でした。周囲には都市も人家もなく、まったくの月明かり、星明かりだけで、空の半分を覆う天の川はまさに真っ白な川の流れとなって、そこを音もなく流星がスー、スッと意外に頻繁に落ちていきます。現在2,600個飛んでいるという人工衛星は、一目2、3個が思ったより早く動いているのも見えます。そして星が地平から昇り、地平に消えていくのです。


 8日、日曜日。京都の立命館大学・アート・リサーチセンターでの能楽写真家協会の能楽写真展は最終日でした。能楽のお好きな方が再度ご来場下さり、ゆっくり鑑賞しておられました。初めて見る全国の能楽公演写真に感激されてご感想を下さいました。どうもありがとうございました。また同センターで日曜美術講座が開かれ、兵庫県立美術館学芸の河崎晃一さんの講演「印象とアンフォルメル」があり、写真展の受付を抜け出して聴講しました。堂本印象と具体美術協会の美術運動をお話され、終了後に能楽写真展会場へお越しくださいました。


 9日、午後から能楽写真家協会写真展の搬出で京都へ。関西会員総出の作業で1時間程で終了。立命館大学を出て鞍馬口紫明のレストランで打ち上げ会。東京から来られた事務局の吉越研会員を交えて展覧会の反省会も行う。


 10日、梅雨らしい雨で安心。梅雨時に降らないといろいろ問題が出るからです。ただし九州では被害が出るほどの降雨とかで、もっと平均的に降ってくれたら、と思う。台風もあるようで平穏を祈る。終日デジタル・コンタクトの作業をする。


  生駒山  撮影:今駒清則

 11日、少々疲れ気味で仕事の都合を変更してデスクワークにする。雨はパラパラと時々降る程度で、天候はまずまず。時々晴れるが、生駒山は低い雲がかかると山頂の送信アンテナが雲で見え隠れしている。


 12日、大学事務職に勤務しながらも他大学で博士号を取得した優秀な女性を懲戒解雇した大阪経済法科大学解雇事件の傍聴支援に大阪地裁へ出かけました。大学院の指導教員の証人尋問が行われ、法廷は大学の理不尽な仕打ちに怒る傍聴者で満員でした。最近の大学では教育行政の混乱に乗じた経営者の悪辣な事件が相次いでいて、「全国国公私立大学の事件情報」に詳しく報告がありますが、最高教育機関としては如何なものか、とつくづく思います。一般の企業と違って監査機構が名目だけで機能していないのと、契約制などで教職員の身分を不安定にさせてきたために、経営者はしたい放題になってきています。我が大学の経営者もその最先端?を走っているようで恥ずかしい限りです。

  大阪市役所前  撮影:今駒清則

 途中の中之島の大阪市役所では折しも参議院選挙の公示日で、動員されたと思われる宗教団体の皆さんが市役所の前庭を埋めていて、そこまで大きくしなくても良いのに、と思う拡声器の大音量で第一声をあげる候補者に、皆さんは旗を振り、黄色い声を上げていました。それを空からヘリで、下では取材陣が取巻いていましたが、実に異様な雰囲気で、これが選挙だって?何か違うのでは?、と早々に退散しました。しかし帰っても我が家は駅前にありますので、選挙中は早朝からのべつ騒音に近い拡声器に悩まされます。もっと違った選挙運動の方法ってないのでしょうかね。


 13日、終日「お水取り」フィルムのデジタル・コンタクト作業。以前に撮影したカットがネガで見ただけではわからないものが良く分かるようになり、かって選んだものと、今選ぶものが少し違っていることがあり、宝物が随分埋もれているようです。工業デザイナーで恩師の大槻一夫先生と久しぶりに懇談、大病の後とは見えない元気さでお過ごしでした。


 14日、台風4号の接近。いつも見ている高知大学の気象衛星写真で台風発生以前からその巨大さに注目していましたがついに台風4号となり、梅雨前線の雨雲を巻き込んでくると大変だな、と思っていましたがその通りとなりました。気圧も非常に低く、台風の目もはっきりしたまま接近しているので鉢植えなど周辺を整理して暴風に備え、終日「お水取り」のセレクトとデジタル処理。


撮影:今駒清則

 15日、日曜日台風直撃と思っていたら少し東にそれ、台風の目も形もぼけたけれど依然として気圧は低いので注意していましたが、関西はあっけなく通りすぎました。幾つかのホームページの更新をしながら、台風の雲を撮影してましたが、今回はあまりダイナミックな情景にはならず、夕焼けも期待していましたがこれも僅かの輝きを得ただけでした。西方で旋回する航空機の腹部が一瞬夕陽に映えたのが印象的でした。


 16日、海の日休日。朝に揺れがあり、新潟県柏崎市付近で震度6強の速報、阪神大震災並の地震で緊張する。NHK-TVヘリの中継レポーターが「屋根が歪んで瓦がズレています」とだけ言っている画面はなるほどその通りですが、それよりもそこは二階建ての一階が崩壊して押しつぶされた惨状になっているのに、それは分かっていないようです。その下には閉じこめられた人がいるかも知れないと思えば伝え方も変わってきます。また地割れの映像でもそれだけを延々とコメントを続けるのに、周辺が液状化していることは知らないようで一言もありません。こういったヘリ・レポートは阪神大震災以来相変わらず続いていて、一向に進歩せずもどかしい限りです。単に眺めた程度を伝えるだけでなく、レポーターももっと災害の勉強をして専門的に情報提供できるようにしていただきたいし、できれば災害の専門家も同乗して、速報で有効な災害情報提供の役割も持っていることですから、的確な情報を伝えてほしいと願っています。阪神大震災では各社とも火災現場が映像的にインパクトがあるためにそこばかり集中し、家屋倒壊など救出が急がれる状況や救援要請は一向に伝えられませんでした。そればかりか家屋の下敷きになって閉じこめられた人たちの救いを求めた声が、往来するヘリ騒音でかき消されて救出の妨げになり、報道各社の反省があったはずです。できれば航空測量写真のように、上空から災害の多少を問わず、被災地のすべてを順次撮影して広範な情報提供する報道があっても良かったのではと思います。ヘリ情報が早期の人命救出、救援に役立つことはわかっていますので、興味本位に近い報道でなく、阪神大震災の教訓をもっと活かすように再考するべきでしょう。

 夜半雷鳴と雷光で降雨。例によってカメラをセットしましたが雲が極端に低く、近くの中層ビルが雲にかかる位で雷光はぼんやりして良い写真にはなりませんでした。奈良方面で集中豪雨になっているようです。


 17日、昨日の地震は平成19年新潟県中越沖地震と名付けられましたが、やはり阪神大震災と同規模の地震でした。被災された皆様には心からお見舞いを申しあげます。震災は阪神間のような密集市街地ではなかったので被害が少ないように見えますが、個々の被災状況はまったく同じようです。ただ阪神大震災が都市防災に対して不備の状況下で起きたのに対して、この教訓を各自治体などがその後活かしたこともあって、被災者への早期対応は少しは良くなっているようです。しかしインフラの未整備や被災者個々の困窮さは同じことで、より手厚い支援をしていただきたいと思います。

 ただこういった大規模な災害がある度につくづく思うのですが、地震だけでいえば耐震基準を満たしていない建物に居住する方々の耐震化への無関心さと無防備さをです。自治体などは耐震化への呼びかけや助成制度をわりに熱心に行っています。それに対して市民の方が無関心でいることが多いのです。私は阪神大震災の災害状況を撮影して約1,500枚の写真をCD-ROM「阪神大震災記録写真集」として直後に発行しました。災害を我が身のものとして理解していただきたい思いからでした。その写真は防災に役立つようであれば無償で提供するようにしましたので、幾つかの自治体やボランティアに利用していただいています(例えば、啓蒙パンフレットpdfファイルで約7.8MB)。また災害状況などの報告や啓蒙などの講演も行ってきました。特に熱心なのは横浜市で、啓蒙活動とともに、「木造住宅耐震改修促進事業」は全国でも最も高額と思われる225万円の補助金(条件付き)を実施しています。他にもマンションへの耐震診断、耐震改修などもあります。東海、南海大地震も予測されていることですし、各自治体にこういった制度がありますので。切実な関心を寄せていただきたいと願っています。なお国土交通省は戸建住宅の耐震改修を具体的な方法(pdfファイルで約!.8MB)で示していますので参考にご覧下さい。

横浜市の補助制度広報  (pdf)  写真は今駒清則提供

 この阪神大震災の写真記録は、その後も復興状況を定点観測として続けていますので、そのうちにこのホームページなどで都市の再生として公開できるよう準備しています。


 18日、5月に兵庫県立美術館で開催された「関西写真家たちの軌跡100年」写真展の図録に掲載された中島徳博氏の論文「関西の写真」は、関西の写真史を今までになく詳細に解き明かしています。これをお願いしましてwebで公開していただくようになりましたので、同写真展ホームページで読めるようなりました。会議などがあってなかなか集中できない状況でしたが、それでも少しづつ作成作業を進めていますのでぜひご一読下さい。なお、web掲載は論文の前半だけですが読みごたえは充分あります。ただし論文後半は図録をお求めいただいてお読み下さい。まだ多少残部があります。

 中島徳博氏は現在、同写真展で講演された「関西の写真100年」の講演録を執筆中で、この図録の論文に続いてさらに詳細な関西の写真史に取り組んでおられます。発表が待たれることです。


 19日、久しぶりの快晴、ですがもっぱらデジタルワークです。セミがベランダでひっくり返っていますので掴みあげるとミーミーと鳴いて青空へ飛び立って行きました。


 20日、お水取りのデジタル・コンタクト作業。することは単純ですが、どんどん作業が進んで行くのは楽しいものです。暗室でコンタクトをしていたのとは大違い。デジタルの恩恵です。


 21日、ノドが痛く身体がだるいので風邪気味らしい。昨日から少々変だったのだが、大事をとって初期に休息する。多分冷房のせいでしょう。私は冷房に弱いので自宅ではほとんどつけることはないのですが、あちこちで強力な冷風に当たることも多いので、暑い日でもいつも上着持参です。数時間寝て、目が覚めたら少しデスクワーク、また休んで、というような一日。サッカー・アジア杯のオーストラリア戦は相変わらずチャンスなのにゴールできない技がもどかしい。PK戦で辛くも勝って就寝。


 22日、日曜日。まだ風邪気味だが今日は金剛定期能があるので京都に出かけます。電車は(私には)寒いくらいの冷房、祇園祭も終わり、梅雨時でもあるので阪急京都行き特急は乗客も少ない。混雑していると撮影機材が多いので移動が大変ですが、今日はゆうゆうと座れます。
 能「楊貴妃 玉簾」松野恭憲は、冥界にいる楊貴妃に玄宗皇帝の使いが会いに行った話。堂々たる体躯の楊貴妃は実際に近かったかも。仕舞「氷室」金剛永謹は最近とても良い。キレがあって形も良い。「大会(だいえ)」今井克紀は、天狗が釈迦に扮して説法をしたので帝釈天に怒られる話。天狗は「釈迦」の面の下に「釈迦下」の面もつける、この曲だけにある特殊な扮装。瞑想の中の童話といった曲。楽しい一日でした。帰ってTVのF-1ヨーロッパ録画中継も見ずにバッタリ就寝。


撮影:今駒清則

 23日、遅い目の起床。駅前の通りになにやらナワバリが、そのうちに参院選候補者の街宣車、それにSP(警護)が来る。そして某大臣の演説が始まったので聞いてみる。某党(野党)が強いと聞いたので応援に駆けつけた。我が党の閣僚の不祥事が続いているが、こちらの某候補とはなんの関係もない話です、よろしくというのが趣旨。10分ほどで終わってサッと帰っていきました。なんのコッチャ。その某候補も何の政策も訴えず挨拶だけで終り、名前だけを連呼して去っていきました。聴衆は関係者を除くと50人ほど。あと一週間で投票ですがどうも盛り上がっていません。そして後はいつもの駅前に戻りました。西日本は梅雨明けとか。こちらのカゼはあいかわらずで、今日も休みます。


 24日、久しぶりの快晴。梅雨も明けることでしょう。風邪の様子があまり改善されず、今日も休息。時々起きてデスクに向かいますが集中した仕事はできません。少々時間に追われているのはあるのですが、手がつけられませんので寝たり起きたりの一日でした。


 25日、あいかわらず風邪気味。一寸外へは出にくい状況なので今日も休みます。

 この「近況」で「デジタル・コンタクト」の仕事、と書きましたが、それは何か、というお問い合せがありました。コンタクトと言えばこの頃ではコンタクトレンズを思い浮かべるのが普通でしょうね。写真のコンタクトプリントは昔から「ベタ焼き」とか「密着」とか言っていた作業ですが、ネガを印画紙の上に置いて(密着して)光を当てて現像すると、ネガ原寸のポジプリントができます。小さいネガでは内容が判別し難いのですが、ポジになりますのでずっと見易くなります。引き伸ばしを前提とした小型フイルムが出現する前は、基本的にネガと原寸のプリントを作っていました。もちろん今でも大型フィルムで撮影して原寸のプリントで作品にしている作家がおられます。それは引き伸ばしプリントでは得られない階調の豊かさと、鮮鋭さがあるからなのです。

調整前

調整後

 デジタル・コンタクトはスキャナにネガを並べて透過モードでスキャンニングします。フイルム一本分のネガがポジの画像データになります(写真左)。これを一コマずつ明度、色彩、コントラストなど画像を好みに調整します(写真右)。以前暗室でしていた印画紙でのコンタクトでは、この一コマづつの調整が困難でしたが、デジタルでは実に容易に調整できます。さらに高解像度(高精細)でスキャンニングしておけば、このデータの一コマを取り出してweb用やプリントができます。またプリントをしなくてもディスプレーでデジタル・コンタクトから写真を選び、それを切り出してプレゼンテーションできます。さらに進められれば画像データベース、デジタルアーカイブになります。上の例ではあまり変化が無いように見えますが、右はそれぞれのコマを最適化してあります。ポジカラーフィルムは写真を選ぶのにコンタクトをする必要はありませんが、ネガカラーフィルムではコンタクトがあった方が便利です。昔に撮影していたネガなどでは撮影時の記憶も薄れていますので、ネガで見ていて気がつかなかった良い写真が見つかることもあって、手間のかかる作業ですが、意外に楽しい作業です。


 26日、体調も大分良くなってきたので仕事に出かけました。近畿地方も24日に梅雨明けしたとのこと。一日中暑い日差しの日でした。先月に雷の写真をメールで朝日新聞の「読者の新聞写真」に送っておいたのが掲載されたのか、謝礼に図書券を送っていただきました。帰宅後体調がまだ十分でないようでダウン。早くに休みました。


兵庫県立美術館ホールの天井に映写されたテープカット中継(携帯電話カメラで撮影)

撮影:今駒清則

 27日、朝から雲一つない青空、暑い夏の一日のようです。仕事を早く済ませて兵庫県立美術館「巨匠と出会う名画展」のオープニングに行きました。千葉県佐倉市の川村記念美術館収蔵作品の展覧です。大日本インキ化学工業株式会社(DIC)が運営している美術館ですが、この7月から来年3月までニューリアルのため休館するのでこちらで名品を展覧できたとのこと。レンブラント真筆の「広つば帽を被った男」を始め、モネ、ルノアール、マティス、ピカソなどなど日本人好みの画家が一通り揃っています。見どころはモダンアートの旗手たちを網羅した大型作品群です。1月に見た国立新美術館開館記念のべらぼうな数の作品展示に疲れ果てて懲りた経験からすれば、ほど良い数なので夏休みに家族連れで楽しめる展覧会です(10月8日まで開催)。

 同美術館の常設展・コレクション展が7月に入れ替えされ、これは見ごたえがあります。現代美術ですが、同館の特色である関西の作家たちが特に厚くコレクションされています。旧知の作家たちの作品とめぐりあって感慨が深いものでした。また森村泰昌の80年代の写真20数点のコレクションも良いものでした(11月18日まで開催)。なお、8月4日の「みなと神戸海上花火大会」の花火は、同館テラスからも良く見えるそうです。

 まだ少し違和感がありますが夏カゼはまず治ってきたようです。明日からは溜まった仕事にとりかかります。


空 四題

撮影:今駒清則

 28日、ぼんやりと曇った晴れ。暑い日ですが窓を開け放しておけばエアコンはいりません。終日デジタル・コンタクトとデジタルワーク。夕刻、太陽が煙った空に沈んで行きました。


 29日、日曜日。真夏日で外は暑そう。参院選挙の投票は夕刻に行くことにして終日デスクワーク。夜、開票速報に注目。民主党の一人勝ちで自民政権党の大敗という国民の選択。年金問題、憲法改正問題、増税、それに強行採決の連続という国民を見ない独善的政策にノーを表明した形で納得。ただし民主党と言えど自民党民主派のようなもの。それでも少しは変わってくれることを期待。


撮影:今駒清則

 30日、未明に雷鳴、寝ぼけ眼でカメラをセットする。一瞬豪雨でカメラが濡れてしまう。頭上で盛んに光るけれど撮影は難しい。少しだけ写せたが余り収穫なし。

撮影:今駒清則

 昼前に日本飛行船のツエッペリンNTニューテクノロジー号が上空に飛来、今度は FLY WITH ME! のロゴ入りで、岸和田、堺、尼ヶ崎、北摂、東大阪、岸和田とローカルフライト。関西空港第2滑走路オープン記念に参加で来たようです。航空運送事業許可を取得したので遊覧飛行も計画中とか。そのうちにNHK特集で放映があるようです。

 選挙後、安倍首相が続投を表明、国民の意思を汲めない体質にほとほと呆れる。長年の政権の座にいることでマヒしているらしい。総選挙を期待。それに7月3日にこの「近況」で久間防衛相の「しょうがない」発言で、国を動かす人たちの意識に核容認が潜んでいることを書きましたが、今日、田上長崎市長が原爆忌の平和祈念式典で読む予定の平和宣言の骨子を発表。朝日新聞によれば「田上市長は『核兵器廃絶への考え方が揺らいでいる日本政府に対し、被爆国としての自覚を促す必要がある』と話した。」と同様に危惧を表明しています。

撮影:今駒清則

 今日は鰻の厄日でした。それに急激に南下した冷気のせいで荒れ模様の朝でしたが、おかげで割に涼しいのと、大気が撹拌されて空気が澄み、綺麗な満月の夜になりました。



撮影:今駒清則

 31日、今日も快晴、まだ涼しさが残っていて快適なお天気です。以前から興味を持っていて調べていた大阪府堺市の歴史で、興味深い事象の多い堺湊と戎島について少しずつ撮影を始めています。今日は堺旧港燈台が解体修理されて完成しましたので出かけました。堺旧港の先端にあり、今は阪神高速道路湾岸線の下になって少し風情に欠けるようになったのですが、それでも美しい姿で海に臨んでいます。この8月は夕刻から燈りの模擬的な点灯とライトアップがされているようですので、また出かけてみます。なおこの高速道路ができる以前にも撮影をしていますが、その写真もすでに歴史的写真になってしまったわけです。この燈台の南側に広がる大浜公園では今夜「大魚夜市」が開催されるのですでに人出が多くなっていました。

 この燈台は1877(明治10)年に建てられ、木造様式燈台では最古級のもので史跡に指定されています。土台の石積は備前出身の石工、建物は堺の大工、燈台機器はフランスから、設置技師はイギリス人と当時の世相が反映されています。旧港周辺の埋め立てにより1968(昭和43)年にその役目を終えて燈りを消しました。近年老朽化したので解体し、ほぼ創建当初の姿に復元したものです。創建時は最下層の板壁がなく柱だけでしたが、後に壁面を付けたため、その当時の姿にしています。また最上部の投光部分が戦後に円筒形に換えられていたのをこれも創建時の八角形に戻しています。また後世に土台をコンクリートで固めていたのも取り払って石積みに復しています。
 堺は戎島の東側を港にしていましたが、1704
(宝永元)年に大和川がつけ替えられて堺のすぐ北側へ流れ込むようになると、堺沿岸はこの新大和川の土砂で徐々に埋もれて旧来の港が使用できなくなりました。そこで付け替えから約100年後に戎島の西側、現在の地を人工的に開鑿し、徐々に港として整備し、この燈台が建てられたものです。現在は多少の小型貨物船が出入りするだけの内港となり、親水地域として整備されています。


6月 07年07月 8月