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近況 2008年5月


「ひととき」5月号

5月1日、立春からはや八十八夜、もうすぐ立夏です。今年の春はあっというまに過ぎようとしています。5月の中旬は奈良・興福寺の「薪御能」があります。全国で「○○薪能」と言う名称で行われている元祖のように言われていますがそれは誤りで、「薪御能」は神佛への行事として行われていたもので、「○○薪能」は薪や篝を出す演出で雰囲気を出した野外能というものですから、名称はよく似ているのですが意味合いは別なものです。これは私の web Gallery の「能楽」メニューから「大地の能」をご参照下さい。また新幹線・グリーン車に搭載している雑誌「ひととき」5月号にこの「薪御能」のことを詳しく掲載しています。「薪御能讃嘆」として徳江元正先生が文、写真が私です。5月の新幹線グリーン車に乗車すれば無料でお持ち帰りいただけますが一般書店では販売していません。ただし通販または一部のキオスクにはあるようですので「ひととき」ホームページでご確認下さい。


ラクウショウ(落羽松)  撮影:今駒清則

2日、近郊の山肌が萌えています。斑模様なのでかえって新緑が際立ちます。

 ある高級料亭の醜聞がまたマスコミを賑わしています。今は亡きその創業者をあることから少し存じ上げていますが、独創的で行き届いた料理だけでなく、お客様のために細心の気配りをされ、高潔な人柄で日本文化を周知した高い審美眼を備えておられました。それで料理界初の文化功労者となり、第一級の料亭にされたのも当然でした。そこで修業され暖簾分けされた方も存じていますが、今も創業者の精神を見習い堅持しておられます。その創業者が亡くなられてはや10年あまり、テレビが料亭の不行跡を伝えて創業者の面ざしにあまりにもそっくりな女性社長が映るたびに、あってはならないことをさぞ泉下で嘆いておられるのではないかと私までもが心傷むのです。


大空に白鳥?が 5月3日  撮影:今駒清則

3日祝日。 今日は憲法記念日です。平和に対する日本人の願いは第9条に代表されています。多くの血を流した歴史から生まれた重い背景があります。それを忘れて改憲すべきではありません。世界に唯一、日本が誇れる平和憲法です。第9条を守りましょう。

 昨年と同文再掲です。支離滅裂な感じがする政局に改憲論議はやや弱まったかに思えます。しかし改憲の動きはまったく無くなったのでなく、またなし崩しに無効化する動きの方が怖いのです。


低気圧の雲 5月2日  撮影:今駒清則

4日、祝日。連休で人出も多いだろうと今日はお休みにするつもりが、つい溜まった写真のデジタル処理に手をつけたら終日それで過ごしました。パソコンのディスプレーから目を休めるために時々遠くを眺めて、ついでに空の写真を撮るのですが、今日のように雲一つ無い青空やベタ曇りでは撮るべき雲が無くお手上げです。そこで写真は2日の低気圧の雲。夕方は夕焼け雲がきれいでした。それで空の写真の整理をするためにwebなどで雲の勉強を始めたら衝撃的な雲の写真に出会って唖然としています。アメリカの写真家・Jorn Olsen 氏のホームページMammatus Clouds が掲載されていました。まずはご覧下さい。 Mammatus Clouds はヤギなどの乳房に似ているので、日本では「乳房雲」と呼んでいます。雲の底は大体平らなのですが、気象条件によって深い凹凸ができる時、この雲になることがあるようです。日本ではこれほど見事な雲はできないようですが、大きく浅いものはよく現われて私も時々撮影しています。私は天文・気象の分野で撮影をしているのでなく、美術的な素材として雲を撮影していますので、どんな雲でも形や色などが心象的な何かを表現できれば良いのですが、それにしてもこの Nebraska 州の Heartwell 公園に住む写真家の作品には圧倒されます。これを古代人が見たとき、日蝕や月蝕と同じように大いに恐れを感じたのではないでしょうか。ちなみにアメリカでは Mammatus Clouds が現われた後は Tornado が襲う、といわれているようで、不安定な気象状態を示しているのですから、現代人にとっても恐れてよいものなのでしょう。


乳房雲 5月5日  撮影:今駒清則

5日、祝日。本日は休息日。お天気は悪く大雨こそ降らないものの時々強風で不安定な天候。昨日書いたとたん、早速乳房雲が現われました。


アトラクション  撮影:今駒清則

6日、休日。連休の最終日、相変わらず日中も人出が多いようです。青空の晴天。全く外出していないので撮影散歩に。今日のショッピングセンターのアトラクションは女の子向け、「Yes!スリキュア○○○」というものらしいのですが、先の男の子向けの「仮面ライダー○○」よりも人気のようで多くの観客。可愛い女の子が踊るのですが、そのうちにこれも格闘が始まってご覧の通り。いやな時代になりました。

こいのぼり  撮影:今駒清則

 陽気に誘われてカメラ片手にさらに散歩。今年のこいのぼりを撮影していなかったので川縁へ。時に本当に水中で泳いでいるように見えます。その後ボラが水中から飛び上がるのを見かけてカメラを向けます。

ボラのジャンプ  撮影:今駒清則

 どこから飛び出てくるかはわからないので撮影が難しいのですが、続けて2回ジャンプするボラがいるので、最初に飛び上がって着水した所からその先に見当をつけて待ちかまえていると時々は成功します。ただ一度しか飛ばないボラが多いので空振りする方が多いのですが。これは写真撮影の基本トレーニングに最適です。

ツエッペリンNT号  撮影:今駒清則

 いつもの飛行船・ツエッペリンNT号が何度も上空を往来します。一日5、6回のフライトのようですが明日の7日が関西周遊の最終日です。


ムラサキカタバミ  撮影:今駒清則

7日、どこから飛んできてベランダの鉢に芽吹いたムラサキカタバミを改めて鉢植えにしています。いま花が咲き始め、これから花の茎が伸びて一面の花盛のようになります。朝夕は葉も花も閉じていますが日中はかわいい花を開いて楽しませてくれます。野草だけに手がかからないのもうれしいですね。

 夕刻から大阪。西うめだに新装で移転したニコンプラザ大阪の祝賀会にでかけました。ヒルトンホテルの西にあるヒルトンプラザ・ウエスト・オフイスタワー13階です。1階にはエルメス、コールハーン、フェラガモ、シャネル、ルイ・ヴィトン、ロエペなどの店舗があり、また地下にもブランド店がずらりと並ぶヒルトンプラザの上階になります。ここにある大阪ニコンサロンの写真展は「木村伊兵衛のパリ」で50年ほど前のカラー写真です。日本写真家協会の田沼武能会長の手によって選ばれプリントされたもので、当時外式カラーフィルムを使っていたので比較的色彩も温存されており、デジタル処理で褪色補正をして新しくプリントされた作品であることを田沼会長から会場でお聞きしました。ニコンはこの13階のワンフロアを使っていますのでサービスセンターやショールームもここにあります。


9日、ここ数日あるプロジェクトのために多忙を極めています。忙しい時ほど他のことがしたくなって、あれこれ余分なことに手を着けるという変なクセがあります。ストックされた写真を探したり整理していると、かって旅客機やチャーターヘリからいろいろ撮影した航空写真が沢山ありました。ヘリからの仕事用の写真はさておいて、これは前にも書きましたが、私は列車や飛行機に乗るとその窓から撮影するのが好きなのですが、旅客機からの写真は仕事に使えるほどの精度はありませんから、これこそ趣味の領域です。これを以前からホームページで展開しようと思っていたのですが、ついつい日常に追われて後回しになっていました。これを機会にこれから準備して高度1万mからの風景をいずれ掲載したいと思っています。ただ旅客機での移動は1985年の日航機事故以来、止むを得ない時以外は極力敬遠していますので最近の写真はあまりありません。しかし30年以前の風景が記録されているのですから、これもアーカイブしておくことは意味のあることになるのかもしれません。

何処でしょう? 1

山口県周南市 1980年10月  撮影:今駒清則

 上の写真は1980年に大阪・伊丹空港から福岡空港への途中、山口県周南市にある菅野ダム付近衛星写真地図を撮影したものです。菅野ダムは錦川水系にある多目的ダムで、ダム建設で菅野という集落が水没することになったのでその名をダムに残したそうです。このダムの下(南)に緑が虫食いのようになっているのは1975年頃から開発を始めたゴルフ場です。ここだけでなく中国地方の山は信じられないほど数多くのゴルフ場によって侵食されています。こういった航空写真は、いまは Google EarthGoogle Map で衛星から撮影した写真と地図を手軽に見られますので、これを撮影した時とは隔世の感があります。


興福寺南大門跡の薪御能  撮影:今駒清則

11日、日曜日。まだ仕事が詰まっていてなかなかこの更新ができません。しかし今日は例年のように奈良の「薪御能」の取材行き。午前は春日大社・舞殿で「咒師走りの儀」の「翁」、夕刻から興福寺南大門跡の般若の芝で「竹生島」「柿山伏」「熊坂」の能狂言三番。朝は雨模様でしたが幸い上り、低い雲でしたがその後雨が降ることもなく無事催行されなによりでした。ただ気温が低く夕刻からは冬並の寒さで、途中休憩の時に観客の皆さんが舞台前の薪に暖をとりに集まってこられたのはここを何十年も取材していますが初めてのことです。それほどの寒さですが多くの観客が静かに「薪御能」の雰囲気を楽しまれていました。明日も二日目の能が演じられますので出かける予定です。


12日、今日も奈良の「薪御能」撮影でした。

 午後に中国・四川省で大地震があり、多くの被害者が出ているとの報道がありました。また先日のミャンマーのサイクロン災害も桁違いの被害者がでているようで、天災が続き心傷む日々です。いち早い救出や援助を願うと共に衷心からお見舞いを申しあげます。


13日、中国・四川省の大地震は最大規模の地震のようで、時間が経過するとともに大きな被害状況が明らかになってきて膨大な被害者になっています。1976年の中国・唐山地震ではM7.8の直下型地震で242,419人の犠牲者があったと報告されています(文化大革命の時なので正確な人数は不明で、一部には50万人を超えるともいわれています)が、どうか一人でも多く救出されることを心から願っています。

 1980年に唐山市から約100Km離れた天津市を訪れた時でも、まだ唐山地震の被害が残っていて天津の市民が路上生活をしていました。その震源地の唐山市は壊滅的に崩壊しましたが、現在は完全に復興して日本の大手企業も進出する工業都市になっている、とその大手企業の友人から聞きました。しかし唐山地震の被害と政府の対応の実際は明らかにされていませんが、以前に購入した張慶洲著「唐山警世録」(2006年1月、上海人民出版社刋。中文)にはその内情がレポートされており、地震の16日前に専門家が地震予知をするように警告し、北京地震局も4日前には地震が起きそうなことは分っていたにもかかわらず政府は無視し、大地震が起きてもその被害を公表せず、しかも世界からの援助を断ったとあります。1979年になってやっと「人民日報」が公式に24万人を超える死者と発表、隠匿した理由は人民の不安による政府の政情不安定を懸念したからであるとしています。この本は中国共産党から発行禁止の処分を受けているようですが日本では購入可能です。日本でも1945年の戦時中に起きた三河大地震も当時の政府、軍から同様に情報管制されて被害状況は今でもよく分っていませんし、つい先ほどのミャンマーのサイクロン災害でもミャンマー軍政府の対応はどうもこれらと同様であり、軍国政権のすることは歴史的にみても共通の施策をとるようです。それでこれによって被害をさらに増して受けるのは一般の市民にほかならないのであり、このことからも決して軍事政権を許してはなりません。中国もミャンマーも情報を公開し、世界からの支援を速やかに受け入れてほしいものと思います。

ミャンマーのサイクロン災害への救援金(日本赤十字社)

中国・四川省大地震災害への救援金(日本赤十字社)


2008.5.14 1時51分の雷光  撮影:今駒清則


14日、夜中に撮影した上の写真を e-mail で朝日新聞社にお送りしましたら、今日14日の夕刊12面に「未明の空 稲妻光る」として大きく掲載されています。さすがに簡明なタイトルを付けるものですね。 (web朝日新聞の asahi.com にも掲載されています)

 ついでに他の写真をもう一枚。

2005.5.14 0時56分〜2時15分の間の落雷
撮影:今駒清則

 カメラを固定して1時間余り撮影したものです。雨雲の間から明石海峡付近にしきりに落雷していますし、空には横にも稲妻が走っています。最近では珍しいほど稲光が多かったのと、撮影していた所にはあまり雨が降り込まなかったので撮影は容易でした。もちろんカメラにはレインカバーは被せてあります。ちなみに雨降りの時の緊急便利グッズをご紹介します。ホテルに置いてあるシャワーキャップ、ゴムがついているのでワンタッチでカメラに被せることができます。カメラバッグに入れておいても邪魔になりませんし実用性は十分です。かって天神祭船渡御の撮影でビルの屋上に6x7カメラを三脚にセットして待ち受けていると急に凄い夕立、シャワーキャップをカメラに被せてバッグだけ持って室内に退避しましたが、30分後に雨が上がったのでカメラに戻って確認するとまったく問題はありませんでした。


15日、中国・四川省の大地震は日を追って大きな被害が明らかになってきました。今日、生存率が激変する72時間は過ぎました。報道では救出の様子を伝えています。しかし伝えられないことの方がはるかに多いのですから、今まだ埋もれて救出を待つ人々やその家族のことを考えると居ても立ってもおれませんが残念なことに何事もできません。多くの救命を祈るばかりです。この思いでここに掲載するのんびりとした写真は(時事的なものでない限り)数日は休載したいと思います。

 今日中国はやっと日本だけの国際緊急援助隊を受け入れるとのことになりました。しかし判断が遅いのです。一刻も早い時期が救援には効果的なのですが、前にも書きましたように中国の体制から外国人排除は判っていたことで歯がゆい限りです。もっとも阪神大震災の時でも日本政府は海外からの救援を当初は断っていました。また当時の首相や知事から自衛隊への救援要請が遅れて多くの人命の損失がありました(これは県警から知事への被害報告が遅れたために要請が遅れたという理由があったようですが、目の前の災害状況から知事は判断できたと思うのですが)。こういう時はトップの一人の判断ミスが多くの人命を左右することになるのです。今の中国ではこれはどうだったのでしょうか。これも時間を追って明らかになってくることでしょう。時間はいずれは歴史の謎を解き明かすのです。

 それにしてもこの大震災でチベット族、ウイグル族、モンゴル族などの少数民族への人権問題は世界の関心から吹っ飛んでしまいました。最近のチベット事件だけでなく報道されない小さな事件が途切れることなく続く人権問題(中国政府の人権意識)は世界の常識からはかなり低いものです。私が中国で実際に見た経験からも断言できます。それでオリンピックに反対、というのではなく、現在の救助救援、そして被災者への支援と復興事業などの緊急性を考えればオリンピックをするような場合か、ということです。ですが広い中国の端っこの少数民族の所で起きた災害は首都北京で開催されるオリンピックへは何ら影響を与えないことでしょう。地方の幹部とその家族に至るまで献上されたオリンピックチケット(そのため?にチケットが買えないのですが)を手に、膨大な数の「从地方出差向北京」(北京出張)で北京は膨れ上がり、世界のオリンピックでなく、国威をかけた中国人による慶祝・奥運(林匹克動会)が繰り広げられるのでしょう。最近中国ではオリンピック後にチベットなどへの締めつけを強化する、というウワサが囁かれているそうで、これも何となく納得してしまいそうな実感のある話で怖いことです。


18日、日曜日。京都の「豊春会 春の能」、金剛流の豊嶋弥左衛門三十年祭 追善能で豊嶋三千春が「朝長」を手向けました。名人・弥左衛門が没してからもう三十年になるのかと感慨無量です。

 中国・四川省大震災は大変な被害でその状況に注目していますが、日本のマスコミのみならず海外webからもかなり良い情報が最近はありますので中国事情を理解するには良い機会なのですが、それを知ることも大変につらいことです。阪神淡路大震災でもあれだけのことがあったのに、その数倍の被害ですから被災者の方々の現在の状況には胸が詰まります。少しでも被害が少なくて済みますように祈るばかりです。


日没の太陽と満月  2008.5.20  (焦点距離 1,200mmレンズ相当)  撮影:今駒清則

20日、相変わらずミャンマーと中国の大災害に心傷んでここの更新を控えています。とは言え一応書いてはいるのですが、どうしても当事国の体制批判になってしまいますので、今ここで掲載するのもいかがかと思い控えています。今度の大災害の問題点は天災に対してあらゆる面で無防備であったことです。これは国家が国民に対して防災情報、防災知識を与えていなかったことが被害を大きくした最大の原因だろうと思っています。

 報道について、日本のマスコミは事実上の取材制限の中でプロパガンダ映像を使いながらも飲み込まれることなく大方の実像は伝えているように思います。webは現段階では虚実取り混ぜてありとあらゆる方面の情報がありますが、中国発信が少ないのがやはり異様なことです。これも時間が経てば真実が漏れ出してくることでしょう。

 参考までに中国政府のメディアでは、中国国務院直轄の通信社・「新華社」のホームページ。簡体字中文が判りにくい方は英文版「新華社(英文版)」で。政府が公式に発表・表明するメディアです。また中国共産党機関誌の「人民日報」、その日本語版の「人民日報(日本語版)」をリンクします。

 振返って我が国の天災への備えは大丈夫か、というと阪神大震災以後に多少の底上げはあったものの、予想される南海、東南海、東海大地震を控えて、多くの古い木造住宅は無防備に近く、専門家、行政、マスコミなどの警鐘に対しても何らの対策(例えば耐震化工事)はなされていないのが実情です。最も切実な住まいの安全が保障されていないまま、これほどの中国の大震災を次は我が身の事として受けとめられないのは不思議なことです。今最もお金を使わなければならないのは生命を守る安全対策なのです。


ブラシの木(金宝樹)  撮影:今駒清則

22日、四川省の大地震は山間地だったために災害が複雑で救援もままならないようです。私たちからの援助は募金ぐらいしかできないのですが、被災された方々の安全と復興をこころから祈っています。

 今年もブラシの木(金宝樹)が鮮やかに花をつけました。本当に妙な植物です。
 今日は「コマーシャルフォト」誌の玄光社とAdobe社の販促セミナー「デジタルフォト&デザインセミナー」に午後出かけ、新機能などの動向を勉強してきましたが、少々物足りない内容でした。

 24日の土曜日に「日本書紀」にある「難波大道」の発掘現場で現地説明会があります。これは古代史の謎と言われていた「大道」が現実に姿を現したのですから感激ものです。ただしその24日は京都へ「金剛定期能」の舞台撮影に行きますので残念なことに説明会には行けません。以前の「大道」発掘説明会の時も所用あって行けませんでしたのでなおさら残念なことです。少し前からこの発掘現場は時々外から覗いているのですが「大道」がブルーシートで覆われているので全容が見えません。ただしまだ多少の機会はあるかもしれませんのでまた行ってみます。この発掘は阪神高速道路・大和川線建設に伴うものですから今回の部分はこの後消滅することになるのでしょう。なおこの「大道」の場所衛星写真地図は以前に「途切れた道」で書いた「下高野街道」「阿麻美許曽神社」「あま岸」から西へ、大和川沿いに約800m下流にありますし、さらにこの「大道」の西には今は痕跡しかありませんが「日本書紀」にある「依網池」と隣接しています。


「難波大道」を考える 1

難波大道の発掘現場 右は大道の位置図  撮影・作図:今駒清則

23日、汗ばむほどの気温で、梅雨が間近なことを知らせています。昨日書いた「難波大道」を現地説明会の前日の今日見てきましたら、ブルーシートが外されていて発掘された「大道」がよく見えました。明日の説明会には行けないので今日見ることができて幸いでした。17m幅もある広い道の両側に側溝が掘られているのもよくわかります。なお写真だけではわかりにくいと思いましたのでわかりやすい図を付けました。詳しいことはそのうちに大阪府文化財センターのホームページ現地説明会資料や報告書が出ることと思います。

(追記:5月30日に「難波大道の調査(大和川今池遺跡現地説明会資料)」が掲載されました。なおこの説明会資料はPDFファイルですのでダウンロードできますが、ブラウザーで素早くお読みになりたい場合は「現地公開サイト」の「難波大道」をご覧下さい。)

 私が45年ほど前にこの近くの長居公園付近に住み始めた頃の歴史書では「大道」はもっと東の方を通っていると推定されていました。しかし私は難波宮地図から南へ真っ直ぐに直線を引くと長居公園辺り地図を通ることになり、住んでいる辺りに「大道」があるのではないのかな、と漠然と思っていました。そのうち地図上で不思議な境界線を見つけて、もしかしたらこれが「大道」の位置になるのではないかと考えるようになりましたが、これも確証の無いことでそのまま時間は過ぎていました。その後1980年の「大和川今池遺跡」の発掘調査で「大道」と考えられる道が発見され「難波大道」と名付けられました。それは私が思っていた境界線とピタリと一致しています。またその発掘調査報告書でもその境界線に触れていましたので私の推測は当たっていたようです。

 その境界線というのは、住吉区と東住吉区の境界線、さらに南下して堺市と松原市の境界線がほとんど一直線に南下して区画されていることで、具体的に示しますと、長居公園の南の住吉区長居東1丁目と東住吉区公園南矢田1丁目の旧堀村地図から、「依網池」東岸の住吉区庭井1丁目と東住吉区公園南矢田4丁目の境界を通り、江戸時代に開削された大和川の南岸、堺市北区常磐町3丁と松原市天美西7丁目の境界(今回の発掘地点、地図)、さらに南下して堺市北区船堂町と松原市天美我堂2丁目の境界地図までははっきりと一直線になっています。さらにこの大阪市側は摂津国と河内国の境界にもなっています。今回発掘されたこの「難波大道」の位置は実に正確にこの境界上を通っていて衛星写真地図びっくりします。

 「難波大道」が大阪の難波宮から上町台地を南下して四天王寺地図を通るというのは定説ですが、その上町台地の「難波大道」は中世からの城郭構築や市街地化でかなり撹乱されているはずで「難波大道」発掘の報告はありません。ただ四天王寺の付近に今も「大道」の地名がありますのでそこまでは間違いの無いことだろうと思います。そこから南は全く手がかりがありませんが、先に述べた長居公園付近の境界線で姿を現して一直線に南下、堺市金岡町地図で堺からきた竹ノ内街道(多比道)に出会うというのが「難波大道」を考えるにはわかりやすいのですが、私は一直線の「難波大道」は堺市船堂町付近までで、実際はそこから長尾街道の旧道(大津道)を通って今の市境界沿いに東方へ向い、西除川沿いに南下して堺市北区野遠町付近地図で竹ノ内街道に出て、竹ノ内街道で二上山を越え大和飛鳥に向うという方が近道ですし、古代の地形で例えば湿地帯を避けるというようなことを考えたり、今に伝わる境界という多少の根拠もありますので、「難波大道」の行方はこのような仮説の方が良いのではないかと推定して一人で楽しんでいます。


ムラサキカタバミ  撮影:今駒清則

24日、朝から怪しい雲行きでしたがお昼頃からすっかり雨になりました。この雨で「難波大道」の現地説明会はどうなったでしょうか。私は京都の「金剛定期能」へ。「巴」(金剛龍謹)と「杜若」(松野恭憲)で、二番ともに女性が登場する珍しい番組。舞台写真は後ほど掲載します。


25日、日曜日。季節の変わり目のせいか疲れて一日3回ほど昼寝。休日でゆっくり休めました。よってここもお休みです。


堺のシャープ工場建築現場の夕陽  撮影:今駒清則

26日、長い間放置されていた堺の埋立地衛星写真地図に電器メーカーのシャープが大工場を建設中で、真っ平らな埋立地に無数のクレーンが枯れ木の林のように建ち並んだ、と思ったらもう建物の骨組みができています。あまりにもクレーンが多く珍しい風景なのでアマチュアカメラマンがよく撮影に行っています。またこの辺りは最近にアウトレット店などもできたので路線バスも開通。そのうちにLRT(路面電車)も敷設する計画があるとか。


カラフルなバラ  撮影:今駒清則

27日、快晴の陽気にバラ園に立ち寄ってみました。しばらくすると汗が吹き出てくるほどの暑さ。あちこちから来た養護老人施設のお年寄りが美しさに歓声をあげています。一枝についた花なのに色変わりになったバラを見つけました。「ウイルスカーレット」と書かれていましたが、スカーレットはちょっと黄色味のある赤色のことですから赤いバラが色変わりしていくのでしょうか。


新世界 撮影:今駒清則

28日、仕事の打合せで市中へ。ついでに天王寺の大阪市立美術館で開催されている「聖徳太子 ゆかりの名宝」展へ。河内三太子の寺からの出展ですが、叡福寺からの寺宝が圧倒的に多く、中でも「聖徳太子絵伝」が各種展示されていますので比較できて興味深かったのですが、私は叡福寺及びその中心になる聖徳太子廟の図絵に注目していました。図録の写真などでは図絵の細部がわからないので展示されている大きな図絵を詳細に見ることができて満足でした。叡福寺はよく行きますので往時の状況が把握でき、次に行った時には違った視点で見ることができるだろうと思います。その後常設展の中国石刻佛の展示をゆっくり鑑賞。私が最も好きな北魏時代の佛像が多く、いつ行っても見飽きることがありません。

 美術館を出て天王寺動物園を陸橋で通り抜け通天閣のある新世界から地下鉄の動物園前駅へ衛星写真地図。新世界は久しぶりです。大阪のもっとも大阪らしい下町ですが、かなり様変わりしていてスマートになったようです。写真の辺りでは以前に洋服などのタタキ売りをしていましたが今はそんな気配がありません。洋品店のファッションも他では見られない独特の派手なものがいっぱい並んでいて、中には340円のポロシャツがあり、また作業服ばかりの店もあり、自販機のカン飲料も70円から100円までですし、なんとなくタイムスリップしたような感じでした。

 梅田の大阪セルヴィスギャラリーで個展をされていた画家の吉永邦治さんと久しぶりにお会いし歓談、その後移動して仕事の打合せ、最後にヨドバシカメラで撮影用品の小物探しをして幾つか購入、といった一日でした。日中は汗ばむ陽気でしたが、予報通り夕刻から雨模様。明朝にかけて雷さんも来るらしいのでカメラにレインカバーを掛けてスタンバイしてあります。

 2日に書きました料亭が不祥事続きで廃業へ、というニュースでそれも止むを得ないととだと思います。ただし余りにも有名な料亭ですので兄弟的なグループの料亭にまで悪影響が及ばないかとこれも心配ですが、webで確かめたところ創業者の遺志を堅持する旨のコメントが各お店から表明されていますので安心しました。


夕空に航跡  撮影:今駒清則

29日、雨から晴れへ、昨夜は雷さんはこなかったようです。雨のお陰で夕方には澄んだ空気の夕空になりました。仕事撮影やメモ撮影、散歩撮影、スキャン画像などどんどん溜まるデジタル写真でデータ処理が追いつかず頭を抱えています。


ハコネウツギ 金剛能楽堂庭園  撮影:今駒清則

30日、明日31日は楽劇学会の大会が日大であります。聴講したいのですがちょっと遠方ですので残念です。それと1日は日本写真芸術学会関西シンポジウムが大阪で開催されます。続いて14日に同学会の大会が東京工芸大学で研究発表があります。こちらは参加します。興味のある方はどうぞお出かけ下さい。

 また日本写真家協会JPS展東京都写真美術館で開催中です。これは7月8日から京都市美術館でも開催されます。

 東京国立博物館で開催されている「薬師寺展」は大変な人気のようで、20日に入場者が50万人を超えたそうです。一日1万人程の入場者で日光・月光の菩薩さまの背面を見るために平日でも入場に行列ができているとか。6日も所用で上京しますのでちょっと立ち寄って見ようかと思っているのですが並んで待つのは嫌いなので躊躇しています。なお薬師寺東京別院でも大津皇子座像などを展示する「もうひとつの薬師寺展」が開催されています。続いて6月14日からは国立奈良博物館で「国宝法隆寺金堂展」が開催され、四天王像や吉祥天像などの佛さまが展示されます。


煙霧が漂う 2008.5.31  撮影:今駒清則

31日、今日は朝は雨模様でしたが徐々に晴れてきました。ただ午後からは靄のように霞んだ風景でしたが、不思議に地表近くは遠方も見える状況。夕刻になってこれが「煙霧」という大気の汚れがたまった層であることがよくわかるようになりました。写真は大阪南港にある関西電力の火力発電所の煙突ですが高さは200mあります。その上部だけが「煙霧」で隠れてしまっています。それが拡散しないで2層になっていることがよくわかります。なお、私は今までここでも雨後に山から霧が立ち昇る状況を「煙霧」と書いていましたが、それはどうも間違っていたようです。中国ではその状況を「烟霧」「煙霧」と呼んでいますのでそのまま使っていたのですが、今日改めて日本の気象用語で「煙霧」を調べて見ますと「乾いた微粒子により視程が10km未満となっている状態」ということらしく、「乾いた微粒子」とは黄砂や煤煙、塵などでつまりは汚れた大気のことになりそうです。中国・桂林の山水写真の撮影にかなり通ったのですが、中国の人は川面やあの独特な山にかかる霧を「烟霧」(煙りのようにたなびく霧)と呼び(この「近況」2007年5月8日の項参照)、書画のタイトルや漢詩にも使われていました。それで私もそのまま使っていたのですが、日本ではどうも以前のタイトルや説明を訂正をした方が良いようです。


4月 08年5月 6月