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近況 2008年6月


6月1日、日曜日。急用の仕事で写真データの検索や処理に没頭。時々目を休めるために空を見ます。今日は霞んではいますが青空にいろいろな雲が浮かんで流れていきます。それでそれをこまめに撮影。しかしそれを処理して掲載する暇はありません。午後から日本写真芸術学会の関西シンポジウムに出席。デジタル写真をテーマにしたものでビジュアルアーツ大阪校の会場は満席の盛況。原直久学会会長も来阪。帰りにヨドバシカメラに立ち寄って1TBのハードディスクをまたも購入。今の仕事用データを入れておくためです。


雨雲

雨雲が来る  撮影:今駒清則

2日、梅雨入りで午後から雨。いかにも梅雨前線の雲、といった雨雲がやって来ました。


何処でしょう? 2

大阪市 1980年旅客機から撮影  撮影:今駒清則

3日、時々航空写真を掲載します。何れはもっと大きな写真で見られるようにまとめてアーカイブしたいと考えています。

 1980年の撮影で、街はこの頃もスモッグで煙っています。川は大川で少し先は中之島になります。下の橋は国道1号線が通る桜宮橋(銀橋)、その右は造幣局、このあたりは江戸時代に天満与力の屋敷があった所、大塩平八郎もここにいました。さらに右には大阪天満宮があります。写真右下で白い煙りのある所は三菱金属大阪精錬所です。写真は大阪市北区天満付近衛星写真地図の夕景です。中央左の橋は天満橋、白い大阪マーチャンダイズマートビルと黒い松坂屋百貨店。そして古代からの湊・渡辺の津あたりです。中央右の橋は天神橋で、大阪で早くに建てられた高層の大阪大林ビルがそびえ建っています。またその右は北浜のビジネス街になります。桜宮橋から天満橋までの大川端が「通り抜け」の花見で有名です。

Google Earthの大阪市北区天満付近  

 この写真のあたりは現在中層、高層マンションが乱立するようになりましたが、もっとも大きく変わったのは左下に見える増設された新桜宮橋と、右下の旧三菱金属大阪精錬所跡地再開発でできたOAPプラザや帝国ホテル大阪の高層ビルでしょうか。


天安門事件から19年

北京・故宮と天安門広場 Google Map


4日、あれから19年目を迎えました。1989年6月4日に中国・北京で起きた天安門事件(6・4天安門事件)は、民主化の高まりを武力で弾圧し多くの犠牲者を出しました。世界各国から非難と抗議が中国政府に殺到しましたが中国政府は現在も無視し続けていますし、その後も少数民族自治区での民族自治も名ばかりで人権を無視した施策と情報遮断を続けています。現在世界が注目しているチベット問題の背後には、この天安門事件を反省せず事実を明らかにしない中国政府への不信感があるためです。3日の朝日新聞は、四川地震の取材は意外にも自由に取材ができる、それは震災が天災で政府の責任ではないからだろう、と書いています。これでわかるように天安門事件、チベット事件、多発する地方農民の騒乱事件などには報道管制、情報遮断を厳重にしていますし、現体制を崩すような動きには武力弾圧をもってするというのが変わっていないことがわかります。例えば日本で報道されている、学校の倒壊で子供たちが多数犠牲になり、父母が抗議行動をしている事件では、政府に監視されている中国メディアは学校の倒壊を報道しても抗議行動の報道は封殺されているようで、地方官僚の過失は政府の信頼を失うものですから中国人民には知らされないわけです。私の知る範囲では中国の方に天安門事件のことを話題にすると必ず話をそらされて深い話はできません、いまだに何らかの圧力を受けているからなのです。言論の自由な日本では想像もつかない世界があります。


虹が立つ 2008.6.5  撮影:今駒清則

5日、集中豪雨のような風雨があり、久しぶりにしっかり雨が降りました。竜巻雲のような黒雲が一時来ましたが運転中のことで撮影ができず残念でした。夕方には雨もあがって東の空に薄い虹が立ちました。


麦秋

近江路麦秋 新幹線車窓  撮影:今駒清則 

6日、午前中は仕事をしてお昼頃から新幹線で上京。例によって車窓から撮影。田植されたばかりの緑と麦の茶色が美しいパターンを作っています。お富士さんは靄っていて山頂だけがかすかに見えるだけでした。東京都写真美術館に立寄りJPS展森山大道展を見て学会の会議へ。


川越の町 1

川越 まめ屋  撮影:今駒清則

7日、以前から見たかった川越の伝統的民家群航空写真地図へ行ってみました。その蔵造りの町並みの重厚さには圧倒されましたが、土曜日のため観光客もすごい人出。今回はカメラ散歩の軽い撮影で、その建築群の写真はお見せするほどのものはありませんが、仲町の交差点航空写真地図にあった豆食品の「まめ屋」の店舗デザインにはちょっとびっくりしました。数年前に開店したそうですが、明治の蔵造り風に昭和モダン風?の建築を重ねたように外装したもので、背後にはマンションが建っています。なぜか横の電柱も傾いていて、何とも珍妙な景色でした。その先にある民家群の道路は車の通りが多く、向こう側へ渡るにも危ない上、観光客の雑踏で落着いて見る気にはなりません。観光を謳うのならこのあたりだけでも土日は車止めして歩行者道路にしていただきたいものです。

川越城水濠跡 富士見櫓跡付近  撮影:今駒清則

 思いがけず川越城の本丸御殿航空写真地図が無傷で残っていてこれも感激しました。小藩ですからすべてが消滅していると思っていましたが、全国的に見ても希少な建物があったのです。幕末の建物とはいえ江戸時代をしっかり体感できます。城郭を構成する土塁や濠はほとんどが消失していますが、その目で見れば本丸の南半分にはその名残が見てとれます。三芳野神社の東から富士見櫓跡付近航空写真地図にかけて土塁と水濠の痕跡があり、南の水濠には民家が建並んでいますがそれでも今なら発掘復元は可能でしょうから、本丸を部分的にでもぜひ復元していただきたいものです。写真は本丸の南西隅に位置する富士見櫓跡(画面右端)ですが、人物と自動車が駐車しているところが水濠になる部分と思われます。

 駆け足で川越を歩いた後、横浜へ行き中国の友人と会食。遅くまで中国情勢などについて懇談。


東京で

薬師寺展は1時間待ち 10時半頃  撮影:今駒清則

8日、日曜日。上野の東京国立博物館で開催している「薬師寺展」へ。普段でも入場待ちの行列をしているとのことなのに、その上今日は土曜日で最終日、それでもと一応で出かけてみましたが案の定すごい人出で入場一時間待ち、あっさり諦めて私の大好きな東洋館だけ見て12時過ぎに山手線に乗車、久しぶりに秋葉原で降りて電気街でも覗いてみようかと思ったのですが、昨日の歩き疲れが残っていたのでそのまま東京駅へ。新幹線車中の携帯電話テレビで秋葉原の無差別殺傷事件を知り唖然としました。あの時秋葉原で下車していたら丁度遭遇した時間です。それにしても最近は無差別の殺傷事件が相次ぎます。7年前の池田小学校事件は同日で因縁を感じますが、土浦のJR荒川沖駅事件、品川の商店街事件、JR下関駅事件、最近の池袋事件など記憶に新しいところです。この一連の事件に共通する自己本位の人命軽視はどこからきたのでしょうか。個人的な資質などいろいろな要因はあるのでしょうが、私はその一つにゲーム機や漫画・劇画に見られる暴力的・攻撃的な内容が若い世代に影響を与えていると考えています。メディアや作者はもっとそのあたりを配慮する必要があるように思います。

(追記:秋葉原無差別殺傷事件のasahi.com記事


川越の町 2

川越の民家群  撮影:今駒清則

9日、7日に書いた民家群の様子です。車が多い時にわざと写したものではありません。この車と民家の間に観光客がひしめいています。民家を写すために車の切れ目を待つのですがなかなかそのタイミングがありません。

川越の雑貨屋さん  撮影:今駒清則

 川越市内を歩いていたら、絵に描いたような雑貨屋さんがありました。店頭に箒を並べるのが雑貨屋さんの常ですが、それが最近はなかなか見られません。大型のホームセンターがあちこちにできていますが、質の良いものを買うには雑貨屋さんの方が良いのです。頑張っていつまでも続けてください。


アロエの花 1

アロエの花芽  撮影:今駒清則

10日、「不夜城」というアロエから花芽が出てきました。これがびっくりするほどの花が咲くのです。アロエはもう何十年も育てているのですが実にタフで、何の手入れもしていないのに子株がどんどん出てきます。大きくなったので切り取ってもどちらからでもまた子株が出てきます。最初は子株を捨てるのがかわいそうで植えていたのですが、そのうち100株ほどになりその後もネズミ算式に殖えそうで、もう手に負えないのであきらめて随分始末しました。アロエを食せば良いのでしょうが作るのが面倒なのでもっぱら観賞用です。これから花が咲くまで時々掲載します。


「難波大道」を考える 2

近つ飛鳥博物館 大仙陵模型  撮影:今駒清則

11日、先ほど発掘された「難波大道」の発掘調査成果を語る、として「特別講演会&発掘調査報告」が大阪府立近つ飛鳥博物館で行われましたので聴講しました。発掘調査担当の福佐美智子氏の報告はほぼ大阪府文化財センターのホームページ現地説明会資料「難波大道の調査(大和川今池遺跡現地説明会資料)」に沿ったものでしたが、大道の方向は1度のズレもなく真北を向いていること、他の古代の道の奈良・下ツ道、山田道、山陽道との比較から良く整備された道であったことなどを話されました。なお私が5月23日の記事で発掘現場に見られる穴を「柱穴」と推定したのは誤りだったようで、現段階では穴の意味は明確に判っていないが、多分後世に「土取り」をしたものではないか、という見解でした。その後、水野正好氏の講演では「難波宮」「大道」「古代の道と主要遺跡の位置と方向性」など多岐にわたって解説されましたが、なかでも645年に孝徳天皇が遷都して造った難波宮(難波長柄豊埼宮)から南に造られた「大道」(朱雀大路)沿いに仁徳天皇の高津宮、四天王寺付近には応神天皇の大隈宮があったのでは、という推論は興味深いものでした。

近つ飛鳥風土記の丘 一須賀古墳群 J群  撮影:今駒清則

 近つ飛鳥博物館では現在「館蔵品展「近つ飛鳥と渡来人 〜よみがえる一須賀古墳群〜」」を開催しています。この一須賀古墳の発掘時に撮影した写真は水門会のホームページの「水門会ギャラリー」に一枚ですが発表しています。近つ飛鳥博物館のある丘陵は「近つ飛鳥風土記の丘」と名付けられて遊歩道から古墳を数多く見学できる史跡公園になっています。講演会終了後に久しぶりに散策してみましたが、遊歩道はまず整備されているのですが肝心の古墳の多くが放置状態で整備が行き届かない状況になっていました。この近つ飛鳥博物館は大阪府の財政見直し策でもかろうじて存続しますが、大阪府立の現代美術センター文化情報センター狭山池博物館国際児童文学館などの廃止統合は財政難とはいえ新知事の文化切り捨て策で、美術館の一つもないような大阪府の文化行政はますます落ち込んで行くのが見えて残念なことです。これについては最近に幾つかのシンポジウムが開かれますので関心がお有りの方はお出かけ下さい。


何処でしょう? 3

大阪府池田市 1982年旅客機から撮影  撮影:今駒清則

12日、航空写真のアーカイブです。

 大阪・伊丹空港を飛び立つとすぐに眼下に見える風景。左上の山並みを越えれば丹波です。この山に向かって急速にニュータウン開発が行われ、牧歌的な農山村からベッドタウンに変わって行きました。左下の川は猪名川で河川敷は猪名川運動公園です。8月には猪名川花火大会が行われます。今はこの左岸を阪神高速11号池田線が木部まで通っていて風景が変わっています。右下の道路は中国自動車道、画面中央の五月山山裾に広がる街は池田市中心部。その向こうは川西市、能勢方面になります。衛星写真地図


Google Earthの池田市  

13日、昨日の1982年に撮影した池田市の写真とほぼ同じ角度に設定して見た Google Earth の画像です。ここでよく(衛星写真地図)として利用させていただいている Google Map と同じ衛星写真ですが、 Google Earth では3D的に見ることができます。ただし衛星写真は数年前に撮影されたもののようですが、それでも少しづつ新しいものや高精細に更新されています。1982年の写真とはっきり違いがわかるのは中国自動車道を跨ぎ猪名川左岸を通り渡河する阪神高速11号池田線があることでしょうか。


学会に上京

新幹線車窓の富士山  撮影:今駒清則

14日、日本写真芸術学会大会に参加で上京。今日のお富士さんは少し霞んでいましたが美しい姿を見せてくれました。雪がかなり少なくなって夏山に向かっているようです。大会会場の中野本町・東京工芸大学芸術学部に少し早く着いたので近所をカメラ散歩。以前に撮影したこともある成願寺の墓地から都庁ビルを撮影しようとしましたが、以前と違って手前にビルが建並んでしまったのでよく見えなくなりました。諦めて墓地内にあった石仏を撮影。江戸時代初期、1670(寛文10)年銘の墓石ですが秀作です。また墓石に刻まれた文字がとても良く合掌して撮影させていただきました。

成願寺墓地の石仏  撮影:今駒清則

 日本写真芸術学会大会は総会と学会賞授与式、今年は功績賞に藤井耿氏、奨励賞にセバスチャン・ドブソン氏が受賞。その後研究発表で、写真にかかわる歴史的考察が多くその研究展開が参考になりました。


アロエの花 2

アロエの花茎が伸びてきました。  撮影:今駒清則

15日、日曜日。アロエの花茎がにゅーっと伸びてきました。この後3本の長い花茎になるだろうと思います。


大和の農村歩き 3

雷魚  撮影:今駒清則

16日、田植も終わった頃なので奈良の農村に出かけました。特に大きな目的もなく、ただただ農村の自然を見るためです。真夏のような日差しでしたが湿度が低いようで汗ばむほどではありません。のんびりと農業水路のカメを撮影していると大きな魚が近寄ってきました。かなり離れているので望遠レンズにし、カメラの感度を上げて最も近づいた時にシャッターを切りました。そのとたんに身を翻して超高速で泥の中に消えて行ってしまいました。かなり離れているのにただ1回のシャッター音に反応したのです。魚は雷魚、こまかい種別は知りません。最近のルアー釣りではスネークヘッドと呼んでいるようです。そういえば頭は蛇のようですね。子供の時に見ただけですから久しぶりの対面です。子供の頃は小川を堰き止めて水を掻き出し、魚を素手で捕まえるカイボリで雷魚を仕留めたら英雄ものでした。この頃はかなり数が少なくなっているそうなのでうれしい収穫でした。

ジャンボタニシの卵  撮影:今駒清則

 農家の方には珍しくもないのでしょうが、水路の擁壁にピンクの模様が所かまわずついていました。ジャンボタニシの卵です。水路の底には孵化したタニシの子供がビッシリといます。稲には害になるそうでそのうちに卵を掻き取って駆除するようですが今の季節のトピックです。夜中に水中から登ってきて卵を産み付けるとか、不思議なところに産み付けるものですね。
 それと野良道に首を切られたマムシが転がっていました。お百姓さんが始末したものでしょうが、野良歩きはやはり要注意です。


百姓

花菖蒲  撮影:今駒清則

17日、そのお百姓さんのことですが、もう40年も前のこと、奈良の農村でひっそりと行われているというまつりごとを調べて撮影に訪れたのですが、どうもその様子が見えないので、ある農家でお尋ねしたところ、今はもうやっていないよ、ということでお話だけお聞きしました。その方に頂いた名刺の肩書きに「百姓」と大きな字で書かれてあって感激したことがあります。一時期一部で百姓という言葉をタブー視したことがあったようですが、歴史的には根拠の無いことで、どうしてそんなことになったのでしょうか。プロの誇りを感じてうれしく今でもその名刺は大切に保存しています。しかしその後はこのような名刺を頂く機会には恵まれていません。


何処でしょう? 4

大阪府八尾市 1985年ヘリから撮影  撮影:今駒清則

18日、航空写真アーカイブです。

 きれいなシンメトリーの形をした操車場です。東から西を望んだ風景で、上方が大阪市方面になります。上方横に横断している陸橋は中央環状線で、1985年の撮影時、近畿自動車道はここまで開通していませんでした。手前右の森は渋川天神社、左は国鉄社宅です。この操車場は1938(昭和13)年に供用開始、1997(平成9)年に完全廃止されました。鉄道は国鉄関西線が通り、駅舎はこの操車場の外側にあったため上り線、下り線の駅舎は180mも離れていて操車場の下を通る地下道で結ばれていました。この操車場の名前は「竜華操車場」、駅は「久宝寺」駅です。衛星写真地図(注:国鉄分割民営化は1987年)

Google Earthの八尾市竜華操車場跡地 

 操車場廃止後のJR関西線・久宝寺駅舎は北(画面右)側にまとめられ、跡地は大阪竜華都市拠点として、「都市基盤整備公団(現独立行政法人都市再生機構)、大阪府、八尾市が連携し、大阪東部の新都市拠点として『生活・産業・文化を創造するまちづくり』を目指して基盤整備をすすめ、平成18年1月に土地区画整理事業の換地処分がなされました。(大阪府・市街地整備課)という再開発がなされつつあります。


何処でしょう? 5

大阪市 1985年ヘリから撮影  撮影:今駒清則

19日、今日も航空写真アーカイブです。

 1985年5月、大阪市で高速道路の建設中です。側道にあたる一般道(府道)は1970年の大阪万博で造られ、現在では大阪の大動脈となっています。中央で建設中の高速道路も北部は大阪万博に間に合うように開通しましたが、この辺りはいまだ工事中になっています。南から北を撮影したこの写真の手前は大和川の北になる長吉第3住宅西の交差点、右の集合住宅は大阪市営長吉長原の団地、上方の緑地は久宝寺緑地、遠方の山は北摂の山系で最も高いのはポンポン山(679m)、山向こうは亀岡市になります。衛星写真地図

Google Earthの近畿自動車道長吉付近

 建設中だった近畿自動車道は1988年にこの付近が開通、今は奈良や関西空港、和歌山へ通じています。また側道の一般道は大阪中央環状線(中環)です。撮影から23年後、この付近の中環沿いはレストランや工場が増え、また大阪市営地下鉄谷町線もこの下を通っています。


日本写真保存センター 1

奈良。春日の山  撮影:今駒清則

20日、貴重な写真を保存するために設立準備している「日本写真保存センター」の調査で松本徳彦氏と奈良市の入江泰吉記念奈良市写真美術館を改めて訪れました。改めて、というのはこの美術館の中心になる写真家・入江泰吉先生は我が師ですので、この美術館は何かと親しみのある所ですし、生前からゆかりのある品々も収蔵されていますので懐かしい思いで一杯になります。現在の展示は「入江泰吉 大和巡礼 2 〜佐保・西の京〜」の入江作品です。観光的には平城宮、唐招提寺、薬師寺以外はあまり注目されませんが、入江先生の目は華やかなもの以外に細やかな所へもカメラの眼を向けています。また奈良の写真師。工藤利三郎の貴重な古美術写真も同時展示です。この29日(日)が最終日です。どうぞご覧下さい。

 美術館を出ると、真に真っ黒、という黒雲の塊が北の空を覆っています。車で松本氏を駅までお送りした後飛火野衛星写真地図へ、東へ流れる黒雲が春日山、高円山をすっぽり隠して今までに無いドラマチックな風景です。バラバラっと大粒の雨が落ちてきたと思ったら前も見えないほどの降りになり、5分ほどで上って次は山あいから霧が立ち上ります。この風景は私が最も好きな情景です。


日本写真保存センター 2

21日、昨日に触れた「日本写真保存センター」をもう少しご説明します。以下は(社)日本写真家協会が発行する資料から要点だけを一部抜粋しています。

 目的と意義:日本における近現代を撮影した歴史的に貴重な写真原板を収集、保存、管理し、わが国の写真文化の振興、発展に役立てると同時に、社会文化の研究や学術、教育、マスメディア等における利用促進を図り、もってわが国文化の向上に寄与することを目的とする。施設の設立は、写真界をはじめ、学術、教育、新聞、出版、放送などの文化各界からの強い要望もあり、早急な設立が望まれている。
 収集と保存:時代を色濃く記録した数々の写真作品の原板(フィルム、乾板、湿板等)を収集、保存する。
 管理と利用:収集した原板は、低温での管理と複製化を行い、利用に対応する。
 収集原板を紹介する写真展示や広報活動により、利用の促進を図る。
 普及活動:閲覧(ホームページを含む)、機関誌の発行、展示活動のほか、収集原板目録の作成等を行い、写真の「記録の重み」を啓発する。(以上「日本写真保存センター」第2号から抜粋)

 この「日本写真保存センター」設立に向け(社)日本写真家協会が文化庁から調査研究の委嘱を得て、すでに逸散の恐れのある貴重な写真原板の所在と保存状況の調査、先進的な取り組みを行っているフランス、アメリカの施設、設備、運営等についての現地調査などを行っており、今年度もさらに収集調査、保存科学、修復、利活用、権利処理など他方面の調査研究を行うことになっています。なお写真原板、写真データなどの保存(アーカイブ)に関しては時々ここに掲載したいと考えています。


金剛定期能

京都御苑のアカマツ 撮影:今駒清則

22日、日曜日。京都の金剛定期能にでかけました。いつも書きますが金剛能楽堂は京都御苑(京都御所)の傍にあります。早くに着いた時は京都御苑をカメラ散歩して時間待ちをします。写真は私のお気に入りのアカマツ。手入れが良いのでしょう、生き生きとしていて青いマツボックリがちらほら見えます。この幹と枝、メタボなお腹で妖しく踊っているように見えます、と言うと場所柄不敬でしょうか。

 能は「兼平」(シテ・今井清隆)、木曽義仲と今井兼平の最後を描くものですが余り演じられません。良い能ですからもっと見たいものです。狂言は「寝音曲」(シテ・茂山千五郎)、そして能「鉄輪」(シテ・廣田泰能)、陰陽師・安倍清明の祈りの場に嫉妬の女が現われます。凄まじい執念の姿は能ならではのものです。

 日没頃の帰りの電車から西の空に滝から流れ落ちるような雲が見えましたが、残念なことに車窓からは撮影できません。残念でした。


ハイブリッドカーの燃費

プリウスGツーリングの燃費

23日、私のプリウスが今までで最良の平均燃費を記録しました。走行455kmは高速道路が半分、市街地半分の走行で、1リットルで平均25.1km走っています。棒グラフではすべて28km以上を示していますが、それまでの累積平均燃費が23km位でしたので平均値は下っています。燃料タンクのゲージはまだ半分まで行ってなく、この調子で走れれば満タン44リットルで1,000km以上走れます。ガソリン価格が高騰しましたが、普通の車と比較するとリッター60〜70円位の感覚になりますでしょうか。沢山走る方にはお薦めの車です。

 例年楽しみにしている2008ウインブルドンテニスが始まり、今年は錦織圭選手が初めての出場で期待していました。ウインブルドンでは下位の試合レベルながらなかなか良いプレーがあり、真夜中のテレビ中継で彼のスーパーショットに拍手をして応援していましたが、残念なことに腹筋の痛みか途中リタイアで終わりました。18歳のプレーヤーですからこれからが楽しみです。


良いものを知る

24日、ウインブルドンテニスのテレビ中継(ライブだけでなく時に録画もありますが)を見ながらいつも思うことがあります。中高の時にテニスをしていましたが、その頃良いプレーを見るのは県大会位のもので、普段は近隣の学校との練習試合で少し上手な選手を見る程度でした。今考えれば試合運びもまったく幼いもので、それでもハードな練習で何とかなる、と懸命でしたが、たいした成績はないまま過ぎました。あの頃今のようにウインブルドンテニスを見ることができたら、もっとプレーにしても試合運びにしても参考にして随分違っただろうと思います。ウインブルドンテニスはスーパーどころかウルトラ、いやミラクルといったレベルですから、そのような実践は到底できないとしても目標はより高く持てたのではないか、と思うのです。テニスだけでなく何事でもより高度な世界を知ることだけですべてが高まります。そんな思いです。

 今夜も夜更かしをして杉山愛選手の試合中継を見ました。好調なプレーで快勝。16年連続出場は素晴らしいものです。注目のマリア・シャラポア選手も快勝。大阪・靫テニスセンターでの2004年世界スーパージュニアテニス大会で見た時、そのズバ抜けた技量に驚いたものです。それにクルム伊達公子選手の驚異的復帰、見習いたいですね。今日は私の写真よりも佐々木豊さんのスポーツ写真サイトをどうぞご覧下さい。テニスのページも見ごたえがあります。


アロエの花 3

アロエ(不夜城)  撮影:今駒清則

25日、アロエの花茎がどんどん伸びています。右はもう50cm程になり3つ目の茎が出てきました。だんだん大きくなるのでカメラが後ろへ下って撮影しますので、写真の見かけ上は長さが余り変わらないように見えますが葉の大きさは相対的に小さく写っています。

労働問題

 大阪芸術大学グループを経営する学校法人・塚本学院が大阪府労働委員会を相手取って不当労働行為による救済命令を取り消すよう訴えていた大阪地裁での判決が今日言渡され、塚本学院の訴えは棄却となり敗訴しました。これは2003年に塚本学院が教職員組合の委員長、副委員長、書記長の三役と執行委員2名を一斉配転、組合員への昇格差別や、これらに関わる団体交渉を拒否、続いて2005年に学内通路にあった組合の掲示板を撤去して一方的に室内に入れてしまい、これも話し合いを求める団体交渉を拒否したため組合は労働委員会に訴え、調査と審査の結果、配転事件は「役員に不利益を被らせ、組合の弱体化を企画して行った」もので不当労働行為、また正当な理由の無い団交拒否はこれも不当労働行為である、として「配転がなかったものとして取り扱え」、という命令を07年に塚本学院にしました。組合掲示板事件も審査の結果、「露骨な組合敵視の不当労働行為である」とし、団体交渉拒否も正当な理由がない不当労働行為であると判断、掲示板を以前と「相当する場所に貸与しなければならない」命令をしました。そこで塚本学院はこれらの命令を不服として大阪地裁に訴えていたものですが、主張は認められることなく棄却されたのです。これは大学という知的な場には相応しくない事件であり、こういった認可法人のケースの場合は他の分野より経営者の質を厳しく問われなければならないのですが、性善説を前提とした法や監督はこのことには無力に近く、命令が出されてもあまり実効性が無いため不利益が長年続いているのが実情です。背景には悪質な事件であっても労働関係では罰則がほとんど定められていないために、これを良いことに組合潰しや労働者イジメを行う経営者がいることを労働委員会の「命令事件紹介」は物語っていますし、また労働委員会のありかたにもまだまだ問題が多くあります03年厚労省研究会05年改正労働法。激化する雇用問題の将来を見据えて働く者に暖かい労働関連法制の改正が望まれます。(カッコ内は命令書から)


大阪の風土

26日、うなぎ、大好物です。24日が土用の丑の日でした。次は8月5日ですが、どうも食指が動きません。私は三河の豊田市の出身ですから濃厚な「ひつまぶし」が好きですが、スーパーで売っている蒲焼でもかまいません。チンをしてすぐに食べられますからよく食していました。以前の中国産うなぎの不評で国産表示に限って買っているのですが、それもこのところ怪しくなってきてどうも食品表示はあまり信用できないようです。と書くと真面目な食品関係の方には悪いのですが、これだけ食品偽装が続くと疑心暗鬼にならざるをえません。

 ここ数日の報道では大阪の水産会社の中国産うなぎを国産の「愛知県三河一色産」として出荷したとして農林水産省から摘発されました。その原産地が「岡崎市一色町」とあったそうで、オヤ、一色は岡崎に合併したのかな、と思っていつもの Google Map の衛星写真地図で確認すると、なにも変わっていなくて幡豆郡一色町です。そこで岡崎市一色町を探すと豊田市に近い、この先にトヨタ自動車が新しいテストコースを計画している付近の山の中です。うなぎなど養殖できる所ではありません。ちょっと調べればわかる産地偽装です。そのうちテレビでは早速リポーターがその山中の現地から「そんな会社は見当たりません」と中継していました。

 その一色産と偽装された本家の一色は日本のうなぎ生産では日本一で、Family Mart のうな重の広告でも「日本有数のうなぎの生産高を誇る「愛知県一色町」のうなぎを使用。三河湾に面した温暖な気候で一級河川「矢作川」の清流を水源として、養鰻専用の水道より引き込んだ水を使用。緑豊かな大地に囲まれ、河川の清流水を使用し、より天然に近い環境で養殖されるため良質な身に仕上がります。」とあります。話はちょっとそれますが私も矢作川の水で育ったので、一色うなぎとは兄弟?です。話は戻りますが、そのうなぎを扱う一色うなぎ漁業協同組合はこの事件に迷惑顔かと思えば、なんとここも最近に輸入うなぎを一色産として出荷したとしてお詫びしている始末です。なんという日本になったのでしょうか。

 この大阪の水産会社はテレビ報道の記者会見で偽装は「悪いこととは知っていたがやった」とあっさり認めました。これで思い出すのはこれも今年初め、テレビ朝日のリポート番組でアブラボウズを高級魚のクエとして販売している岸和田の水産会社の社長は「アブラボウズでもクエと言ってエエンや」という趣旨の説明をし偽装を堂々と認めて販売を続けていましたが農水省に摘発されています。どうも大阪には「(悪いことでも)かまへん、かめへん」という風土があちこちにあるようです。


「冒険王・横尾忠則」

横尾忠則氏  撮影:今駒清則

27日、いろいろ思うことを書き出すとどんどん紙面?をとってしまいますので、なるべく短く書くようにし、写真が無いとやはり寂しいのでできるだけ掲載するようにしたいと思います。

 朝一番から兵庫県立美術館で美術展のオープニングでした。「冒険王・横尾忠則」と題した兵庫県西脇市出身の横尾忠則氏の作品展です。丁度今日は横尾氏の古稀の誕生日になるそうで、誕生日が自身の展覧会の開会日とは嬉しいことでしょう。開会の挨拶の途中で「・・・絵を描いていると途中で嫌になって描きかけで止めてしまうことが多いので・・・挨拶もこれで止めます」と言ってスタスタと退席、会場は爆笑と暖かい拍手でテープカットになりました。1960年代、「NDC」「日宣美」「平凡パンチ」「話の特集」というキーワードで横尾氏のイラストが鮮明に浮かび上がってくるのですが、その原画が大量に出品されています。それに増して油彩のイメージマジックとでも言うか、独特の世界が描かれた絵画に魅了されます。どうぞお出かけ下さい。

 ウインブルドンテニス、連日大波乱が続いています。アラ・クドリャフツェワと対戦したマリア・シャラポアはミスが重なって自滅。ナタリー・デシーとの3時間半にわたる素晴らしいプレーを見せてくれたアナ・イバノビッチ(女子ランク1位)が突然不調で鄭潔に敗退。男子はロジャー・フェデラー(男子ランク1位)が好調でやはり優勝確実か、ということで私の睡眠不足が続いています。


インターネットでのアーカイブ

イキなサングラスのコリウス  撮影:今駒清則

28日、ベランダのコリウスが元気です。明るい日をあびると発色が良くなって楽しめます。

 なぜか突然に思い出したのですが、1999年に大手電器メーカー製品の不具合でユーザーがメーカーと交渉をしていて酷い対応を受けたとしてホームページを開設、その後の交渉経過を逐一掲載し、インターネットの掲示板では相当の話題になり、ついにマスコミで一般にまで知られることになった事件がありました(まだインターネットが現在ほど普遍化していなかった頃です)。結果的にメーカーの副社長が謝罪に出向き収束したのですが、企業側の顧客対応が十分でなかったがために売り上げ減、イメージダウンをきたし、このメーカーだけでなく多くの企業が顧客対応の見直しを図った程でした。この事件は現在でも「クレーマー事件」と検索すればこの様子を知ることができますし、当時インターネット弁護士として有名だった紀藤正樹氏がその記録を克明にアーカイブされておられます。私も当初から関心を持ってそのユーザーのホームページが更新されるたびに記録、閉鎖するまでを社会研究の資料としてアーカイブしてあります。私が当時注目したのは(その交渉内容は別として)ただの一個人が日本有数の大企業を相手に対等に、いや多くのネットの共感者を味方につけて対等以上に交渉をしているという点でした。これはそれまでからすれば革命的なことで、インターネットの可能性を実感した出来事でしたが、反面に個人が発信する内容でも社会的に大きな影響を与える点では発言を慎重にしなければならないことも学びました。また派生的にメーカーもユーザーも共に誹謗・中傷の標的となり、ネット上のモラルも問われた事件でした。現在ではインターネット利用が膨大な量となり発信側の情報は埋没してしまうように見えますが、検索エンジンの進歩で社会的に問題となった情報はどこかにアーカイブされていて必ず浮かび上がってきます。なお私が検索で便利に利用しているのは「検索デスク」です。一度お試し下さい。


夕焼け  撮影:今駒清則

29日、日曜日。ここ大阪の今年の梅雨はあまり雨に恵まれません。天気予報は降雨を伝えるのですが、パラパラとは降ってもまとまった雨にはなりません、予報からすれば珍しく外れっぱなしですが、局地的に豪雨のような所もあるので用心するに越したことはありませんからそれも良しとしましょう。夕方にこの数日では珍しく夕焼けになりました。


「モディリアーニ展」ほか

アジサイ  撮影:今駒清則

30日、掲載がちょっと遅いようですが、まだまだアジサイは咲き続けます。

 国立国際美術館で「モディリアーニ展」が明日から始まります。モディリアーニの作品だけで150点余という規模で、先だって国立新美術館で開催していたもので一日に5千人余の入場者がありました。昨年のBUNKAMURAの「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」、つい先ほどの名古屋市美術館、現在開催中の姫路市立美術館(8月3日まで)の「アメディオ・モディリアーニ展」と大もてのモディリアーニ作品ですが、今回の内容はモディリアーニの初期作品から原始美術に影響を受けた時期、そしてシンプルな彼のスタイルに至るまでを総覧できる内容になっています。似顔絵の方がその人なりを良く現すことがあるように、モディリアーニの省略された画法もかえって人間性のリアリティがあふれているのが興味深いことです。オープニングではモディリアーニ展を多く手がけておられるパリ・ピナコテーク美術館のマルク・レステリーニ館長が挨拶、盛況でした。

 同時開催は打って変わって現代美術作家・塩田千春氏の「精神の呼吸」、糸を張り回らせるインスタレーション作品など、またコレクション展は石内都氏のキズアトシリーズと、宮本隆司氏の「場所の記憶」などの写真展です。


5月 08年6月 7月